入門案内 誰でも楽しく空手の稽古ができます

国際大山空手道連盟 WORLD OYAMA KARATE ORGANIZATION

長い旅

スィートホーム アラバマ
 
4月12日 柔らかい朝陽を受けて新緑が輝いている。
雲ひとつない快晴である。
吉野桜は散ってしまったがツツジ、藤、それにドッグ ウッドの花が咲き誇っている。
朝のハナとステラとの散歩、ちょっと汗ばんだ肌に涼しい風がそっと通りぬける。
スィート ホーム アラバマである。
 
やっと時差が取れたようである。
今回の春の講習会、審査、ニュージーランド行きと重なって長い旅となった。
あまり長い旅だったので皆に読んでもらうことにした。
 
 
3月18日早朝5時起床。
バーミンガハム7時出発、アトランタで乗り換え。
旅行会社の人によるとアトランタ発成田行きのデルタ エアーラインはガラガラに空いている、という話であったが満席である。
いやな予感がする。
気合を入れて心を静める。
しかし複雑な気持ちで乗客の人となる。
何事もポジティブに考えることにしよう。
 
それほど揺れず約13時間後、無事成田に到着。
郷田師範、河辺、直井先生に迎えられる。
郷田兄、最近は着いたその場で、「今度は何時帰るの・・・」と言う、嫌味なセリフがなくなった。
歳のせいか優しくなった。
 
夜は喜多八で飲みながら食事、ブラジルから来ていた磯部師範も合流する。
友は素晴らしい。
 
 
3月21日 東京の講習会である。
予定通り石川、マサ先生が迎えに来る。
石川は相変わらず直立不動のスタイルである。
石川、人の話を聞いているような顔で頭の中は全く別のことを考えられる不思議な特技を持っている男である。
こちらが注意しないととんでもないことになる。
マサは変わらず腹が減って、食事なにしますかってな顔付きである。
君達これから大切な講習会、目線で戒める。
 
会場に着く。
鈴木師範、下田先生等の黒帯に迎えられる。
皆渋い顔付き、こちらも眉を絞る。気合が入る。
東京の講習会は黒帯と色帯、大人と少年部である。
少年部の生徒のレベルが良かった。指導していて気持ちがいい。
皆の気合が乗ってくると私も熱くなり自分の歳を忘れてしまう。
 
昇段審査、高久師範と寺尾先生が受けた。
二人とも型の時、右に向いたり左に向いたりお互いに向かいあったり、ほほえましかったが頭が痛くなった。
「思わず、二人とも頑張れ、必ず明日が来るから・・」と声が出かかる。
 
一緒に鈴木一太郎も受けた。
並んでいるのでどうしても比較してしまう。
“ビシビシ”と鋭い音を立てながら一太郎の突きや蹴りが決まる。
その横でなにか“ドテドテ”と重たい音。
寺尾の渋い顔、サムライなのである。
隣の高久はすました顔、彼もやはりサムライである。
若い一太郎と二人を比較しては可哀そうだ。
 
講習会の後、郷田師範の古希の祝賀パーティーに参加する予定だったが、何故かJRの駅を間違え迷子になる。
なんとかホテルまで帰る。やはり東京はジャングルである。
 
 
3月22日 時差で睡眠時間二時間。
そんなことは関係ない顔で鈴木師範が朝5時半に迎えに来る。
新幹線で姫路へ、ブレック ファーストは幕の内弁当である。
朝食の後、私は新聞、鈴木は勿論黙想である。
すぐに鼾、息吹き!?・・が聞こえる。健康である。素晴らしい。羨ましい。
 
姫路の武道館は豪華であった。
アドバンス、黒帯と色帯の生徒だけと思っていたら5~6歳の白帯の子供が6人並んでいた。
「オジサン何処から来たの?なにするの?・・」と言う様な顔付きである。
「マイリマシタ!」思わず山本師範の顔を見る。
山本澄まして、「最高師範、腕の見せ所です」そんな顔である。
思わず殺気が出る。
「オス」の2文字で耐える。
 
元内弟子だった戸谷先生が「JUST SWEATです」そんな目線を送ってくれる。
約2時間ガンガン突いて蹴らせる。
終わった時は山本マイリマシタという顔をしていた。
指導していて、少年部の構え、立ち方が気になった。
技や動きはその前の「構え」「姿」にかかっている、忘れてはいけないことである。
気がついた、これからの課題を説明して無事終わる。
 
食事会は中華であった。
狭い部屋だったので、肩と肩を触れ合わせながらの食事、戦争である。
なんとか凌ぐ。それでも楽しかった。
 
無事新幹線に乗る。
ホテルに着いたのが夜中の12時近かった。
講習会も審査も気を鋭く広く深く入れるので、終わった後、気を緩めるのに時間がかかる。
湯船に浸かってビールを飲む。
夜中の2時、目がパッチリである。
 
 
3月23日 朝5時10分、ウトウトしていたら電話が鳴る。
郷田兄から、「20分後、下のロビーで待っている様に」この人は歳に関係なく恐ろしいほど元気である。
極真会最高顧問郷田師範、河辺支部長、株式会社力フーズCEO荒井力男の3人からゴルフの挑戦を受けていた。
 
2時間後、ゴルフ場、3人まとめて揉んでやる。
結果は勿論私の一人勝ち、私が打つ時3人とも見とれている。
「ビシー」と言う音を残して球がぐんぐん伸びてフェアウェーイの真ん中に落ちる。
「ウーン」と3人のため息が聞こえる。
3人とも私の前で悔し涙は見せなかった。
 
「私が君達と私は違う星の下に生まれたのだから仕方がない、希望を持って頑張りなさい!」
と言いかけたが殺気を感じたので「でも健康でゴルフができたんだから、良かったね」と言うと「ウン」と返事が来た。
思わず抱きしめようかと思ったが70歳、68歳、61歳の顔を見たら手が動かなかった。
しかし郷田兄元気がいい。ゴルフ場は歩くのだが彼は走るのである。
それも球がアチ、コチに飛ぶので半端じゃない。
もしかしたらゴルフは「追いかけっこ」と間違えているのかも?・・・それはないか!
 
 
3月24日 成田から午後3時半ニュージランドに出発。
 
AIR NEW ZEALAND約10時間空の旅、時差が 4時間である。
AUCKLANDエアポートに着くと3月25日の朝である。
季節は何と秋である。
ここは南半球である。私は北半球に住んでいる。
やっと春を迎えたばかりなのに夏を飛び越して秋の世界に着いたのである。
そこからバスで45分、ホテルに着く。
 
次の朝、 5時半起床、首都ウェリングトンまで汽車の旅である。
出発は7時半、ホームには旅客が長蛇の列を作っている。
年寄りが眼鏡も掛けず切符をチェックしている。
「オジサン眼鏡をかけなさい、いい年下げてエッ・・」口から出かかる。
トラベルガイドブックによるとオークランドからの汽車の旅は大自然の中をスペクタキュラーな景色を見ながらの優雅な旅と謳っていた。
汽車で12時間の旅である。
 
危ぶまれたが予定通り出発。
窓の外、草原が続く。
ところどころに色彩がかすんだ緑の色が見えるが、ほとんど枯れ草の色である。
出発して約1時間ドラマティックな景色を期待する。
しかし、長閑な酪農の風景が続く。
小高い山、お椀を伏せたような丘が延々と見える。
まれに取り入れが終わって枯れたトウモロコシ畑が力なく残っている。
それでも最初は珍しく映る。
しかし同じような風景が2時間5時間7時間続くと頭と体がなんだか分からなくなってくる。
 
車内は満席である。
どの席も老夫婦が並んでいる。
何故かスタートした時は華やいでいたがだんだん静かになる。
疲れてきたようだ。
外は相変わらず羊、ヒツジ、ひつじ、牛、ウシ、うし、と馬、それにシカが牧草をのんびりと飽きもせずに食べている。
汽車は相変わらずガタゴト、ガタゴトと揺れながら黙々と走っている。
 
新幹線がいかに素晴らしいか納得する。
一体俺は何をしているんだ。
何か明治時代に戻ったような錯覚がする。アブナイ!
誰かの台詞じゃないが「倒れそう・・」である。
 
 
3月 26日 ウェリングトンからレンタカーで3時間。海沿いの街に出る。
街の名前分かりません。
季節が終わったのか人がまばらである。ゴースト タウンである。
 
 
3月27日 昨夜、TVニュースで今年は雨が少なく干ばつが続き牧草に被害が出ている・・云々の話、なんと朝から雨である。俺は雨男か!
部屋にヒーターが入る。
 
 
3月28日 車で6時間小高い山、丘を越えて、左右に羊、ヒツジ、ひつじ、牛、ウシ、うし、を見ながらナントカの街に着く。
 
 
3月29日 ナントカの街からAUCKLANDに戻る。
朝だか夜だが、春だか秋だか全く分からない。
槍でも鉄砲ジャンジャン持ってこい。そんな気持ちである。
 
 
3月30日 朝5時半起床、シャワー、 6時ホテルを出発。AUCKLAND空港から成田まで12時間の旅、機内満席である。
今までいろいろな航空会社を使ったがAER NEW ZEALANDはトップの素晴らしいサービスであった。
DELTAは一体どうなってるんだ!
 
成田に4時半予定時刻に着く。
夜喜多八で食事会、直井、石川、原田、マサ先生それに飛び入り金子先生が加わり楽しい食事会となる。
 
後ホテルで石川先生に揉んでもらう。
背広脱いだまでは分かるのだがYシャツとズボンを脱いでパンツ姿になった時は一瞬ヤバいと思った。
「オイ、お前、俺の歳分かっているんだろうな?」思わず四方形の顔を見つめました。
「オス、自分整体の免許持ってます」と直立不動で答えてきた。
 
 
3月31日 ベットから起きると身体が揺れた、頭の中が空洞である。何も残っていないようだ思考の能力がなくなっている。
TVを付けると地震ニュース、身体が揺れたのはそのせいであった。
いくら空手家と言っても地震には勝てない「マイリマシタ」。
 
夜は力男と私、郷田兄の3人で浅草の何時も行く焼き肉屋で食事。
3人合わせると210近い歳である。
会話が自然とスタミナの話になる。
 
郷田兄が「最近TVの音が良く聞こえなくなって、ボリュームを上げるとワイフに音が大きすぎると怒られる。そこで別の部屋で音大きくしてTVをみると今度はなぜ夫婦一緒に仲良く見ないのか・・と怒られる。全く頭が痛いよ」愚痴が出る。
私も力男も「ソウダソウダ!」思わず気合が入る。
そのあとはしばらくワイフの話で盛り上がった。
しかし話の内容は極秘である。
この歳で犬小屋で寝る訳にはいかないのである。
ただ3人とも最後に「歳をとるとホント女は強くなる」と結論を出し白旗を振った。
 
 
4月1日 やっと今度の旅も予定通り終わった。
 
成田に午後 1時に着く。
3時10分アトランタ行き、この便もガラガラ空いているわけだったのだが何とオーバーブッキングである。満席である。いやな予感がする。
なんとか無事自分の席を確保する。
予定時刻になっても時代遅れのジャンボ280便、何故か動かない。
キャプテンが滑走路で他の航空機がパンクしたとのこと、2時間の遅れで出発。
 
約2時間後最初の食事時、フライト アテンデンスが私の席から3列目のところで突然「ドーン」と大砲のような音、機体が一挙に「ガーン」と2~300メートル落ちたようだ。
食事のトレイ、飲み物が飛び散る。「ギャー」と悲鳴がする。
身体に思わず力が入る。
「神様ドウシテ!昨日力男と郷田兄とワイフの悪口を言ったから?スミマセン、もう、絶対に言いません!」とは思いませんでした。
でも何か祈ったようです。
 
それから約 6時間ぐらいジェットコースターなみの揺れが続きました。
それでもなんとかアトランタに 2時間半遅れで着きました。
イミグレショーンで係員のミスから 1時間半待たされる。
私の乗り継ぎの便はとっくに出てしまっている。
 
カウンターで次の便をアレンジしてもらう。
中年の女性長椅子に足を組んで、「ドン ウオーリー心配しないで」涼しい顔で 6時半の便のチケットをくれる。
指定されたゲイトに行く。何とオーバーブッキングである。
「オイ、ドナッテルンダ!デルタは・・・」
次の便 8時半ゲイトに行く、出発40分前突然ゲイトが変わる。
オシャーと叫びたくなる。
 
アチコチ回されて、やっと乗れた。
係員が「ミスター大山」と呼び止める。
ファーストクラスにどうぞとニコニコ笑顔で言う。
君ねー、20分しか乗らないのに何がファーストクラスと出かかるが我慢する。
頭にきたのでビールを持ってこさせる。
時間がないので無理して飲む。腹がおかしくなる。
 
それでも無事家に着く。ナガーイ旅が終わった。スィートホーム アラバマである。

コメント (0) | 2010/04/16

エッセイ

« | »

コメントをどうぞ

すべての項目に入力してください。

 

(公開されません)

コメント:

(c) WORLD OYAMA KARATE ORGANIZATION. All Rights Reserved.