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GET OUT ハリウッド映画奮戦記

冬とは思えない暖かい日が続く。いつもの散歩道、毎年おなじ場所にタンポポの花が群がって咲いている。地に必死にしがみついているようにして花を咲かせている。
鮮明な黄色の花、豪華と言えないが、清々しく力強く見える。
春を告げる花、気持ちが和む。
2月25日、いま全米でナンバーワンの映画はGET OUT というホラー{HORROR}映画である。

 

 

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映画 GET OUTのウエップサイト WWW.GETOUTFILM.COM

 

2週間トップの座を占めている。
またまた映画の話でチョット恐縮だが、私が経験した、ホントの話なので門下生と読者の人に紹介したい。

 

息子ザックはアラバマ大学を卒業すると何の迷いもなくLA,ハリウッドに移っていった。私も家人も寂しかったが息子の希望は脚本家になる事であった。
コメディーを制作するプロダクションに就職が決まり何とか自活できるようなる。
その会社で俳優のジョーダン・ピール{JORDAN PEELE}と知り合った。
ジョーダンはそのころすでに有名人でありTVや映画で活躍していた。
息子はその会社に3~4年いた様である。そのあと今の会社カレジ・ヒーマ{COLLEGE・HUMER}という会社に移った。You tube 寸劇のコメディーを流している会社で、結構若い人に人気がある。現在は脚本と役者もかねてその会社で働いている。
息子が会社を移ったがジョーダンとの友達付き合いは続いていたようである。
ジョーダンの本職は役者だったように私は理解していた。
断っておく、私は、あまりハリウッドの事は分からない。
彼の映画もTV番組も殆どがコメディ―であった。その彼が約6~7年かかって脚本を書いた。これは後で、ニュースで知ったのである。
彼の書いた本がUNIVERSAL映画会社ともう一つ{名前を忘れた}のプロダクションで取り上げられた。その映画がホラー{HORROR}で、題名がGET OUT である。
その中に日本人の実業家、Mr田中という役があった。
今回のエッセイはその役を私に持ってきた話である。

 

余談だが、どこの家庭でも家を巣立っていた子供達から親に電話が入るのは、経済的に子供たちが困った様な時が多いようである。
あれは2年まえの3月ごろ、突然息子ザックから電話が入る。
もちろん私にではなく、家人に、である。
ジョーダンが書いた脚本が今度映画化されることになった。
彼が監督をすることになりその映画の中に私を使いたいと息子に頼んできたのである。
息子は私がカラテ家であることを何かの時にジョーダンにすでに話してある。
家人が笑いながら「ザックがジョーダンのホラー{HORROR}映画にあなたを出演してもらいたいそうです、どうしますか?」
私が「はっ、ホラー映画ですか?身体を八つ裂きにされる役ですか?・・・まさか、メガネをかけカメラを首からぶら下げて歩いている通行人じゃないでしょね?」と聞く。「いやなんか台詞もあるらしいの」
「エッ、台詞、英語ですか?」
「当たり前でしょ、あんたの映画ではないんだからハリウッドの映画ですよ!」
「それは駄目です、カラテの物語での英語だったら何とかなるが、普通の物語では上手くいかないと思います」
「貴方、息子の頼みですよ、断る訳にはいきません」
最初からもう二人で決めてしまっていたのである。それで何時ですか?
撮影の場所がアラバマでも高級な避暑地FAIRHOPEという所であったであった。
私が「貴女も一緒に行ってくれるんですか?いろいろな書類にサインしないといけないようですし。私の英語では間違ってどっかの国に売り飛ばされるかも知れませんよ~」「ホッホホ、貴方、歳を考えなさい70をとっくに過ぎているヨボヨボのオジーさんなど誰も欲しがる人はいません、ご心配なく。でも場所はいいところですから私も一緒に行きます」・・よく考えてみると、私が汗して働いている間に、家人はそこでゆっくりと本でも読みたかったようである。結局二人でかけることになった。
撮影の始まる前日に現地に入ってくれと言ってきた。
ホテルは高級で部屋もビーチフロントであった。
事務手続きをする。いろいろと書類が出てくる。家人が読む。
そっと囁く「貴方、ウン千ドルの出演料が出ますよ、エージェントは誰かと言っていますが、私がエージェントになります」もちろん私は逆らうつもりはない。
返事はただ「ハイ」である。
「エージェントのパーセンテージは普通10パーセントですが、私の場合は100パーセントにしました」
「はっ~、あの~ですね~、働くのは私ではないんですか?」
「いいから黙って頑張りなさい」・・・・沈黙である。
衣装部屋も大きくてデザイナーらしき女性が3人私を鏡の前に立たし、アレ着ろ、これ着ろ、この靴、あの靴・・・」である。スケールが違う。
次の朝ホテルに迎えの車、撮影所に入る。なんと私だけのトレイラー{個室}が用意されていた。主役の人と同じようにキッチン、TV、冷蔵庫、トイレ付きである。
家人がはしゃいで、喜んだ。
チョイ役の人達は合同部屋である。私はチョイ役も、本当のチョイ役である。
それが主役の人の隣のトレイラー{個室}である。家人が満面に笑顔をたたえていた。
撮影が始まる前に、脚本、監督のジョーダンが秘書と付け人を連れて私の部屋に挨拶に来た。こっちは恐縮してしまった。ちょうどジョーダンの誕生日であった。
赤いJUSTSWEATのスウェットシャツとパーフェクト空手の本を贈る。
なんと監督のジョーダンその赤いスウェットシャツを着て撮影に入った。

 

 

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大山空手のスェットシャツを着た監督、SWの字が見える。

 

現場には200人位の人が忙しく動いていた。
私の役はパーティーでワインを飲みながらウロチョロ、ウロチュロしてればいい役である。オッ、本当にワイン飲めるのか、と期待したが色のついた水である。
私の傍にワイングラスだけを持ってくれる付き人がついた。
それだけでなく、寒かったのでコートとそれを持つ、付き人も用意してくれた。
撮影の時はコートを脱ぐ、直ぐに付き人がそのコートを持ってくれる。
私が右に動くと二人とも右に動く、左に動くと二人とも左に動く。
縦横の型を指導してやろうかと思ってしまった。

 

なんども言うが、私の役はチョイ役である。当然待たされる。
それも長い、ナガ~イ時間である。
驚いたことには、自分の出番を待つ間の場所もチョイ役の人達と、名の売れた俳優達では違う部屋であった。
私はチョイ役であるが主役の人達と同じ部屋であった。もちろん家人も一緒である。我々の部屋には常にお菓子と、ケーキ、果物が盛られた大きな皿があちこちのテーブルに用意されてある。3~4人の給仕する人が忙しく動いていた。
うるさい位コーヒーはいかがとか、ケーキはいかがとか聞いてくる。

 

「ハイ、ミスター大山出番です」と声がかる。
ヨシこれで終わりか、と期待していると、又待たされる。初日でまったく参った。
ホテルに帰りビールと本当のワインを飲んで落ち着いたところで家人にそっと切り出す。「あの~、ですね~、もしかして私の役どなたかに譲れないんでしょうか?」
家人の眼が、キラッと光る。マズイ。我慢―すべきだった。
もう~遅い。ガンガンバンバンとお説教である。もう~やけ酒である。
二日目もおなじように待たされる。ちょっと違うのは他の役者の人達と話す機会が多かったことである。みんな自分の経歴というか、これからの出演予定だとか、エージェントは有能か、そのエージェントどんな役者を、何人位持っているのか?パーセントはいくらか?今度新しくウェブサイトを変えたとかであった。
私はそんなこと全く知らない。沈黙である。
黙ってた私に質問が集中してきた。
監督がなぜ貴方を特別に扱うのか?あなたのエージェントはきっと実力のある人なんだろう・・・次の映画。TV,劇場の予定は何か・・・。
そこで私は話始める。私のエージェントはワイフです。
パーセントはワイフが100パーセントです。これは法に触れるかもしれませんが、私は組合には訴えません。なぜならばワイフが怖いからです。
次の予定はありません。この映画が私の最初で最後の出演です。もうこりごりです。
・・・というと、一同唖然としてポカーンと私を見つめる。

 

息子と家人に絶対に私が監督した名作、そうです世界が待っている、TAKE A CHANCEその映画のことは絶対に口にだしてはいけない、と命じられているので必死に耐えた。
ホント、なんども口に出かかったが、我慢した。頭がホント痛くなった。
とにかく逆らって、この歳で愛犬のハナと一緒に犬小屋で暮らす羽目にならないように、オスの二文字で我慢した。3日目契約の予定では今日が私の最後の日であった。
マネージャーの人が、朝部屋をノックする。
「ハイ~、なんですか?」「あの~ですね、もう一日延ばすことができませんか?」
家人が「ふ~ン、貴方」
私「駄目です、絶対にダメです」気合を入れて立ち上がる。
家人もその気合いを感じたのか分かってくれた。
最後の私の台詞、時間して2~3秒ぐらいである。三回とり直しをした。
私の出番が終わったとき、思わず万歳である。よく頑張ったと、自分に拍手である。
勿論拍手は私だけである。監督と固い握手をして帰る。
車の中で歌が出た。とにかくわずか三日間であったが長かった。

 

その、私が苦労した映画がなんとこの2週間全米でトップを走っているのである。
ホラー映画は全く見ない。しかし家人のたっての希望で出かける。
封切りの日、2月24日金曜日の午後2時家人と二人で観に行った。
家人がふざけて、貴方サングラス、帽子ちょっとしたカモフラージュしていきましょうとなった。ホラー映画は興味がなかったが、この映画はなかなか渋かった。
映画の中に確りしたメッセージがありテンポが良かった。
人種差別{RACIST}それも日常の生活の中で時々見られる、差別意識である。
サラッと嫌味なく表現している。感心させられた。
観た後、家人が「この映画は当たる」といった私も同感であった。
次の日土曜日、そして日曜日2週続けて全米でトップである。

 

月曜日の朝、近くの銀行に行くと、銀行員達が、私に注目した。
皆で私の顔をみながら、こそこそ話をしている。そ
のうち、その中から誰かが「Mrオオヤマ、映画素晴らしかった。貴方があの映画に出ていて驚いた。貴方が俳優と知らなかった」である。
それから私の事を、銀行内でワッショイ、ワッショイしてくれた。
おまけに映画の切符を持ってきて、サインをねだる。
それから我が家にあちこちから電話が入る。
ある映画館では私が出た瞬間誰かが拍手したようである。
きっと私の門下生かもしれない。
息子ザックもLAで見て「お父さん、悪くなかったよ」と言ってきた。
ジョーダンが息子に、「君の親父は自然体でセンスがいい」と言ってきたらしい。

 

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左から俳優のKEY、カラテ家、息子ザック、ジョーダンJORDAN

 

そのあと、息子も家人も娘もみんなで「お父さん悪い夢は見ないように、みんな誤解しているんだから・・・」である。まぁ~、「言わせてやる」
俺は監督だ!チョイ役はもうこりごりだ!今に見てろ、もう少しで次の本が書きあがる。前回のエッセイ、試写会でも書いたが、テーマがないと駄目である。
物語の中に人間の成長がないと、どんな有名な俳優を使っても駄作である。
カラテの映画でも、喜劇でもホラー映画でも我々平凡な人間の日常の生活につながる様な話がなくては人々は共感はしてくれない。
涙と笑い、悲しみと喜び、挫折と奮起、喜劇と悲劇、勝利と敗北、不幸と幸福、・・・ラーメンと餃子、寿司と日本酒、・・・なんか話がおかしくなってきた。
この辺で止めよう。

 

要するに私が言いたいことは、映画を観終わった後、なにか元気になる様な、もしくは毎日の生活で何か忘れてしまったのではないか、その何かを感じさせるモナがないと私は面白くないのではないかと思う。
いま本を書いている。もう直ぐ第一校が出来上がる。
カラテの物語である。何時もの様に門下生宝くじを買うように。
冗談である。でも半分は本音である。
歳に関係なく夢は見るものである。見たらドンドン追い駆ける。
走れるときに走る。飛べるときに飛べ。

 

健康第一 オス

コメント (2) | 2017/03/05

エッセイ

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“GET OUT ハリウッド映画奮戦記”へのコメント (2)

  1. 「テーマがないと駄目」同感です!何でもそうですね。

    from ryuichi oshimoto(2017/03/07)
  2. 楽しく読まして頂きました。
    GET OUTの配信されている他の動画も見ましが
    3分弱の動画の中で
    泰彦師範がお顔がはっきり分かるのが4回、遠景では
    それ以上確認されました。
    凄いですついに俳優デビューですね。
    動体視力だけは自身が有りますのでこれから何回写ってらっしゃるか何回も見て確認します。
    映画の内容も大変面白そうです。
    日本公開が楽しみです。

    from ミット鈴木(2017/03/08)

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