2月5日、昨夜の激しい雨が今朝は細く柔らかい霧雨に変わっている。
朝のコーヒーを飲みながら日課の犬の散歩をどうしようか迷う。
ドアの外でステラとハナが私を熱い眼差しで見ている。
訴える様な、それでいて「オイ、男の子、気合を入れろ」のような目線である。
私の負けである。気合を入れて散歩に出る。
正解である。第8話の続きが頭に浮かんできた。忘れないうちに書き上げる。
あの頃の先輩は春山だけでなく皆どこか荒々しい風貌の人が多かったように思います。
一癖も二癖もあるような感じでした。
それだけに先輩達の組手は、前にも言ったようにそれぞれ個性のある組手を見せていました。
おぼろげですが印象に残っている先輩が2〜3います。
怖い先輩の中に一人、なぜか安心して話せる先輩がいました。
安田先輩と言う人です。
安田先輩は荒々しい先輩たちとちょっと違った感じがしました。
先輩は普段は物静かで言葉使いも優しく、親切に後輩にアドバイスをしてくれていたように思います。
先輩は春山と同じぐらい背が高く胸も厚く腕も脚も筋肉の塊のような身体をしていました。
優しい性格の人なのに組手になるととても怖かったのです。
先輩の組手を一言で言えば「鋭い組手」でした。
触れれば切れる、そんな感じでした。
長く太い筋肉の塊のような脚で蹴り技が鞭のように唸りながら襲ってきます。
特に前蹴り、横蹴りは空を切る、と言う技の鋭さがあったように思えました。
先輩の身体全体が中足や、足刀の塊のように見えました。
一発で倒す、そんな必殺技でした。
組手になると、必ず前蹴り、横蹴りが来ると分かっているのだが何故かもらっていました。
それでも先輩は珍しく後輩との組手ではコントロールしてくれていました。
水月や肝臓に軽くもらっても、ハラワタが飛び出したのではと思うぐらい苦しかったです。
悶絶し真っ暗な世界と次に真っ白な世界をさ迷うのでした。
先輩は確か学習院のカラテ部にも所属していたようです。
ガンガン技を繰り出し、激しい組手をする先輩が多かったのですが一人柔らかい身のこなしをする矢島先輩が居ました。
身長は春山ほどではなかったですが高い方でした。
胸も手も足もそれほど大きくはない、どちらかと言うと普通の身体をしていました。
他の先輩との組手では技と技が正面からぶつかり合う組手でしたが、矢島先輩との組手ではこちらの突きも蹴りもスーッと外されて崩されるような組手でした。
他の先輩とやるときは相手の技を受けても腕や脚に痛さや「ガーン」とした強い感覚があるのですが矢島先輩とやると手応えが余り感じませんでした。
先輩は上手くこちらの動きや技に合わせるのが上手でした。
それでも突きや蹴りを貰いました。
他の先輩が剛の組手をするのですが矢島先輩は柔の組手をこなしていたように思います。
ただここで誤解しては困るのは「柔良く剛を制する」と言うように考えては困るのです。
私はこの言葉は両方に使うべきと思っています。
「柔良く剛を制する」「剛良く柔を制する」と考えています。
勝負には2面性があり柔でもあり剛でもあるのです。
実際に自分で経験したし、道場で何度もこの両方を見てきているからです。
確かに「柔良く剛を制する」といった方がロマンを感じますが現実は違うのです。
昔からカラテ界、武道界は虚偽の物語が多い、大衆に夢を与えるようなストーリーを作ることは悪いことではないが、稽古をしている人は現実の世界を良く直視することを忘れてはいけない。
話が脱線しそうなので戻します。
前にも話したように我々の時代はフルコンタクトの大会がありませんでした。
道場での組手はまさに真剣勝負でした。
ルールがあるようでないような、その時加減で優しくもなれば激しくもなるという感じです。
全ての鍵は先輩の気分次第でした。
目突き、金蹴り、頭突きもあればもちろん顔面もバンバン突いて、叩いてきます。
卵型の顔、細長い顔、四角い顔、丸い顔、しばらくすると顔の形が違ってきます。
入門してしばらくして気が付いたことですが、組手の時間になると先輩達が手拭いや、何かの布で自分の拳を巻いているのでした。
私はきっと後輩に怪我をさせない為の配慮だと思いました。
その考えはまったく甘かったのでした。
兄貴が「人の口の中はいろいろな病原菌がうじゃうじゃいるんだ。相手の顔面に突きを入れた時にそいつの歯で正拳が傷ついたり、歯のかけらが正拳に刺さって後で化膿したりしてヤバイんだ。だから自分の拳を傷つけないように手拭いで巻くんだよ」
「オース」でした。
何か話がオーバーに聞こえるかもしれませんがこれでも私はできるだけ抑えて書いているのです。ホント。
思うに、あの時の組手が今の自分を創ったと思っています。
あの時先輩に殴られ、蹴られ、道場の床板が割れるほど投げ飛ばされた、あのときの真剣勝負の経験があったから今日の自分があり、ワールド大山カラテが出来たと思っています。
オンボロ道場ではありましたが、溢れるような情熱、気合、魂と魂の熱き戦いが毎日ありました。
道場はいつも緊張の糸がピーンと張りつめていました。
だんだんと組手の時間が迫ってくるにしたがって、皆の気合、気迫、精神のテンションがあがってくるのが肌に感じられるのです。
その熱気が私の身体を縛り付けてくるような圧迫感を感じました。
なんとか組手を避ける口実を考えたりしました。
「どうしよう、始まる・・、やるか、逃げるか、」
私の心の中を嵐のようにいろいろな気が駆け巡るのでした。
まさに勇気が要りました。
気合がないと最後は逃げることになるのです。
何とか支えて、稽古をこなします。
先輩に殴られ、蹴られ、身体のあちこちに残った痛さを引きずりながらの帰り道はくやしさで一杯です。
でも心の中では何か自分に勝ったような不思議な感銘を僅かですが感じました。
何か全ての世界がはっきりと見えるのです。
――――オレは確実に強くなっている。
不思議な気持ちでした。
先輩に殴られ、蹴られる、その恐怖心は消えませんでしたが、そのプレッシャーに耐えられるようになって来ました。
一つの壁を乗り越えたような自信が出てきました。
私はますます稽古に没頭していきました。
殴られ、蹴られ、投げられた先輩たちに必ず倍にして返してやる、今に見ていろ、もう少しだ。
心の中が熱く燃えていました。
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