暖かくなってきたと思ったら突然、雪が降りだした。
バーミンガハムは起伏に富んだ町である。
雪が降ると町全体が休息する。
学校もビジネスも全てオヤスミになる。
道場も勿論休みになる。
気合を入れてステラとハナを連れて散歩に出る。
寒さで顔が張ってくる。
私の気持ちを知らないで、ステラもハナも雪を見てエキサイトしている。
道程に小さなボケの花が頑張って咲いている。
白い雪と赤い花の色が冬の終わりと春の訪れを告げているように見える。
もうすぐ春の講習会、私もエキサイトしなくては、「オイショー」と言うわけで、ワンダフル空手第10話である。
先輩の組手に耐えられるようになり恐怖心が薄らぐと、組手が面白くなってきました。
それまでは先輩と向かい合うと、自分の技の間合いに入ることが出来ませんでした。
入らなければ自分の技が決まらないのは分かっているのですが、先輩の目を見ると身体が竦んで硬くなり、動けなくなるような感じになるのです。
それでも何とか気合を入れて技を出すと、簡単に受け流されたり崩されたりして、「バカーン」と突きや蹴りを貰ってしまいました。
相手との突きや蹴りの間合いに入るときの呼吸が、どうしても恐さの為に硬くなってしまうのです。
その硬さが、先輩に簡単に読まれてしまい、いいように殴られ蹴られたのです。
ところが先輩の突きや蹴りが恐くなくなってくると、自分の呼吸、動きに硬さが取れ、私の技が時々先輩にヒットするようになってきました。
丁度そのころ春山との組手でも私の突きや蹴りが2~3ヒットするようになりました。
最初に蹴りが入ったとき、春山は「オット」と言うような驚きを見せました。
その時微笑を浮かべて、「オイショー」と気合を入れてくれました。
確かではないが、私も思わず「オイショ」と気合をかえしたと思います。
時々ヒットした私の突きも蹴りも春山にダメージを与えるような力はありませんでしたが、私にとっては値千金でした。
道場の中で一番強いと思っていた春山に自分の技が当たったということが嬉しかったのです。
嬉しさは大きな自信となって身体の中に残りました。
帰り道、兄貴にその事を話すと、兄貴は自分の事のように喜び興奮していました。
その日から他の黒帯は全く恐くなくなりました。
むしろ、今までアッチコッチと痛い思いをさせられた借りを倍にして返してやる、そんな尊大な気合が出ました。
「ヨーシ、今日はこの黒帯の顔面を蹴りで、あの黒帯はいつも自分の技が決まらないと金的ばかり狙ってきた、今日は中足でアイツの金的を潰してやる・・・」
そんな余裕のような気持ちまで出てきました。
一番恐かった組手の稽古が一番面白くエキサイテングになりました。
自分の気持ちと身体が自然に合うのです。
呼吸も柔らかく、弾力性にとみ、鋭くなってきました。
波に乗ってきたのです。
相手の動きや技が読めるようになってきました。
前にも話しましたがあのころはどの先輩も自分の型を持っていました。
個性と個性の激しいぶつかり合いでした。
それぞれ自分の個性を出す、そこにクセがありました。
そのクセを読みそのクセを逆に利用して技を決める。
その技が決ったときの快感は値千金でした。
「オリャー」と気合が入り雲の上に飛び乗った感じです。
ところが先輩も自分のクセが読まれたと分かると戦法を変えてくるのです。
そこに切磋琢磨がありました。
だから組手がよけい面白くエキサイテングでした。
稽古に徹していると、「読み」が自然に出てくるというか、感じるのです。
意識的に相手を読む、「読もう」と言うのではなく、相手がどのように動き、何の技を出してくるか、身体が「感じる」「反応する」・・そんな感じなのです。
思うに、これは基本の技が確実に自分の身体に入ったからだと思います。
基本の技をマスターするには、それぞれ一つ一つその技の特徴にあった態勢を正確に自分の身体に溶けこませなくてはいけません。
正拳から前蹴り、回蹴り、後ろ蹴り、裏拳、正拳逆突き、と技が流れるときそれぞれの技の身体の使い方がナチュラルに出来ないと技が途中で中断してしまうか乱れてしまいます。
中断したり、乱れたりすると相手に付け込まれてしまいます。
相手の気合、身体のこなし、足の運び、構えで何を狙っているのかピーンとくるのです。
目線で、頭で相手を見る、読むのでは呼吸やタイミングが遅れてしまいます。
相手が送り足で間合いを詰めてきながら正拳を出し、そのまま下段か膝蹴りか、分かるのです。
相手の動き技にこもった気合、技や動きだけでなくどれだけ気合を入れているのか、相手の気迫も全てを身体全体や全霊で感じて、相手より先、または相手に合わせて身体が自然に反応するようになってきました。
読みが動きや身体から自然に出るようになりました。
勿論常に読みが当たるとは限らないが、とにかく読めるようになりました。
相手の気が一瞬止まっている、迷っている、その呼吸を逃がさず先、先と攻める。
相手の小さい動きも、誘いなのか、捨て技なのか、次の決め技が何かピーンと来る。
稽古に徹して徹し抜いた結果ここまで来たと思いました。
エキサイテングです。私は入門2年目にして絶好調の波に乗り始めました。
組手が終わった後も自分の動き技、相手の動き技が全て鮮明に甦るのでした。
ビデオを見るように分かるのです。
特に自分の技が受けられた場面、相手の技を貰ってしまったとき、自分がミスをした瞬間の場面が家に帰りビデオテープを見るように思い浮かべることが出来ました。
自分の不覚の場面を再現し、原因を見つけ、今度相手が同じように出てきたら、こうしよう、としっかりした答えを出しました。
次の対戦が待てないような気持ちです。
各基本の技が身体に正確に入っていると、前にも言ったように身体全体がその技の特徴を掴んでいるから自然に技の流れができ、無駄な動きがなくなるのです。
自由に動いてその身体の動きに合わせて技が自然に出、また技の動きに自然に身体が付いて行きます。
気合を入れて稽古をしていると、技の鋭さ、切れ、スピード、力も自然についていきます。
もう一つの発見は、基本の稽古をしていると、技が自分に語りかけてくるのです。
身体が硬い。気をもっと練る。体質を鍛えて柔軟をもっと身につける。パワーが足りない。力をもっとつける。食事、飲み物、其の他自分の周りの生活をコントロールする・・・・。
稽古に徹すると、いろいろなかたちで基本の技が語りかけてくるのです。
徹しないとその声は聞こえません。
毎日の稽古が待ち遠しくて仕方がありませんでした。
学校の宿題、予習などまったく考えず、いつも春山、兄貴、そして強い先輩の得意技を考え、その技をいかに崩すか、自分の技をどうやって決めるか、その呼吸、間合い、角度、誘いなど次から次へと考えました。
いつも詰め将棋をやっている感じです。
夢にも組手が出てきました。
何か思いつくと、真夜中でも起きて一度その動きをとってみます。
一度動いていけると思うと、何度も布団の上で繰り返しました。
私はライバル春山打倒一念に燃えて稽古に徹しました。
思うに、この時期私は自分の組手を創り上げたような自信がありました。
私は身長は普通ですが、体重が軽かったのです。
だから正面から力と力でぶつかると力負けしてしまうのです。
そこで出来るだけ相手より速く動きチャンスを作らないと勝負に勝てませんでした。
前に出る組手を基本として、変わる組手が私の得意とする型でありました。
変わる組手で一番大切なことは、相手に正面から来ると思わせる気合、動き、そして技がないといけません。
力では負けるが呼吸のとり方、鋭さでは他の黒帯より一歩先に出ていたようです。
相手と構え合い、礼をし終わった後いきなり飛び込み左右の正拳を出します。
相手を後手、後手に追い込み、呼吸を遅らせて相手の受けを誘い次の技で崩したり倒したりしました。
前後左右にも動きました。
変わる組手を得意としていましたが、いつも相手に私は相打ちを狙っている気合を見せていました。
動きや技のタイミングが一瞬速かったように思います。
突き技は右の正拳、蹴り技は前蹴り、回蹴り、その変化技、回蹴りも中足で蹴りました。
前蹴りから回蹴りに変化する技の流れがひところ面白いように入りました。
すぐに先輩たちに読まれたので、今度は回蹴りの型から前蹴りにしました。
この動きも良く決まりました。
相手の顔面へ、テンプル、顎、角度良く回蹴りが面白いように入りました。
中足で蹴ったのでちょっと当たっただけでも簡単に相手は倒れました。
ひところ蹴るのが怖くなってしまったくらいです。
もしかして本当にダメージを与えてしまうのではないか真剣に悩みました。
現在はどの流派でも膝蹴りがポピュラーになっていますが、あの時代膝蹴りを使った人は非常に少なく、殆どいなかったようでした。
私はその膝蹴りを一つの得意技としていました。
正拳や蹴り技が決まらないとき、相手の懐深く踏み込んで外受けや下段払いで相手の態勢を崩し水月や脇腹に膝蹴りを決め、続けて投げました。
この組手の型も面白いように決まりました。
時々隅にあるコンクリートのウエイトや座っている門下生の場所を頭に入れて、そこに投げるのです。
物騒な話ではありますがそう言う組手が普通だったのです。
私は動きの緩急を得意としていました。
相手の動きがスローモーションのように見える時が何回もありました。
どの経験も私にとっては新しい発見でした。
稽古に徹して徹すると、今まで見たことのない世界が自分の前に大きく開けてきたのです。
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