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国際大山空手道連盟 WORLD OYAMA KARATE ORGANIZATION

内弟子生活

 家に帰ると先生が“ビンゲイ”という塗り薬をつけて、また揉んでくれた。
 先生の揉んでくれる力加減で、時々ズキンと痛さが走ったが、身体の力が徐々に抜けていった。まぶたが段々と重くなり身体がスーッと落ちていった。
 
 昼寝は熟睡だった。秀先輩に起こされなかったら、きっと次の朝まで眠っていただろう。
 夢心地の頭の中に「ガーガー、バクバク」と前の庭から芝刈り機のけたたましい音が響いた。
 開いた窓から、刈った草の強い臭いがツーン、と鼻に来た。
 
 
「秀、マサはバスルームだ。お前が教えろ」
「ウオース」
 静かな家が、けたたましいサイレンのように騒ぎ出した。
「マサ、マサ早く来い」
「オース」と返事をしてベッドから立ち上がると、右脚のふくらはぎがまだいくらか張っていた。
 動く度にピリピリと痛さが感じられたが、それでも自力で歩けた。
 
 少し脚を引きずりながらバスルームに行くと、秀先輩がバスルームの小部屋を開け、中から2、3の缶やブラシ、スポンジなどを取り出した。
「オイ、寝ぼけた顔してないで、ホレホレ。この缶を良く振って、便器とシンク、バスタブ、それとバスタブのタイルの壁にスプレーするんだ。そのままにして床を拭く。拭き終わったら、スプレーしたところをブラシでこするんだ」
「オス」
「ヨーイ、ドン、始め」
「便所掃除……」腹の中で苦い思いが出た。
 
 スプレーを撒き終わった時、秀先輩が「オイ、マサ、駄目だよ。よく振って、それからスプレーしないと泡が立たないじゃないか。このスプレーはアンティバクテリアと言って、お前のインキンタムシなんかも、消毒してくれる大事なスプレーなんだよ。オイ、掃除が終わったら自由時間だぞ」
「オス」
 
 
「お前ね、今日中に終わらせろよ。昔、ちんたらした内弟子は師範に怒られて、もう一度8マイル走らされた事があるんだぞ」
 ギクッと思った。
「マサ、早くやれよ。お前の部屋も掃除するんだぞ」
 掃除なんかした事がなかった。要領がつかめず、結局2時間くらいかかってしまった。
 
 秀先輩に「終わりました」と報告すると「先生、掃除終わりました」と元気のいい声で森先生に報告する。
「オイシャー」と先生が部屋から出て来る。各先輩達の部屋をチェックして僕の部屋へ来る。
 先生の後ろから秀、鉄、輝の3人の先輩が、何か嬉しそうにニコニコしながら続いて入って来る。
 
 先生がベッドカバーを外す。
 中のシーツが丸まったままだった。ヤバイと思ったが、意外と先生は微笑しながら
「マサ、見えないところを奇麗に掃除しないとなぁ。見えるとこだけ掃除するのは、馬鹿でもできるんだ。内弟子は、見えないところから掃除して、ビシッと決めるんだ」
 先生は、僕を睨みつけながら頭を左右に振って「やっぱりな」とつぶやいた。
 
 ベッドの脇の小さいテーブルを動かすと、ベッドの足元にゴキブリが曲がった足を天井に向けて死んでいた。
「オイ、マサ。お前のルームメートの、ゴキ君かブリ君か知らないが、こんな所でまだ昼寝してるぞ」
「オス」
僕がテーブルのトイレットペーパーを取ろうとすると、先生が
「マサ、噛みつきはしないんだから手で掴め。トイレットペーパーを無駄にするな」
 ゴキブリを見ると、濃いブラウン色に輝いていて、何かまだ死んでないように見えた。背中に先生達の強い視線を感じた。
 腰を落とし、ゴキブリに右手を近づけるが、どこを掴んだらいいか迷ってしまった。
 
 先生は何も言わず黙っていた。頭や腹はなんとなく嫌なので、曲がった長い足を、親指と人差し指で掴もうと思い、そぅーと指で掴んだ瞬間、死んだと思っていたゴキブリが、足をばたつかせた。思わず「うわー」と声に出して、掴んだゴキブリを落としてしまった。
「ガハハハー」と皆が笑う。
 先生が「マサ、そんなでかい図体してゴキブリ一匹も掴めないのかー、しょうがないな。便所紙使ってもいいから早く始末つけろ」
 
 僕は頭に血が昇ってトイレットペーパーをちぎって、無造作にゴキブリを掴み、指の先でそのまま握りつぶした。「ぴちっ」という音がする。
 皆が「おー、オイシャー」と声を入れる。
 先生が「ウーム。いい気合だ」とにんまり笑った。
 
 
 バスルームもやり直しとなった。掃除がやっと終わった。自由時間である。寮の中が急に緩やかになった。先輩達の顔つきも穏やかになった。
 先生と秀先輩が出かけた。2人はデートである。
 夕食は2人の先輩が野菜炒めを作った。食欲はまったく無かった。
 鉄先輩が「オイ、マサ。食べないと力が出ないぞ。食うのも稽古、食べろ」
 
 何とか食事をし、部屋に行くと、背中から先輩が
「マサ、日誌を書くのを忘れるな。お前が忘れると、俺たちの責任になるからな」
「オス」
 ベッドに横になる。疲れた。本当に疲れた。外のマグノリアの枝の間から、青白い月の光が差し込んでくる。
 天井を見上げながら、涙が出てしまった。
 僕はいつでも甘いんだ。人の話をそのまま信じてしまうし、外見だけで物事を判断してしまう。
「オイ、真太郎。アメリカはいいぞ。俺も若かったら行きた……」
 
 
 親父が恨めしく思えた。
 日本が恋しい。百合子が恋しい。
 内弟子の生活が、こんなに厳しいとは思ってもみなかった。
 内弟子という意味をまったく知らないで、親父の甘い言葉に乗せられて、百合子を見返してやろう、と単純に考えて、ここまで来てしまった。
「何で便所掃除をしなきゃいけないんだ。僕は空手家になるつもりなんかまったく無い。何とか理由をつけて日本に帰らなければ……」
 
 
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コメント (0) | 2010/06/13

内弟子 in America

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