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国際大山空手道連盟 WORLD OYAMA KARATE ORGANIZATION

2016年春季講習会

日本から帰ってくると、桜は散り始めていた。
家の前庭の枝垂れサクラの花びらが玄関の階段に散っている。風流である。
朝の散歩、小道の両わきもワイルドフラワーが咲き乱れている。
林の中に野生の藤の花が枝先に絡まって薄い藤色の花を見せている。
春は力をくれるようだ。しかし今回の時差はなかなか取れない。
と言う訳で春の講習会である。

 

3月16日出発。早朝5時半カールが迎えに来る。いつものようにアトランタから成田まで空の旅は順調であった。
3月17日午後3時過ぎ成田空港到着。
直井先生、郷田師範に迎えてもらう。驚くなかれ今回は直井、時間どおり。
ホテルに向かう途中、思いがけない昔の友人の長棟からのメッセージをもらう。
この欄にエッセイを連載しているが、昨年“ベストフレンド力男”と言うエッセイを書いた。その中で、力男と明大の仲間4人でダンスパーティーをやったことに触れた。長棟は、その時の一人明大のクラスメートであった。
私のエッセイをうちの門下生以外の人が読んでくれたことに、ちょっと驚きと、同時に感激である。早速電話を入れる。50年以上も話してない友人である。名前も顔も正直に言ってすぐに思い出せなかったが、話しているうちにおぼろげながら姿かたちが浮かんできた。スレンダーな身体、ダンスパーティーを組んだ4人の中で一番、男前だったようだ。今風に言うとイケメンであったように思う。そういえば、立教大学のボロアパート内にあった極真会の道場にも稽古を見に来たことがあったよう思う。彼もどこかの空手流派の黒帯だったと記憶がよみがえってきた。まだ現役で活躍しているようなので、嬉しく思った。
何とか再会をしてみたい。

 

3月18日金曜日 午前中はゴルフ。泉会長がメンバーの名門戸塚カントリークラブである。郷田師範それとマサ師範の親父さん高橋氏の4人であった。
マサの親父さん、株式会社オリオン化学の社長を務め、極真会館の役員でもある。凄い肩書を持っている。
快晴に恵まれて楽しいゴルフであった。
ゴルフの内容は書かないし、教えない。
夜は松井館長が、兄茂総主の偲ぶ会を設けてくれた。郷田師範それにマサの親父さんも出席してくれた。食事をしながら兄貴の昔話で盛り上がった。
最初は松井館長の話から始まった。
世界選手権の前にNYの兄貴の道場に稽古に行った時のストーリーであった。
渡米する間に充分稽古を積んで、どんな稽古でも自信があったようである。
ところが最初に兄の指導を受け終わったとき、稽古の内容と激しさがまったく違ったレベルの厳しさであった。いつもなら腹が減って来るのだが、クタクタになり、飯どころではなく、ただ休みたいだけと言っていた。
チャンピオンになれたのも兄の稽古指導のおかげだと話していた。
胸につまらせる話である。

次は郷田師範が語ってくれた。猪木対ウイリー戦の前に、ある日故大山総裁に「郷田すぐ私の部屋の来るように・・・」と連絡が来た。
部屋に入ったとたん「キミーアメリカに行って茂と泰彦に会って来てくれないか、あの二人に猪木対ウイリー戦をやめさせるように説得してきなさい・・」もちろん返事は「オス」である。「君、この電話を使って国際電話をかけなさい」あの頃は国際電話はとても高価であった。総裁は椅子に座っている。秘書の人が電話を回す。電話の向こうは私である。「もしもし、オス郷田です」「オス、勇チャンどうしたの?」{あの頃我々は郷田師範をチャンづけて呼んでいた。実は今も同じである}「ちょっと総裁の命で話に行くからNYの総主に迎えに来るように言ってくれないですか?」「なんの話なの?」「着いてから話します」「もしかして猪木対ウイリー戦の事」総裁が傍に座っているのである。郷田兄、声が漏れないように耳に受話器をしっかりと付けている。「まあ~そんなところです・・・」「そなんだ、じゃぁ~ちょうどいいから、猪木対ウイリー戦なんかいいから、兄貴と三人でフロリダに遊びに行こう」「オス、それはいい考えです、ウム、ウム・・畏まりました。そこで{フロリダ}じっくり話し合いましょう」郷田兄なかなかの役者である。NYについて一泊して次の日二人で私のとこに来る。ところがチョットした事件があった。昔は空港のセキュリティーも今ほど厳しくなかった。JF空港内、兄貴と郷田兄が無事に機内に入りワクワクしながら座っていたのである。出発寸前、アベックが汗を拭きながら兄貴達の席の方に荷物を抱えながら来る。困惑した顔つきで「ここは私たちの席です。貴方たちは間違って座っている・・・」と言ってきた。兄貴が「ないって言ってるんですか、このチケットをみろ」と差し出す。座席番号は間違いない。スチュワーデスが飛んでくる。如何したんだと二人のテケットを見比べる。同じ席番号であった。頭を捻る。そこにもう一人スチュワーデスが来る。美人だったので兄貴も郷田兄も座席の事を忘れて見とれたらしい。その美人のスチュワーデス微笑をたたえながらチケットを調べる。「オウ~、貴方たち間違ったフライトです・・この便はサウス・コリヤのソウル行です」・・・まったく、昔の空港係官もいいかげんである。二人ともフロリダではなくソウルに行くところであった。
兄貴もいいかげんであった。とにかく何とか無事にアラバマに着いた。
すぐに車でフロリダに行った。勿論猪木対ウイリー戦の話など全くでなかった。
「オス、総裁スミマセン、とても楽しい旅でした。ゴッアンです」
その時の旅で面白い出来事があったんだが、話が長くなりすぎるので次の機会にする。

 

最後に私が思い出話をした。入門してどれ位か忘れてしまったが、稽古に慣れてきて、だんだん興味が出てきだ時だと思う。ある日稽古が終わっての帰り道、兄貴が15円のかけ蕎麦を食べさせてくれながら「空手の稽古が、面白くなってきたか?」と私に聞いてきた。私が「うん」と返事をするのを待っていて「よく聞け、春山を何時も見ろ、あいつが100本突いたらお前は200本突け、あいつが100本蹴ったらお前は200本蹴るんだ、何時も彼奴の倍の倍稽古しろ。春山の動き、技、全てをよく見てどんな癖があるのかよく見極めろ。お前は気合を入れて稽古を続ければいつか必ず、春山に追いつく。いいかいつも春山を見ろ。いつも春山を考えろ。・・・」あの時の兄貴の顔、忘れられない。食事をしながらだんだんといろいろ思い出し、胸が熱くなってきた。
本当に兄貴と春山が居なかったら今の私はなかったと思う。

 

兄貴の偲ぶ会はそれで終わったが、食事の後カラオケに連れて行かれた。
まいった。ホント、参った。
驚いたことに郷田兄も松井館長もマイクを持ったのである。
最後に私も歌わされた。しょうがないので、ゴンドラの唄を選曲した。
画面に歌詞が出る。しかし私の唄声が、なぜか先にいってしまい、唄い終わってもまだ歌詞が流れていた。
郷田兄が「まったくしょうがないな~」と舌打ちしながら、「歌詞の色が変わる拍子に合わせて歌うの・・」そんなこと言われても音痴はどうしようもないの。
しかしマサの親父格好良かった。マイクを片手に、リズムに合して軽く踊りながら、目線をあっちこっちに向けて、ランラン・・♪♬♪“僕らは皆カラテの子・・・”なかなかうまかやるなと思った。参った、参った。
カラオケを二軒もはしごである。
二軒目で、泣きを入れる。やっと許されて、ホテルに戻る。

 

山崎照朝が兄貴をとても慕っていた話を松井館長から聞き、電話番号を貰う。部屋から山崎に電話を入れる。生憎留守だったので、メッセージを残す。
暫くして私の部屋に山崎から電話が入る。電話の向こうで山崎がいかに兄貴が逝ってしまったことを残念がっている心情が伝わってきた。
兄貴は心が広く、誰からも慕われたようだ。
カラテ道以外はまったく無欲な人であった。ビジネス、経済的な損得、組織のしがらみ、建前も本音も使い分けることもなく、いつも全ての自分をさらけ出して、空手道に生きた人である。そんな人を私は兄貴しか知らない。

 

3月19日土曜日
夜は佐々木の道場、20周年のパーティーに出席する。
パーティーの始まる前に、郷田師範が茂兄の話をする。その後、参加者全員で茂兄の冥福を祈り黙祷を捧げてくれた。感謝。
私も簡単なスピーチをする。パーティーは佐々木師範の門下生の演武、政治家のスピーチ、その他極真の支部長の話などで盛り上がった。
松井館長に送ってもらう。

 

3月20日日曜日晴天。
いつもながら鈴木師範が時間ピッタリに迎えに来る。
姫路講習会、時間があったので世界的に有名な白鷺城を見学に行く。祭日なためか、もの凄い人出、車の中からの見学だけにする。山本師範がいつもの真面目な顔つきで「“白鷺城”と言わないで今は“白過ぎ城”と言ってるようです」とあまり面白くないジョークか、ダジャレを言う。山本道場の黒帯岩崎、高本が、シハンどうしたんですか・・とへんな顔つきを見せる。誰も笑わなかった。
講習会は基本の型その一から八、そこから型の中の技を使っての組手を指導する。無事審査も終える。テル先生の門下生、動きも気合もピシッとしていた。
島本、下岡、藤井、崇高、三歩一、中村、堤花も元気な顔を見せた。
帰りの新幹線鈴木に負けずに鼾をかいて寝てしまったようである。
東京駅に着いたとき、鈴木が「良く寝られたようですね…」と何か恨めしそうな顔つき。
疲れているんだから、仕方がないでしょう。

 

 

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3月21日月曜日 マサ、石川が朝10時に迎えに来る。
簡単な食事を済ませて会場に向かう。
講習会のテーマは姫路と同じ。100人以上出席していたので二組に分けて指導する。少年達の気合いが落雷のようであった。なんか技や動きに気合を入れるというより、怒鳴り散らしているようであった。「どこの道場生かな~?」
午後1時ちょっと前から始まって終わったのが夕方の6時ごろである。
俺も歳に似合わず頑張れるんだな、と感心する。いい汗が流せた。
ホテルでシャワーを取り、すし屋でマサと石川を交えて食事をする。
二人とも遠慮する事を知らない。バカバカ食べている二人を見ながら、昔兄貴が内弟子に寿司を食べさせるときは、まず寿司屋に行く前にマクドナルドに行ってビック・マックを二つ食べさせてから寿司屋に連れて行くんだ・・・と話していたことを思い出した。次は私も、コンビニ寄ってお握りを三つばかり先に食べさせて寿司屋に連れて行くことにしようと思った。
何事も先人の知恵から学ばなくてはいけない。

 

 

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3月22日
力男にお線香をあげに行く。フーチャンと歓談、帰りに朝出版社により、原社長と歓談、田家さんに“内弟子INアメリカ“の本を日本のアマゾンから電気書籍にしてもらうように頼む。原社長快諾してくれた。最後の夜は郷田師範と竹寿司で食事。早々にホテルに帰る。明日は我が家に帰れる。

 

3月23日 水曜日朝6時前に鈴木が来る。審査と稽古指導について話し合う。マサがその後来たので、カラオケで親父さんが唄った演歌の話をしたら笑いだした。勿論私は真面目に言ったので笑なかった。念のため。郷田師範と部屋で昼食。お互いに健康に注意をしようと語り合う。6月の再会を約して別れる。
今回も無事指導ができ、門下生から元気をもらった。
まだまだ50年位は一緒に稽古ができる。感謝である。

 

健康第一 オス

コメント (1) | 2016/04/08

エッセイ

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“2016年春季講習会”へのコメント (1)

  1. 羨望の 人生における師、大山泰彦最高師範殿
    初めまして、現在 岡山在住60歳の成重正治と申します。
    メールであっても今興奮を覚えます。
    私は高校時代から40年以上の極真、そして大山泰彦最高師範への
    人としての憧れを持ち続けています。
    私自身が個人的には前山守弘氏との関係もあり崇高なる最高師範のお話しをお聞きする度に、偉大でそのお人柄の素晴らしさは重ね重ね敬服しています。
    郷田最高師範、前山氏と3人で田端の美酒に酔った日のお陰で
    向上心に刺激を受け、その後 57歳でMBAを修了出来ました。
    突然で不躾は承知の上ですが、私の家宝にしたく、どんな些細な物でもお捨てになる物でも結構です、
    生涯無二の宝にしたく、 極めて失礼で唐突は承知でお願い申し上げます。
    遠く日本、岡山から大山最高師範の益々の栄光を祈念しております。 以上

    from 成重正治 ナリシゲ マサハル(2016/06/18)

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