春になると、明け方から小鳥の囀りが聞こえてくる。
長閑なリズムにも聞こえるのだが、まだ夢の中を彷徨っている貴重な時間「君達ちょっと静かにしなさい」と言いたくなる。
歳を取ると睡眠が浅くなる。なんだか知らない夢を溢れるほど見る。
それでいて、起きると何の夢だったか思い出せない。
自分の身体が見えない、拍子で変化しているようである。
それでも朝の散歩は気持ちがいい。見るからに柔らかそうな、新緑。
そっと吹き抜ける風に踊らされて、サワサワと朝陽を照り返す。
アラバマは春爛漫である。
しかし、これからロシヤ遠征である。
きっとロシヤはまだ冬の名残が残っている事だろう。
寒さが残る国への旅は気合がいる。しかしロシヤの門下生が待っている。
まだまだ身体は動く。喜んで、スキップでもしながら旅に出よう。
・・・と言いう訳で4月20日午後2時に出発した。
まずアトランタに行く。そこからアムステルダムに向かう。
アトランタから約8時間半、ぶじアムステルダムに到着。乗り換えである。
セント・ピータースバーグのフライトの便はすぐわかった。
ゲイトに着いて予定表を見る。時間どうりと掲示板に出ている。
本でも読もうとしているとき、横から「オス最高師範」と渋い声。
振りかえると斉藤師範が元気な顔つきで立っていた。頼もしい男である。
約3時間チョットのフライト、それほど悪くはない。
セント・ピータースーバグに着く前、機内から見下ろすと地上には緑は見えなかった。
雑木林も森も裸木だけである。2年前に来たときは、氷と雪の世界であった。
今年はいくらか暖かいようである。
空港にはロシアの支部長のキューロス師範の一行が迎えてくれた。
それに日本から既に到着していたマサ師範と直井先生が迎えてくれた。
早速私にコートとマフラー渡してくれる。
マサと直井がコートを着させてくれたのではなく、ロシアの支部長が用意してくれていたのである。念のため。空港から一歩出ると、寒気が身体を縛るように襲ってくる。
気合いを入れないと寒さに負けてしまう。春はまだ遠いようである。
前回と同じようにホテルのロビーで幼年部の子供たちが歓迎の演武を披露してくれた。
部屋は前回と同じ部屋であった。
数年前までロシヤへの旅はトイレ・ペーパーを持参しろとガイドブックに載っていた。
前回は直井のスーツケースの中にトイレットペイパーがはいっていた。
かく言う私も前回は家人が持って行けと言うので持参したのだが、ここのホテルはアメリカのトイレット・ペイパーと比べても遜色がない質である。ホントである。
パリやアムステルダム空港の紙よりは柔らかい。これもホントである。
ちょっと話がトイレにこだわり過ぎるようである。また脱線である。
しかしトイレの話は重要な問題である。しかしここで話を戻す。
夜は私の部屋でミーテング。3人の逞しいカラテ家を見ていると、なぜかフランスの古典三銃士“three musketeers“ Alexandre・dumas作、を思い出した。
「All for one、one for all 」あの有名な台詞。
しかし注意して三人の顔をみると、三銃士とは程遠い顔つきであった。
三銃士は消えてしまった。
話が始まる前に「最近君たち稽古してますか?」と尋ねる。
ロシア遠征は昨年から決まったことなので、ベスト・コンデションであることは当たり前である、と思ったが念には念を入れる必要がある。
彼らの日頃の修行の成果を聞く機会である。
勿論、マサも斉藤も「ベストコンデションです」とすぐに答えたが、何となく信用がおけなかった。直井はチョット呼吸を置いて小さい声で「オス」と答えて終わりである。
「そのオスはどんな意味だ?」と詮索しようと思ったが、例の優しい目つきでパチパチしている顔をみていたら・・・やっぱり三銃士じゃないな、と思った。
キューオリス師範は“ヌンチャクその二構え“の型を指導してくださいとのことであるが、誰が先に立って指導をするか、となった。
三人の顔色をまたジックリと見みる。直井だけが陽に焼けた力強い顔色をしている。
さらによく見ると、顔だけでなく胸、腕、脚も焼けている。
自然と「うーん」と唸った。きっと燦々と照り輝く春の陽を浴びて上半身裸で地元、深川の街中を、映画“take a chance” の有名な、郷田師範出演のシーイン「ワッショイ、ワッショイ~」を真似して走っているのではないか。
それともマンションの屋上で道着のパンツだけをはき、凛々しく黒帯を締め朝日を受けながら毎日稽古に精進していたか…などと想像して仕舞った。
これは私だけでなくマサも斉藤も同じような感じが、その目線に出ていた。
マサと斉藤はなぜか直井に比べると顔色が白い、何となく野生の猛々しさが欠けているように見える。その点直井は逞しく頼もしく感じる。
なんと言っても、両頬に力強い筋肉がついているあの長方形の顔、男の魂、サムライの顔である。と言う訳で直井が先頭に立って“ブンブン”ヌンチャクを振ることになった。
一番前には直井が決まり左と右にマサと斉藤が付く。後ろには私が入り四方を決める。
話がそこまで進んでのだが、直井がいつものように眼をパチクリパチクリ始めた。
彼の動揺した時の癖である。直井は正直な男である。
直井は奥さんの事を「妻」と言う。妻、ツマ、響きに日本の伝統的な文化を感じる。
ちなみに斉藤は奥さんの事を「ボス」と言う。その気持ちなぜかよく理解できる。
マサは自由人なので「ふーん」と分かったようで分からない顔つきで聞いている。
私は「ボス」になったり「おーい」「あの~」「もしもし~」適当に相手の雰囲気を読みながら変えている。話がまた、脱線してしまった。
面白くないのでロシアの旅に変える。
結局直井が先頭に立つことになったのだが、もじもじしながら「ヌチャクその二 構え」はまだ自信がないと言い出す。そこでホテルの部屋の中で特訓である
次の日、講習会さすが深川の鬼サムライの直井である。みごとこなした。
稽古が終わってキューロスのオフイスで皆一緒に着替える。
自然と着替えているとき、皆の逞しい裸体が視界に入る。
マサも斉藤も顔、肩、胸、背中なんとなく白っぽい。
だが直井の身体は、なんと前も後ろも全体的に同じように陽にやけている。
そこで疑問が生まれてしまった。疑問ははっきりと答えを出さないと精神的に良くない。マサと斉藤も首をかしげている。そこで、そばの斉藤に「オイ、ちょっと直井の胸や腹と、背中おんなじ色にやけているように見えるか?」と聞く。
斉藤が「最高師範、直井先生のやけた色は外で太陽にさらして焼いた色ではなく、サンルームで焼いてるように見えます」
「サンルームってお金払って、横になったり、立ったりして身体を焼くやつか?」
「オス、お尻を見たら一番よくわかります」
「オイ、まさか直井に、お尻を見せろとは言えないよ」
傍で聞いてたマサが「ワッハ、ワッハ・・」と噴出した。つられて私も斉藤も噴き出す。
「直井、お前身体どこで焼いたんだ?・・・正直に答えろよ」と詰問する。
「通ってるジムで汗かいた後サンルームに入って焼きます。5百円で安いので・・・」
全く屈託なく答えてくれた。直井は素晴らし、なんでも素直で正直に答えてくれる。
「白い顔をしているより、陽に焼けた顔のほうが力強く見えるし、人によるとセクシに見えるらしいデス」参った。マサも斉藤も降参である。
よくウエイトリフターや芸能人たちが1年じゅう陽に焼けた顔や体をしているのを見る。
そこでジョーク、冗談が出た。
「お前まさかその顔でホストクラブに勤めようなんて思っていないよな?」
「オ~ス それはないです。妻に叱られます」また、参った。
23日講習会は、子供たち、そのあとに組手の指導。気合いが入ったエキサイトした稽古になった。子供たちも親も、お爺さんも、オバーさんも、みんな喜んでくれた。
記念写真が延々と続いた。
24日午前10時から黒帯審査会である。ロシアでの審査は必ず医師が同席する。
法律で決まっているようである。
基本から型、その応用の移動稽古。武具の基本、型等とみる。
前にも話したことがあるが、ロシアの空手のレベルは非常に高い。
昨年極真会の世界大会に招待されたとき試合を観戦したが、ロシアの選手は強かった。
技や動きに普段から研究しているものが見える。
前回の時は軽い組手をマサや斉藤、直井にやらしたが。今回は昇段を受けるまだ若い黒帯を相手に組手をやらせることにする。
正直に言ってこなせるかどうか、ちょっと心配であった。
3人とも組手はやらされる、と思ったがまさか続けて若い黒帯が相手になって来るとは思っていなかったようである。そこまでは考えていなかったように見える。
これは私の勝手な想像である。
3人ともチョット気合いを入れて組手をやってみたい誘惑に駆られていたと思う。
だが、心の隅でなんとなくやりたくない気持ちもある。
勝負してみたいが、やっぱり此処はロシア、旅の疲れ、時差で睡眠も僅か、身体のコンデションも今一だし・・・などといろいろな葛藤があったように見える。
それに、一見すると若そうに見えるが、いつの間にか3人とも中年になってしまった。
斉藤は今年50歳、マサも直井も40代を過ぎている。
それに普段から稽古指導に追われて、自分の稽古が充分できていないと想像できる。
現役で大会に出場してチャンピオンを狙う歳は過ぎてしまった。
いろいろな事情が重なっている。どうしようか、私も正直に言って迷ってしまった。
組手をやらせようか、それともよすか・・・である。いつも彼等に言っている。
「頭の中で稽古をするな、身体で稽古に入れ」とこれが武道の基本である。
私はそう信じている。そこで3人に前に立てと命じた。
結果から言うと3人とも立派にこなしたのである。ロシヤの若い黒帯、最初はなんとなく遠慮しているように見えたが、徐々にエキサイトして激しい組手になった。
マサも斉藤も、直井も三銃士になってガンガン突いて蹴っていた。
ウ~ンまだ若い、ちょっと安心した。
3人ともホテルに帰る途中「勉強になりました」と話してきた。刺激なってようである。
これでまた稽古に気合が入り自分のカラテを練るだろうと思った。
3人にとって、今回のロシヤの旅はいい経験になったようである。
可愛い子には旅、じゃなく組手をさせろ、である。
最も3人とも可愛い子ではない。3人とも私の前で恥をかかないで済んだ。
何とかこなした安堵感が表情に出ていた。ビールを飲む顔にも自信が出ていた。
ワールド大山空手の将来悪くはない。
夜はサヨナラパーテーである。
キューロス師範も先生達も背広を着て、中にはネクタイも絞めて出てきた。
正装に近いスタイルである。三銃士はネクタイは持ってない。
ワールド大山空手のロゴの入ったポロシャツを着ることにした。
詩の朗読をしたり、隠し芸を見せてくれたが、圧巻は3人の若い男の生徒によるロシヤダンスであった。動きにスピードとパワーがある。
ロシアのダンスが終わる寸前、なんと直井が、そのダンスに飛び込んだ。
ロシアのダンス脚でタップしたりいろいろと変化するのだが、直井は前蹴りになったり回し蹴り,なんと飛び蹴りを出してた。なぜかロシアの生徒は足が長く見えるが、直井の足はなんとなく・・・・~である。だが、逞しく感じた。
25日月曜日 朝4時起床、フライトは6時出発であった。
まずパリのシャルル・ドゴール空港で別れ、それぞれの目的地に赴く。
私はアトランタ、斉藤はサンフランシスコ、マサと直井は成田へと別れるのだが、あの空港まったく複雑である。国際空港なのでいろいろな人種の人たちが混雑し合う、それにフランス語、また彼らの話す英語のアクセントが違う。まったく分からない。
みんな焦ったようである。こうなると最高師範も忘れられる。
行く先、ゲイトは自分で探せと言うことになる。
私の荷物も3人が交代で持っていたのだが、自分で持ちなさいである。
人間みな正直に生きる。
しかし斎藤は荷物は持ってくれなかったが、付いてきてくれた。
なんとか頑張ってアトランタ行のゲイトにやっとたどり着いた。
きっと郷田師範だったらドゴール空港で2~3日泊まるようになって仕舞うだろうな~、変な想像をしてしまった。
いつも旅の帰りはホッとする。任務が終わったと感じるからかもしれない。
帰ってくると、アラバマは初夏になっていた。
マグノイヤ{泰山木}に白い大きな花が一つ二つ咲いている。夏はもうすぐである。
健康第一である。 オス
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ロシアに根付いている大山空手の輪がどんどん広がるといいですね。
from sensei F(2016/06/26)