第２７話　道場破り

雨がここ５週間以上も降らない。空気が乾燥している。
庭の芝もすっかり色が変わってしまった。
いつもの散歩道、きままな風が渡ってくると枯葉が音を立てて舞い落ちる。
細い梢の先に広がる青空が澄んでいる。見入っていると吸い込まれそうな感じがする。
秋の空はことのほか清々しい。
そこでワンダフル空手第２７話である。

 

アラバマで最初の壁にぶつかったのが時間のことと、食事の事である。
来て直ぐに稽古時間を増やしたが、夜だけの稽古時間である。時間が余り過ぎた。
一番困ったのは週末である。金曜日から日曜日、三日間なにもない。
車はない、言葉は殆ど通じない。勿論お金もない。ないないの世界である。
あるのは健康な身体だけである。
そんな私をロンがいつも心配と言うか気を使ってくれた。
殆ど毎週末ロン夫婦はパーティーに行く、そこで私も連れて行かされた。
何のパーティーか勿論私には分からない。どのパーティーも出席者は殆ど夫婦連れであった。
独身のブロンドで青い眼の、モデルのような女性はいないのである。
中年と言うか、中にはオバサンと呼べるような歳の人が多かった。
とにかく何らかのパーティーが殆ど毎週末にあった。その度に呼ばれるのである。
下宿先で天井を見つめているよりましである。
そう思って出かけるのだがこれがまた、気疲れがあって大変であった。
パーティーで色々な人に紹介してもらう。ロン以外はみんなカラテ経験者ゼロである。
紹介されて、その人と会話になる。いろいろと聞いてくる。
相手の話は何となくではあるが、分かる。
だが、私が何とか単語を並べて、身体のジェスチャーを交えて返事をする。
だが相手は分かったような、分からなかったような顔つきをして「Nice to meet You 」と言って微笑を残し去ってしまう。勿論、私も微笑を返す。
とにかく微笑を絶やさないことにした。

 

できるだけ目線を合わせないようにして食べて、飲んだ。
後はニコニコ、コニコニである。やっと帰ることになり部屋に送ってもらう。
無理につくった笑顔、微笑、顔の筋肉が引き攣っている。
部屋の鏡を見ながら、両頬を叩いて揉んでほぐした。
読者の人は笑うかも知れないがホント真剣にやったのである。
寝ていても足は攣らなかったが、顔の筋肉が攣ったことが！？・・・あったようである。
自分ながら頑張ったと思う。
暫くして、ロン先生も私の時間が余るので何とか彼女を見つけようと他の黒帯と相談したようである。そこである日、ブラインド・デート｛blind date｝をアレンジしてくれた。単純な私は、アメリカの女性は日本の女性と違って、なんでも積極的に行動するらしい。バカみたいに勝手に思い込んでしまった。
ウ～ン、もしかして、もしかするのではないかと、変な期待をしてしまったのである。
ロンがどんな容貌でどんなスタイルの女性か何も言ってくれなかったので、勝手に頭の中で想像が膨らんでしまった。
シャワーを４～５回とって身体の隅から隅まで磨き上げた。ピカピカである。
何度も鏡を見ながらヘヤースタイルを直す。
あの頃はまだたくさん髪の毛があった。懐かしい。
まったく同じ顔がそこに有るのに鏡を見ること数時間であったようである。
胸をどきどきさせながら、手に汗を握りながらロンを待つこと千年であった。
待ちに待った迎えの車、アメリカにきて最初のデート。
相手が待つレストランに出かける。紹介してもらいながらそっと彼女を見る。
期待が大きかったのだが、目の前の女性は私の想像とは全く違った女性だった。
美人でもなく不美人でもないその辺に沢山いる平凡な女性であった。
それでも何故か私は緊張していた。
なにを話したらいいのか分からなかった。ときどき目線が合うと、微笑が返ってきた。何だか分からないが勿論私も微笑返す。微笑を見せるのは得意であった。
食事の味もなんだが分からいうちに次の予定、ナイトクラブに行く。
ビールを飲んで、次にスコッチを飲む。アルコールのおかげで、気持ちがだんだんと楽になってくる。ダンスを踊れ踊れとロン夫婦や他の黒帯がけしかける。
タイミングを計って「ヨシ」と思った時、目の前の平凡な顔の女性の眼から涙がポロリと一筋流れたのが見えた。
「アレ、俺は何か失礼なことを言ってしまったのか？・・・何かしたのか・・・」思わず彼女を見つめた。こんどは彼女の涙が一筋のポロリからポロポロと流れだした。
彼女は涙を隠そうともせずにうな垂れている。我々のテーブルだけが静かになった。
何故かみんな私の顔をみる。「オイ、オイ、私は何もしていません、私の両手はテーブルの上です」そんな気で皆を見返す。
彼女の涙が見る見るうちに豪雨のようになって溢れてきたのである。
参った。ホント慌てた。その時ロンの傍いた黒帯のワイフがロンになにか囁く。
ロンが私に、斜め向こうのテーブルに、彼女の元彼氏がいると教えてくれた。
その奴｛もう～そうです野郎です！｝のテーブルをよく見ると、私の目の前にいる彼女よりもっともっと、美人の女性を連れて飲んでいたのである。
目の前の彼女をその野郎が連れている美人と見比べて、“ウ～ン”と唸りながら「男も女も顔じゃないですよ！」とか何とか彼女を慰めたかったが、なにしろ優しい言葉が見つからなかったのである。
ただ胸の中で、貴女の気持ち良く分かります、ホントよく分かります。
私も何度も何度も経験しています。恋をしてそのほとんどが実らずフラレました。
さぁ～ガンガン飲んで酔いましょう。
私も一緒に酔いますから、ジャンジャン行きましょう。それからは不思議な期待の緊張感が消えて、気持ちが楽になる。ヨ～シ、今夜は飲むぞ～である。
それからホント、ガンガン飲んだ、結果は二日酔いである。
私のアメリカ合衆国での最初の記念すべきデートであった。
二日酔いの頭を抱えながらこの先が思いやられた。ホント日本に帰りたくなった。

 

ちょっと話が脱線しそうなので道場破りに戻す。
道場生をもっともっと増やしたい、だがＹＭＣＡではカラテだけの宣伝はしてくれない。一番いいのは町の噂になる事、それも口コミで広がる事である。
あの頃はカラテの熱が世界中で、どんどん広がっていった。
ロンに他流派の道場に挨拶に行きたいと言うと。
ロンがどんな挨拶だというので「自己紹介と、できたら組手を申し込むんだ・・・」と言うとロンの顔色が変わりエキサイトしてきた。
あまりエキサイトしたので、喧嘩を売りに行くんではない、と念を押す。

 

 

前蹴りがあるから、回し蹴りが生きる

 

 

ＮＹを出るとき、アメリカではピストルを護身のため用意している人が結構多い。
中にはテーブルの下にピストルを隠している奴がいる。
無理やり組手を強いると下腹に穴が開くぞ、そんな危ない話を兄貴が教えてくれた。

 

ハワイに本部を持つ、W流派の道場はショピングセンターの中にあった。
明るくひろい綺麗な道場であった。
私とロンが「オス」と言って、入ると一瞬稽古が止まった。
黒帯が４～５人、茶帯やその他の帯が道場内に溢れるほどいた。
驚いたことには、みんなテニス・シューズを履いて稽古をしていたのである。
すぐに、チーフインストラクターが満面に笑顔を作りながら握手を求めてきた。
いま洗濯屋から下ろしたばかりのような、シミ一つない綺麗な道着に胸もとにパッチが光って付いていた。歳は私と同ぐらいに見えた。
長身だがいくらか太り気味な身体、話方も動作もカラテ家と言うよりセールマンのように見えた。既に私の事を知っているような態度であった。
ロンが大きな声で「うちの先生が君と試合をしたいようなんだが、受けてくれるかね・・・」と言う。Ｗ流派の先生笑顔をチョット引き攣らせて「残念だが、規則で他流派の人とは組手ができないんだ」と断ってきた。
稽古をしていた生徒に緊張感が走ったのを感じた。
ロンが「試合の内容も、結果も外に漏らさない、貴方も言わなければ誰にも分からい・・・」と、ちょっと喰い下がったが断られた。
それじゃしょうがない、と言って稽古をチョット見学さしてくれと申し込む。
私とロンが見学しているので、道場生や指導している先生たちが、緊張しているのが突きや蹴りの動きに出ていた。なんか幼稚園の遊戯をしているように見えた。
組手はできなかったが、こちらの目的は充分果たせた。
翌日の昼食時にロンがエキサイトして、私の下宿に顔を出してきた。
我々の噂が街中に広がったと言っていた。
その晩の稽古、生徒たちが道場に来るとみんな顔を輝かしてその話をしていた。
私は何も言わず黙って稽古を指導した。顔には出さなかったが内心は嬉しかった。
目的達成である。

 

それから、暫くしてもう一つのY流派にロンが連絡をとる。
曜日をきめてある晩、ジーンと言う茶帯、ロンと私の３人ででかける。
後で知ったのだがロンが連絡したあと、Y流派では周り近辺の道場から黒帯を我々が来る日に合して呼びあつめたのである。既に彼らは用意が出来ていたわけである。
ハワイアン空手のW流派の道場は何の連絡もしないで突然訪ねたのである。
Y流派の道場はホームウッドから車で約３０分ぐらいのところにあった。
１００人近くはいれるジムであった。
ジムに入った途端“マズイ“これは間違ったと思った。
ジムの中は稽古の熱気があふれていた。なんと黒帯が３～４０人いたのである。
私にはそう見えた。生徒も１００人ちかくいた様である。
ハワイアン空手のW流派とは全然違った熱気が稽古に感じられた。
私が“マズイ”と思ったのは、黒帯の数が予想したより多かったということ、その黒帯連中の技や動きに稽古の量が出ているように見えたからである。
それに稽古に汗を流している黒帯が若かった。
この黒帯全部を相手にしたら、とてもじゃないが身体もたないと思った。
私たち３人が一歩入るとY流派のチーフインストラクターKが挨拶に来た。
Kは日本人であった。向こうは既に私が極真会であることを知っていた。
歳は私とおなじぐらいに見え、背が私よりいくらか低かった。
場数を踏んでいる貫禄がその態度に出ていた。手強いなと感じた。
ロンが彼にすでに電話で一緒に稽古をしたいのだが、と申し入れをしていたのでKは笑顔で着替える場所を教えてくれた。
ロンと茶帯のジーン二人が着替えたが私は様子を見ると言って着替えずに座ってみることにする。Kは私に無理強いはしなかった。
ロンとジーンが一緒になって稽古に参加する。暫らく見ていたがこのまま稽古をしないで帰ったらこれはあとで問題になると考えた。
私の気合いが、段々とむずむずしてきた。ロンにそっと車のカギを貰い道着を取り出す。着替えの部屋はロッカールームであった。誰もいないので、そこで一人で突いて蹴って身体を温める。そのまま道場の方に顔出す。

 

 

回し蹴りがあるから前蹴りが生きる

 

 

一歩私が道場の方に顔出すと、全員の動きが止まった。組手の時間になっていた。
この事を振り返ると、何時もなぜか昔のハリウッド映画「OK牧場の決斗」を思い出す。なぜだかわからない。なんとなく自分が決斗をする感じだからかもしれない。
断っておく、決してＹ流派の人たちが悪人であるとは考えていない。
ただなんとなく自分の立場を思い出すとあの映画と重なる感じがするだけである。
私はKに手をあげて軽く挨拶をし、近くにいた少年に組手を申し込み、動き始める。
「ヤメーイ」と誰かの号令が聞こえる。礼をして握手して終わる。
その時若い、たぶんKの内弟子らしい若い日本人の黒帯が前に立った。
名前は確か佐藤と言ったように覚えている。私に「お願いします」と申し込んでくる。気合いが感じられた。私も覚悟はできていたので「オス」返事を返す。
私より頭一つぐらい身長があった。初めからどんどん前に出て突きや蹴りを出してきたが、あわてずに受けて軽く私も突きや蹴りを返した。
極真会の看板が私の肩に感じた。
ちょっと回り込みながら左の正拳を彼の拳に合して出す。動きが止まったところで左の回し蹴りを顔面に持っていく。上手く受けられたが、相手の身体がチョット崩れた。
間を外してまた突きから入り左の回し蹴りの型から前蹴りを出す。
前蹴りが水月にヒットして相手がウンと言う呼吸を漏らす。
同じタイミンから交差歩で左を引き付けそのまま顔面に回し蹴りを蹴る。
マイクの時と同じように顎に決まる。ダーンと倒れる。Kがとんでくる。
みんなの動きが止まる。１００人の人間が気合いを入れていた事が嘘のように静まる。
Kが「大山さん一手お願いします」と申し込んでくる。ここははっきり覚えている。
私が「オス」と答えると同時に全員が壁に沿って下がる。
広い道場に私とKだけが残り構え合う。
映画だったら、ここで激しい音楽がかかるかも知れない。とにかく劇的であった。
私も真剣だったが、相手の目線には気合が溢れているように感じた。
軽く牽制するように技を出し合う、Kの動きが硬いように見えた。
左の正拳から右の逆突きを私の顎に出してきた。狙っていたように見えた。
見切って私が右の正拳を出す受けたところを右の回し蹴りを決める。
Kがドーンと倒れる。同時に「ホーウ」と言う全員のため息がジムに響く。
あの晩私が技を決める度に「ホーウ」とか「ワーウ」とかの溜息のような音が聞こえた。
私の蹴りが三度目に決まりKが態勢を崩したあと、Kが有難う御座いましたと言った。
お互いに向い合い礼をする。気持ちよく組手ができた。
決斗は血を見ないで終わった。稽古の後Kが私を彼の家に招待してくれた。
「OK」と返事をすると、ロンとジーンが反対した。
師範一人で行っては危ない、…こんな感じで説得してきたが私は心配ないと言って、二人を帰し、私だけでKの家に顔を出した。
彼の黒帯７～８人が左右に座り、私とKが上座に座った。
私だけが極真会であった。いい汗を流したのでビールがうまかった。遠慮なく飲んだ。
彼の家で彼の黒帯一人一人と目線を確り合わせる。みんな私の目線を避けた。
下宿に帰ったのが１２時過ぎであった。
ホッとしてシャワーを浴びて、ベットに入ったのが朝方である。
緊張と興奮しているのか、なかなか寝付かれなかった。
うとうとしていると、ドアがドンドンとなる。
うるさいな～と、ドアを開けるとロンが立っていた。
ロンが「I m proud of you 」｛誇りに思う｝と言って私を抱いた。
ロンは大分興奮していた。
そのあと「sorry sorry、 I woke up you」｛朝早く起こして御免なさい｝と言って仕事に行った。
フラフラしながらまたベットに戻る。今度は眠れそうな気がした。

 

Kとはその後友達付き合いを始めた。良いカラテ家であった。
お互いに“さん”ずけで呼び合うようになる。
Kさんは随分とアラバマで活躍したようだが、確か５０代の若さでガンでなくなった。良い人であった。残念である。
私の噂は、街中に広まった。毎日のように入門者があった。
ところが問題が出た。私のビザの件でImmigrationからYMCAに電話が入る。
不法滞在と宣告を受ける。

 

健康第一　続く　オス

 

PS　これから年末、みんな忙しくなると思うが稽古は続けること、自分にチャレンジすること。とくにうちの支部長は門下生より汗を流す事。直井先生忘れるな！　オス