雨がここ5週間以上も降らない。空気が乾燥している。
庭の芝もすっかり色が変わってしまった。
いつもの散歩道、きままな風が渡ってくると枯葉が音を立てて舞い落ちる。
細い梢の先に広がる青空が澄んでいる。見入っていると吸い込まれそうな感じがする。
秋の空はことのほか清々しい。
そこでワンダフル空手第27話である。
アラバマで最初の壁にぶつかったのが時間のことと、食事の事である。
来て直ぐに稽古時間を増やしたが、夜だけの稽古時間である。時間が余り過ぎた。
一番困ったのは週末である。金曜日から日曜日、三日間なにもない。
車はない、言葉は殆ど通じない。勿論お金もない。ないないの世界である。
あるのは健康な身体だけである。
そんな私をロンがいつも心配と言うか気を使ってくれた。
殆ど毎週末ロン夫婦はパーティーに行く、そこで私も連れて行かされた。
何のパーティーか勿論私には分からない。どのパーティーも出席者は殆ど夫婦連れであった。
独身のブロンドで青い眼の、モデルのような女性はいないのである。
中年と言うか、中にはオバサンと呼べるような歳の人が多かった。
とにかく何らかのパーティーが殆ど毎週末にあった。その度に呼ばれるのである。
下宿先で天井を見つめているよりましである。
そう思って出かけるのだがこれがまた、気疲れがあって大変であった。
パーティーで色々な人に紹介してもらう。ロン以外はみんなカラテ経験者ゼロである。
紹介されて、その人と会話になる。いろいろと聞いてくる。
相手の話は何となくではあるが、分かる。
だが、私が何とか単語を並べて、身体のジェスチャーを交えて返事をする。
だが相手は分かったような、分からなかったような顔つきをして「Nice to meet You 」と言って微笑を残し去ってしまう。勿論、私も微笑を返す。
とにかく微笑を絶やさないことにした。
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毎日素晴らしい天気が続く。早朝はピリリと締まるような冷気が身体を包む。
10月が終わろうとしているのに、日中はまだ残暑の余韻を感じる。
散歩の小道が枯葉に覆われてしまった。
枯葉を踏みつけながら、サクサク、カシャカシャと音を立てながらステラとハナと歩く。雑木林の中に朝陽が斜めに射し込んでくる。
長かった夏がどこかにさって秋が深まりつつある。
アラバマの秋は春と同じように短い。
私が44年前はじめてここアラバマに来たのも10月であった。
バーミンガハムの街も変わった。良いのか悪いのか私にはわからない。
でもカラテに対する情熱はむしろ昔より深くなっているように思う。
私は本当にカラテに出会えて幸福である。
そこでワンダフル空手第26話である。
バーミンガハムに着いて4~5日する頃から街の雰囲気にも慣れてきたように思う。
日が過ぎるうちに、身体の調子は徐々にではあるが良くなってきた。
あの頃の日課は先ず自分のコンデションを戻すことに集中した。
まず朝のランニングから始まり、身体をほぐしてから、ここアラバマの黒帯や茶帯をイメージして前に出る組手、受ける組手のコンビネーションを流す。
裏庭の隅にある松の木に古いブランケットを巻き付けてサンドバッグ代わりにした。
松の木の周りを動きながら拍子を変えて、蹴って突いた。
ある朝、家主のオバサンが二階の窓からそれを見て拍手をしてきた。
家主はMRSマケイローというチョット太り気味な55~6歳ぐらいの婦人である。
勿論「お歳は幾つですか?」など聞けない。MRSマケイローさんが、拍手の後「そんなに強くパンチやキックしたら松の木が倒れてしまうかも?」こんな感じで声をかけてきた。
マジかと思ったが、次に彼女がJoke{冗談}と言ってきた。
あの頃アメリカ人の冗談に、ついていけず戸惑ったことが多かった。
庭の隅の松の木は大人が3人位両手を広げて囲むぐらいの大木である。
千回万回突いて蹴ってもビクともしない太さであった。
でも故総裁だったら「君~やれば出来るのよ、そんな木一発で倒してしまいなさい。極真カラテ・・・」なんって言ったかもしれない。
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9月が終わろうとしている。それでも、バーミンガムは残暑が続く。
朝の散歩いつもの小道、ところどころに枯葉が目立つ。
雑木林の中も半分ぐらいは枯葉で覆われ始めている。
セミの鳴き声が消えて、かわりに虫の鳴き声が聞こえる。初秋である。
私は歩き始めて5~6分で汗が噴き出る。
昨晩稽古の後飲んだビールの美味かったこと、汗の中にその香りが感じられる。
ときどき林の中を通る風が汗を拭ってくれる。
夏の暑熱を含んだ風は重く、身体にまとわり付くようで涼しさを感じないが、今朝の風は、サラサラと軽やかに涼しく、身体の汗を拭いてくれるようである。気持ちがいい。
朝夕は涼しくなったが、例年残暑は10月まで続く。
と言う訳で汗を流しながら書いた、ワンダフル空手第25話である。
いよいよ深南部アラバマに出発
アラバマは猛暑が続く。家から一歩外に出ると、熱気が身体にまとわりつく。
暑さだけでなく湿気が強いせいか空気が重く感じる。
朝の散歩、ステラもハナも歩き始めて10分ぐらいで、息が上がってしまうようだ。
別にステラとハナが私に話かけるのではなく、口を開けハーハーと息が荒くなり、歩くテンポが落ちてくるからである。ときどき恨めしそうに私を見る。
そこで私が目線に力を込めて、息が上がってからが本当の稽古がはじめんだ!気合を入れろ!・・・俺も頑張る、と言う。ホントである。
残暑の厳しい中、朝の散歩私も気合を入れないと何かと理由を付けてサボってしまう。
しかし正直に言って、ステラとハナの気持ちがよくわかる。
と言う訳で、暫くご無沙汰したワンダフル空手第24話である。
NYで約2週間ぐらい兄貴の世話になった。勉強になった。
兄貴の道場で見たダイナミックな指導、稽古の内容、黒帯、茶帯などアドバンスの門下生のレベルの高さに驚いた。刺激が強すぎるぐらいに感じた。
東京の極真会総本部の道場が世界で一番レベルが高いと自負していたので、自尊心が傷ついた。その自信と言うか傲慢な気持ちが兄貴の指導、稽古中見えた門下生の高度な技や動き、レベルの高さに圧倒されてしまい、揺らいでしまった。
気持ちを締め、初心に帰って気合を入れなければいけないと本当に心から思った。
私は気合の塊となった。眼が三角四角になり肩が張り胸を突きだし兄貴の顔をみて「必ず極真カラテを深南部に発展させる」と啖呵を切った。
そんな気負い過ぎている私を兄貴は笑いながら、とにかく体に気を付けて頑張れと空港まで送ってくれた。
写真:ホント若かった
だいぶご無沙汰してしまった。季節が変わり年も変わってしまった。
一月二十日、冬の曇り空はなぜか気分が落ちる。朝の散歩それでも気合を入れてステラとハナを連れて外に出る。雑木林の中、くすんだ緑色の野草が、枯葉で覆われている。
両脇の木々も、すっかり裸になって、細い枝を風に震わしている。
みんな、じっと我慢して、何かに耐えいているように見える。
静寂の世界である。だがそこに力を感じる。
ワンダフル空手だいぶご無沙汰してしまった。
いつも心の中にあるのだが雑用に流されてしまった。
正直に言うと雑用に流されたことは確かだが、本当は怠慢によることもある。
しかし昨年の晩秋は旅が多かった。10月、11月と続けて日本への旅、12月は家人とLAにナント11日間の旅であった。
これは新記録である。まさに強化合宿の毎日であった。
暮れから正月の賑やかな気分が取れ始めた。そろそろ気合を入れて稽古に指導に専念しなくてはいけない。と言う訳でワンダフル空手第23話である。
私のアメリカ行きが決まったと同時に磯部のブラジル行も決まった。
極真総本部での私の役目も一段落した。後任のチーフインストラクターには三浦が決まり、岸、東谷、コリンズ、など一騎当千の黒帯が若獅子寮で生活していた。
帯研も常に20人近く出席していた。
いつもみんな熱のこもった稽古で激しく汗を流していた。
時として総当たりする、激しい組手の稽古もあったが、みんな助け合い和気あいあいとした雰囲気が道場内に溢れていた。
あの頃の極真総本部は盤石な指導体制が出来上がっていた。
私が居なくとも全く心配なかった。私の仕事は終わったのである。
このさきは極真カラテの看板を背負って海外に出て、自分の可能性にチャレンジする時期が来たのである。既に30歳を超えていた。
今おいてチャンスはもう来ないと思った。
5月の末ごろから6月の中旬までここバーミングハムの街には泰山木{マグノイヤ}の花がアッチコチで咲く。
朝の散歩の中、泰山木の白い大きな花が、風に揺られて甘い香りを、それとなく、はこんでくる。自然の香りはシャネル5などの香水よりも素晴らしい。
もっとも、シャネル5の香りなど全く私は知らないし、縁が無い。私見である。シャネル5は関係ない。カラテの話、ワンダフル空手第22話である。
何とか全日本選手権が終わった。
多くの人から「師範、感激しました」とか「良かったです・・・」等と慰めてもらっているのか、それとも褒めてもらっているのかわからない言葉を貰った。
そんな言葉をもらう度になんとなくくすぐられているような感じを禁じえなかった。今回は百人組手である。
その記念すべき日は9月の始めであったように思う。
しかし、仔細は霧の中である。
何とか思い出そうとしてこの2~3週間苦労した。
記憶や思い出の中にもいろいろあって、何時までも鮮明に思い出せることや、時間とともに内容が曖昧になっていく記憶がある。
記憶の輪郭が曖昧になるのは何故かと考えたが、答えは出なかった。
ただ言えることはその記憶に自分の気合いが向かなかったという事と、情熱と言うか、パッションを持てなかったことが関係しているのか、と思った。
何か回りくどい様な話になったが、ようするに百人組手に挑戦したが、そこには溢れる様な気合、情熱が無かったことが原因で思い出すことに苦労している。
しかし私の自叙伝、ワンダフル空手を書き続けるのにはなんとか思い出して書き留めなければいけない事である。
悶々としている日が続く。
そこで、ときどき私の秘書役なってくれるアトランタのツトム師範に電話を入れる。
「オイ、俺の百人組手の事知ってるか?」
「オス、よく知ってます」以外にも、自信のある声が返ってくる。
「昔の雑誌、極真会の現代カラテマガジン月刊誌に載っていたのだが、その雑誌が見付らないんだぁよ、お前探せるか?」
「オス、簡単に探せます」
「エッ、簡単に探せるのか、どうやって?」
「オス、大山泰彦百人組手とヤフーに打てば出てきます」
「なに~、なんで俺の事がそんなに簡単に出てくるんだよ、誰がそんな事許したんだよ」
「は~、最高師範、今は21世紀で御座います」
と言う訳で、道場の屋根裏やガレージの中、昔の箱をほじくり返して現代カラテマガジンを探していたのが、パソコンでツトム君の指示に従って打つと、ななんと、なんと本当に出て来たのである。
何日も苦労しながら探しまくっていた自分の無知さにあきれる。
俺は時代からの残されてしまったのだろうか?真剣に考えた。
便利になったと思うが、なんとなくプライバシーがなくなるんじゃないのかな~・・・とも思った。
・・・まあいいか、IT革命に反抗しても私に勝てるわけがない。
しかし凄い世の中になったと本当に感じた。
と言うわけで、私の百人組手である。
日本での春の講習会が終わりアラバマに帰ってくると一面に新緑が覆っている。
むせるような緑の力である。今はアゼリヤが色とりどりの花を咲かせている。
アゼリヤは甘い蜜があるのかミツバチがブンブンと飛んでいる。
春の朝はことのほか野鳥の囀りが煩く聞こえる。
さてワンダフル空手、だいぶ御無沙汰してしまった。
日本での春の講習会も終わり、こちらでのアメリカンズ・カップも無事終わったのでワンダフルカラテ第21話に気を向ける。
気を向けたまでは良いのだが、なかなか集中できない。
理由は何かと考えた。なんと驚くなかれ、溢れるほどに、どんどん出てきた。
一つ一つを書くとワンダフル空手にならない。
稽古をサボル生徒の顔が浮かぶ。
メールを送っても返信がナカナカこない直井の顔も思い出した。
エクスキューズはいくらでも考えられる。
それが平凡な人間なのかも知れない。何とか気合を入れる。
前回のワンダフル空手は極真黒帯裏話その二であった。
間が空き過ぎたので、話を昔に戻す。
総本部に戻り、まず私がやらなければいけなかった事は指導員の確立であった。
あの頃は、極真総本部にしっかりした指導員体勢が出来ていなかった。
大山館長と私、二人ともまだ若かった様に見える。
九月になった。いつもの散歩道こころなしか枯れ葉が多くなってきた。
虫の音も、小鳥の囀りも季節が変わろうとしていると、鳴いているようだ。
雑木林に入ると蝉しぐれが身体を覆う。
鳴き声に去りゆく夏を惜しんでいる響きがある。
それでも残暑はまだまだ続く。
青空の色が濃く、深くなってきても、暑さは執拗に10月の初旬まで残る。
気は抜けない。
そこで前回に続いて極真総本部指導員裏話その二である。
東谷が内弟子になった頃、海外からも内弟子希望者がポツポツ現れた。
同じように日本の国内からも内弟子希望者が出てきた。
私も面接を何人か担当した。
殆ど父親同伴であったが、時として本人が一人で面接に来たこともある。
館長{故総裁}が面接する場にも何回か呼ばれたことがある。
殆どの内弟子希望者が、姿勢を正して座り眼を爛々と輝かし、はきはきとこちらの簡単な質問に答えていた。
2~3記憶に残っている彼等の言葉がある。
なぜ思いだしたかと言うと彼等の台詞がとても印象に残った・・・というより格好良過ぎたからであるかも知れない。
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夏の空は猛々しい。入道雲がむくむくと青空を浸食していく。
ぎらぎらと容赦なく陽の光が辺りを白光のせかいに塗りかえるようだ。
天も地も燃えているようだ。
気合がないと暑さに負けてしまう。
そこでワンダフル空手19話である。
今回は極真総本部指導員裏話である。指導体制も充実して毎日が順調である。ときとして全てが順調であると、生活のテンポに余裕が出る。
余裕が出ると珍事が起きる。
今日は極真総本部指導員裏話を挙げてみる。
裏話の最初は昼寝である。
極真会館の4階は故総裁の住まいであった。
3階には会議室と館長室があった。道着をストックする細い部屋もついていた。
2階が本部道場であった。
1階にも道場があったが、ちょっと変わった道場であった。
写真撮影のためのスタジオに使えるようにアレンジしてあった。
壁と床板が白いペンキで塗られていた。
1階の入り口のすぐ横が指導員室でその隣が事務所、ロビーには壁いっぱいにガラスで作られた展示ケースがあり、中に歴史を語るトロフィー、写真いろいろと展示されていた。
指導員室にはインターホーンがあり館長室から呼び出しがあると階段を走って館長室まで上がる。一気にあがる。歩いて上がることはない。
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日本から帰ってくるとアラバマは夏になっていた。
今回の支部長合宿みんな頑張った。でも初日の稽古、凄かった。
ここはサウナかと思ってしまった。
我慢の男、野武士の鈴木師範がとうとう、
「オイ、直井。換気扇回っているのか?エアコン入れたら良いんじゃないか?」
ホントあの言葉で救われたようだ。「直井先生ちょっと渋過ぎないか?」