東京から6月30日夕方6時過ぎに無事帰る。バーミンガハムは既に真夏になっていた。
夏の日が西に傾き始めていたが、外はまだ明るさを残していた。
気合いを入れて、久しぶりにステラとハナを連れて散歩に出る。
雑木林の中はセミの鳴き声でいっぱいである。
バーミンガハムは、5月の末から6月になると合歓木にピンクの花が咲く。
我が家にはないが、近所の家には紫陽花が結構多く見られる。
大きな青い色の花がなんとなく日本の梅雨を思い出させる。
バーミンガハムには梅雨はない。
7月に入ると合歓木も紫陽花も花の盛りを過ぎてしまう。
かわりに夏の花、百日紅の花が白とピンクの花を見せ始める。
今回も日本の旅はいろいろと印象に残る出来事があった。そこで支部長合宿である。
6月23日木曜日 早朝に出発。
アトランタから予定通り24日金曜日午後4時過ぎ成田に無事到着。
何時ものように郷田師範、直井先生に迎えてもらう。二人とも元気そうでよかった。
近況を語り合う。ホテルにチェックイン。夜は竹寿司屋で食事、美味かったー。
25日土曜日 支部長合宿初日である。
予定表通りに石川先生とマサ師範が朝10時に迎えに来る。
稽古は1時スタート、早めの昼食をとる。サバの味噌煮 キンピラ、こんにゃく、お新香、なめこの味噌汁あまり食べ過ぎると眠くなるので抑えて食べたが、相変わらず忍耐力がなく、がつがつ食べてしまった。二人とも心配するような眼つきをする。
「君達日本に来る楽しみの一つは日本食を腹いっぱい食べることなんです。だから我慢しようと思っても、ついつい食べ過ぎてしまうのです。分かってください。」声を出さずただ目線だけで交わす会話である。
「ウ~ン、食べ過ぎた・・オイ 昼寝」と今度は声に出して言ったら二人が「オス」と泣きそうな顔色を見せる。
君達、大人の冗談も分からないのか・・・でも本音を言うと正直昼寝がしたい。
今回の支部長合宿課題は、ワールド大山空手の独自の稽古内容、その指導であった。
支部長の中にはいろいろな人がいる。
うちの看板を掲げている以上は稽古内容も指導もワールド大山空手の指導綱要に従ってもらいたのである。当然私も気合が入る。
支部長ほとんどが中年、中には還暦を過ぎた人もいる。
注意してみると、みんなそれぞれ癖を持っている。いい癖もあれば、悪い癖もある。
普段どんな稽古をして指導しているか・・・その姿を想像すると、チョット頭が痛くなる。
だから年一回の支部長合宿、自然と気合が入り過ぎる。
これは何時も自分にも言っているだが、稽古も指導も情熱である。
支部長にどれだけの熱意があるかによって生徒の質が出てくる。
私は指導中に間違いを見つけると、今も昔風に竹刀を使うのだが、直井の道場では竹刀がなく、代わりにプラスチックのバットがあった。
この事、まえに書いたかもしれないが話を続ける。なんとなく直井の人柄が出ている。
バットで尻を叩くと「バシ、バシャ」との音、気合いが抜ける感じがする。
そこで頭を殴ってみた「ポン♪、ポン♪」と乾いた音がする。なんかリズムが出てきた。
殴られた奴も、なんか気持ちが浮いてくるような顔つき。
和気アイアイで稽古している感じであるが、緊張感が消え気合が浮いてしまう。危ない。
いつも私だけが気負い過ぎて、支部長たちにもっともっと期待してしまう。
いい歳こいて、そろそろ和やかに稽古したら・・・と思うのだが困った性格である。
それでも稽古は1時から4時過ぎまで気持ちのいい稽古ができた。
終りに簡単な講話をする。
支部長に門下生を知るということは稽古を通して一緒に汗を流しながら培っていくのだが、
稽古中だけでなく、稽古の前、稽古の後、門下生との交流がある程度必要である、と話す。
指導している人は門下生の性格、生活のスタイル、趣味、長所、短所等いくらかは理解していないと空手の指導はなかなか難しい。
各支部長の技や動き、気合いを見ていると普段どんな稽古をして、どんな指導をしているのか正確ではないが大体想像がつく。伸びている支部長、相変わらず同じ雰囲気の支部長、ホント指導は難しい。講話の続きで最後に宿題を出す。
大会のルール説明、模範演技を二人一組にして明日まで作りなさいと命じた。
自分で審判長になったつもりで、説明、試合ルールの演武をこなすこと。
みんな顔をみ合わせていた。受け身だけじゃ発展はない。
その代り今全世界で話題!?になっている映画「Take A Chance」の日本語版を今夜見せることにする。見ながら眠ってしまうような支部長に感想文をかけと命じてホテルに帰る。
石川とマサ、テルがホテルまで送ってれた。三人に愛情をもってマッサージをさせる。
ちょっと想像してもらいたい。私がうつ伏せになる。その背中にテルが乗る、マサが右足、石川が左足狭いベットの上三人が私を揉むのである。
三人がゴシゴシ、バンバン、くねくね・・と揉み始める。
指先や掌底、で始まる、旅の疲れがとれるようで気持ちがいい。
しかし、そのうち手や腕が疲れてくると正拳、小手、肘、に変わってくる。
そのころから危ないな~と感じ始まる。さらに時間が過ぎると、膝、踵になってくる。
そこで「ありがとう」三人を解放する。
途中から来ていた郷田兄が三人の揉むのを見て呆れ返っていた。
26日日曜日
予定では迎えは朝9時と聞いていたのだが、直井が朝7時に迎えに来る。
時差のため夜中の2時半ごろから起きていたのですぐドアを開ける。
直井が眼をショボショボしながら立っている。
「オイ、まだ7時だぞ」「オス、鈴木師範が今朝の稽古は8時からと申しております」と返事が返ってくる。早い方が私も気合が入る。
直井に「何で予定が早くなったんだ?」と聞くと。「オス、近所に有名な、馬肉のレストランがありまして、そこで鈴木師範が昼食を食べたいようなんです。それと何時も道場で頑張っている寺沢さんと畠山さん二人の黒帯にもご馳走したいようです。二人とも家事や旦那さん子供の世話で外で食事する時間がなかなか見つからないようです。鈴木師範、心が優しいのです。だから時間が早くなりました」「ホントか?」と聞くと「オス」である。
「お前ね~鈴木は心が優しい、俺は招待されていないよ!・・」と出かかったが我慢して
「おまえね~、そういうことは黙っていて、みんな早く稽古がしたいようです。~なんか待てないようです・・・こんな感じで答えるんだよ、おまえはまったく武道の世界を知らないね!」直井まったく正直な憎めない男である。
稽古中、寺沢さんと畠山さん二人に「今日は昼飯は馬肉でよかったですね・・」と言うと。ふたりとも顔を真っ赤にしていた。ホント、青春の真っ只中の女性に見える。
写真 左から永井先生、私、畠山先生、寺沢先生。
今朝の稽古は顔面有りの稽古方法を指導する。まず基本的な攻防を説明をする。
次に「一番勉強になるのは実際に当てっこする稽古に入ることである」と話し。
「みんな遠慮しないで、バンバンやりなさいと」言うと複雑な顔をしていた。
そこで「君たちの相手は、もう人生の峠を過ぎてしまったのだから心配いりません。それに私の顔ではないのだから遠慮はいりません」みんな下を向いてしまった。
チョット可愛そうな気もしおたので、相手がコントロールしたら同じようにすればいい、とアドバイスをする。「始め」と号令をかける。みんな結構熱くなって、殴り合っていた。
まさに“目には目、歯には歯、パンチにはパンチ”である。
昔の偉人は人間の本性を深く知っていたようである。
スマホだIT革命だ、と言っても人間はそれほど変わっていないのかも知れない。
昼前に支部長合宿、無事だれもケガがなく終わる。
郷田兄が時間ピッタリに迎えに来る。力男の家に向かう。
冨チャンは相変わらず元気でにこやかな笑顔を見せてくれた。
力男の位牌にお線香を挙げ、昔話をしていつものように冨チャンを笑わせる。
娘さんの桜子ちゃん夫婦が同居しているとのこと、良かった。
なんとなく安心する。大きな家に一人暮らしでは寂しい。
桜子ちゃん相変わらず美人である。力男に似なくてよかった{スマン 力男、冗談である}。
旦那さんもイケメンで似合いの夫婦。
夜は郷田兄と焼き肉を食べる。美味かった。
27日月曜日 新宿駅前にあるアルタ?ビルの玄関で某企画会社{プロダクション}人とミーティングする予定になっていた。新宿は約44年ぶりである。
新宿駅、電車から降りたとたんもの凄い人の洪水、轟音をたてて迫ってくる。
思わず郷田兄の手をつかむ。郷田兄びっくりして私の手を放す。
しょうがないので郷田兄の裏腰を掴んで後からついていく。
44年間アラバマの田舎で緑に囲まれて、タヌキ{raccoon}やリス、ディアー、ウサギ…数々の小鳥等と生活していると、この人の群れ異常に感じてしまう。ホントである。
駅の階段を上がって、外に出ると4~5人のホームレスの人が気持ちよさそうに寝ていた。凄いなーと素直に思った。ホームレスの人はアメリカと同じように見える。
約束の時間午後3時、相手の人チョウ忙しいとの事、時間ピッタリに来た。
Nさん30前後のなかなか気さくな人であった。
もうひとり相談役のKさん60歳チョットに見えた。温厚な人柄であった。
東京国際映画祭に私の映画Take A Chanceを、エントリー{NO222}した件を話す。
ちょっと、心配なのは名前の通った映画祭で、囁かされている巷の噂話である。
映画祭で賞をとるには、それなりのデモンストレーションが必要だという事である。
まずは最高級のホテルの大広間を借りて各界の有名人を招待してクリスタル・シャンペーインなど100ダースばかり配り、盛大なパーティーを開く。~そんな事できる訳がない。
噂話はまだある。エントリーする映画作品は膨大な数になるらしい。
そこで審査員は全ての作品を見ていられない。書類選考して振り分ける。
審査員が問題にするのは、まず監督は誰か?主演の俳優の名前は?…とかエントリーした映画を見る前に書類を調べることになるらしい。そこで私の映画[Take A Chance]である。
ここからは私の想像である。黙って付き合ってもらう。
選考委員が「誰ですかこの監督は今までどんな作品を撮りましたか?」などと話し合う。
「知りませな~、この人、オオヤマさんと言う名前」ところが選考委員の中で、ちょっとばかりカラテの世界に通じた人がいて「アッ この人カラテ家ですよ、映画はまったくの素人です」「エッ、カラテ家ですか、カラテ家が映画撮ったのですか、ワッハワッハ」とみんなで笑い出す。チョット、いじけた想像になって仕舞うのである。
そのいじけた想像を撃ち破る為さらに想像した。
選考委員が集まる席に乗り込んで、笑った員達に私の鉄拳が「オリヤー」と決まる。
あくまでも勝手な想像の世界である。
希望としては、噂話や想像が全く外れていることを願う。
だが何となくこんな感じで審査をするのではないかと…勘ぐってしまう。
残念ながら世の中の大半の評価、判断はステレオタイプがまだまだ横行している。
「えっ、カラテ家が映画を作った~、フザケンジャナイヨ・・・」頭が痛くなった。
カラテ家も人間です。夢も希望もあり、詩を読み、歌も唄{音痴だが}います。
一度映画を見ればカラテを見直し、きっと稽古がしたくなる。自信を持っています。
「オイ、審査員チョット気合いを入れて見ろ」これが本音です。
帰り新宿の駅、切符売り場、切符の買い方{機械}もなんだか難しそうである。
私がまごまごしていると「ハイ、ハイ、そこを動かないで立ってろ!」と郷田兄が切符を買ってくれる。勿論私は「オス」である。
凄い人の群れ、それも半分以上がスマホ、携帯を見ながら足早に歩いている。
切符をもらい帰りのホームを二人で探す。郷田兄、駅の階段を短い足で二段ずつ上がっていく、思わず私が「勇ちゃん、そんな短い足で格好つけて上がってコケたらどうするの…」と注意する。「極真カラテ~」と返事が返ってくる。
しかし郷田兄、なに喰っているのか分からないがホント元気である。もうすぐ80代である。
そういえば電車に乗ったら、前に座っている座席10人全員携帯を見ていた。
やっと部屋に戻ったが、なんか東京のジャングルをまわって来たようで疲れた。
倉田院の倉田先生がマッサージしてくれて、生き返った。
何時もように倉田のバカ話、子守歌のように心地よく聞こえた。
28日火曜日 いつも日本滞在中は郷田兄が朝昼晩と私に付いてくれているのだが、今日はゴルフに行ってしまった。私もゴルフに誘われたが予定があるので行けなかった。
「雨よ降れ!雷を落とせ!ゴルフ場でびしょ濡れになれ!・・」と念じたが残念ながら朝の小雨だけで、後はいい天気になってしまった。
以前この欄のエッセイ”My Best Friend力男“その中で4人でダンス・パーティーをやった話を書いた。その4人うちの一人が長棟と言う、彼から連絡があり、今回飯でも食べようと言うことになった。50年以上会っていない間である。
午前11時半ホテルのロビーで会う約束。果たして分かるのか不安であった。
お互いに胸中にあるのは凛々しい20代の学生の姿である。一瞬顔見合わせて、戸惑った。
50年前と、50年後の現在そのギャップが嘘みたいと言うか、不思議に感じた。
お互いにオジサン、いやお爺さんになっていた。
写真:明治大学前。左から4人目の精悍な青年が長棟であった。さて私はどこにいるでしょう。
「オウ~」「ヤァ~」なんかぎこちない挨拶を交わす。
どこから話を始めていいのやら、お互い話の糸口を見つけるのに苦労する。
それでも近くの蕎麦屋に入り、天ぷらそばを食べ始め、お互いの老けた顔を見つめているうちに、昔の学生時代の面影が少しずつ垣間見えてきた。
段々とお互いに、50年の空間を埋める話題を見つけ出すことができて正直ホッとする。
とにかくお互い元気でなりよりであった。再会を約して別れる。
いよいよ明日帰れる。なんと言っても我が家が一番である。
アメリカにフライトナンバーと到着時間、誰か迎えをよこすようにメールを入れる。
午後2時前に直井が迎えに来る。朝日出版社で打ち合わせをする。
私が以前出版した本の電子書籍化である。担当の人に直井を紹介する。
そこでCMである。読者の人、既に「内弟子INアメリカ」はアマゾンで電子書籍になっている。遠慮せず、バンバン注文して読んでもらいたい。CM終わり。
無事話し合いが終わりホテルに帰る。なんとアトランタのツトム師範から部屋に電話が入る。
私の帰りは明日29日ではなく30日であるとの事、ビックリした。
29日と30日の間違い。ここで失敗を犯してしまった。予定表つくったとき。29日に帰ることにしたが後から考えると、時間少なすぎる。そこで予定を一日伸ばし、30にしたのであるが、そのことを忘れてしまった。最初の予定表を持ってきたので、フロントデスクで30日をキャンセルしてしまった。
もしメールせずに29日に出発したら成田で大恥をかいたことになる。
相変わらず失敗をする。
しかし拾う神もいたもので、原社長が食事に招待してくれた。
郷田兄と二人、原社長のご贔屓の神楽坂の寿司屋でたらふく食べて、飲んだ。
その後、久しぶりに銀座にクラブ活動に出かける。
勿論私や郷田兄のアイデアではない。そんな予算は全くない。
原社長のクラブ活動のお付き合いである。
美女が4~5人いろいろとお世話してくれるのだが、その美女が孫のような年頃である。何か父兄の学校参観日のような気がして来て、色気もあったものではなかった。
話題を探すのに苦労したが、でも楽しかった。
このエッセイ、話が大分おかしくなってきたので、ここで終わりにする。
健康第一 オス。
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いつもエッセイを楽しみにしています。いきなり梅雨も明けたようです。暑さに負けないで、大山空手で”Just Sweat!” これからもよろしくお願いします。押忍
from sensei F(2016/07/24)押忍、最高師範はけっこう頻繁に日本に帰国されてるので、新宿が44年ぶりとはびっくりしました。
from TI(2016/08/03)米国の自然の中で生活してると、あの人混みが異常に感じるってのはまったく同感でした。押忍
本日は有り難う御座いました。🙇
バカ話、子守り歌の様に聞こえたでしょうか?
3月来日を楽しみにしてます。
押忍。
from 倉田(2016/10/18)