桜が満開である。
風に吹かれて花吹雪になる。薄ピンク色の柔らかい花びらが舞い散る風景は、なんとも言えない風流である。ここバーミンガハムは吉野桜が殆どだが、時々枝垂れ桜も見かける。
春の講習会を何とかこなし、時差ボケと戦っているところである。
久しぶりに、支部長、黒帯や他の門下生と汗を流して気持ちが良かった。
萩の講習会の後、島本支部長が、島根の樋原先生がロシヤ語がペラペラで、広島の中村先生が東南アジヤの言葉が結構こなせると言っていた。驚きである。本当に人は見かけによらない。
重量級三連覇の直井先生もアルコールは全然駄目のような顔をしているが、
「お酒飲むの?」と聞いたら、
「オス、大好きです」
と力強い返事が来た。でもその日彼は運転していたのでビールには手を出さなかった。冷たいビールを飲みながら、ジュージュー焼ける上ミノを食べていたら、直井の目に時々殺気を感じたのは私の考えすぎかな?
・・・・しかしあの直井の目線は恨めしそうだったナー。どこか済ましたエリートの様な顔をして、がんがん飲むとは、全く人は見かけによらない。
・・・そう言えば日本の責任者鈴木師範、戦国の武将のような、顔つきをしている。雑踏の中も、レストランでも、何処でも絶対に隙を見せないように見えるが、飛行機に乗っても、新幹線、車の中でもとにかく座ったとたん、寝息を立てる。真に大物である。長生きするのは間違いないようである。二日間の旅どっちが世話役でどっちがボディガードなのか分からなかった。本当に人は見かけによらない。
・・・そう言えば、よく道場にもミスター筋肉マンという奴が時々入門するが、周りの連中が、オ、強そうだと言うのだが、いざ稽古が始まると鏡ばっかり見て、格好ばかりつけてちっとも技が身に付かない。組手になってもすぐに何かと理由をつけて見学に回ってしまう。全部が全部と言う訳ではないが、見た目のいい奴が結構多い。全く人は見かけによらない。
ここまで書いてきて、私がアメリカに来たての頃を突然思い出した。当時住んでいたアパートはそれまでの日本の生活四畳半の部屋とは異なり比較にならないほど豪華であった。クラブハウスまであり、テニスコート、スイミングプールもそろっている所であった。その頃は指導が殆ど夜だけであった。
当然昼間は時間がある。
なにを気取ったか解らないがテニスを始めた。昔からスポーツは何でもこなす自信があった。見よう見真似でサーブも出来るようになり、もしかしたらテニスでも食って行けるのではと思ったか否かは確かでないが自分の腕を誰かに見せたくてしょうがなかった。そんな時丁度三浦師範が日本からシカゴに行く前に私の所に寄った。
「おー、三浦テニスやった事有るか?」
「オス、ラケットを握ったことはありますが随分前の事ですので、自分自信がありません」
・・・とか何とかの会話をした後外に出た。確か、季節は初夏であったと思った。真っ青な空の中、陽はさんさんと降り注ぎ、森を思わせるような緑に囲まれ小鳥の囀りを聞きながら、私は真新しいテニスウエアーに身を包み、これも買って間もないテニスシューズを履き、新品のラケットを持つ。三浦師範にはソロソロごみ箱に棄てなくてはいけない様なラケットを渡し「じゃーテニスでも教えてやるか?」・・・と格好をつけたように思う。三浦師範はジィーパンにT—シャツ、素足であった。姿、格好は格段の差が有る。正にプロとアマである。私は得意になっていた。だが、だが現実は非常に厳しくいざ、始まってみると私のサーブを彼はいとも簡単に打ち返して来るではないか。「エー、ウソ」と思った。しかしウソでもマグレでもなかった、打ち返してくる球は右に左にコントロールよく鋭く残酷に飛んで来た。それに彼のサーブは私の新品のラケットにかすりもしないのである。
全く歯が立たなかった。
始まって2−3分で
「オイ、何だよ一体参ったなー」
「オス、シツレイシマシタ!学生時代体育実技の時間にテニスをちょっとやりました。」
・・・ホント人は見かけによらない。
さて話がアチコチに飛びすぎるのでこの辺で今回は終わりにしよう。
最後に長年の課題であった物語、”内弟子INアメリカ”を書き上げた。昔からお世話になっているアル出版社の社長に見せたら、「エ、本当に自分で書いたの!」・・・・何か昔からカラテ家は渋い顔して肩を張っていなければいけない様な言い回しである。あの社長、きっと「人は見かけによらないナー」と思っているかも?
・・・ワールド大山カラテの皆さん頑張って稽古に仕事に勉強に励んでいますか?
・・・走れる時に走り、跳べる時に跳ぶ。突ける時に突き、蹴れる時に蹴る
・・・オス!!
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