ディープサウスは真夏である。
ジリジリと灼熱の太陽が肌を焼く。
ホント、肌がやける音が聞こえるようである。
この暑さがスタートしたのは6月の初め、ガンガンと9月いっぱいまで続く。
毎年10月に入ると朝晩の空気がチョット違ってくる。
気合を入れないと暑さに負けてしまう。
毎朝のステラとハナの散歩も勇気がいる。
2匹とも出だしはエキサイトしているが10分も歩くと、「ハァー、ハァー」と呼吸が荒くなる。
私も同じである。
昔、内弟子によく言ったセリフがある。
「8マイル走るのも最初から13キロと考えないで、見えるところの目標を先ず頭に入れるんだ、スタートの2~3分が一番苦しいんだが、そこを乗り越えると後は楽になる・・・」
なんとなく思い出される。
「オショー」と自分に言いきかせるわけである。
ステラもハナも内弟子ではないがホレホレと気合を入れる。
もう8月である。あっと言う間に2010年が半分過ぎてしまった。
この半年を振り返ってみる。
特に思い出されるのは、今年5月1日のアメリカンカップ、中年の部?壮年の部?に出た日本のサムライ直井、石川、藤井、宗高の4人である。
直井は全日本もアメリカンカップも常連である。
石川、藤井、宗高この3人、特に藤井と宗高は初めてのアメリカである。
断っておく、私は試合に出ろとは言わない。
本人次第である。
ここからは私の勝手な想像で書く。
直井があのいくらか丸みを帯びた長方形の顔、眼鏡の中の優しい細い小さな眼をパチパチさせながら3人に「どうします?」と、それとなく大会出場を聞く。
そこで藤井と宗高が「エッ」とドキッとする。
そこはサムライ藤井、内心の動揺を見せずに平静を装って「ウーン、ドウシマスカネ」と石川に話の腰を持っていく。
石川も「エッ」と思わず気が動くが、そこは常にマイペースの石川、世界をまたにかけて歩いている男、世界選手権だろうが、アメリカンカップだろうが、全く関係ない、澄ました顔をしながら眼鏡をチョット直し「ソデスネ―」と直井を見ながら曖昧に答える。
直井が3人の顔を見ながら「ウーン、自分は出ようか、と思っているのですが・・」それとなく誘うように3人を見つめる。
経験者の石川「やってみますか?」と藤井、宗高をみまもる。
そこまで言われては藤井も宗高もやるしかない。
二人顔を見合せながら、意を決し「ジャーみんなで暴れましょう?」とか言ったとか言わなかったとか、・・・・その当たりは霧の中である。
重ねて言う。あくまでも、これは私の勝手な想像である。
4人のサムライには関係ないことである。
ただ大会当日藤井と宗高がいくらか緊張していたようなので私の想像が膨らんでしまったのである。
私の想像はまだ続く。
藤井が宗高と顔を見合せながら「どんな選手が出るのかな―?」
宗高「ウーン」と首を傾げて、直井と石川を見る。
直井が何故かニコニコしながら、「どうって事無いですよ、上段回し蹴りが腰の高さ、中段回し蹴りが膝の高さ、そんなもんですよ」
そんな無責任な話をしたとかしなかったとか。
いよいよ試合が始まる。
それとなく藤井と宗高の顔を見ていると緊張している。
それでも会場の端で回し蹴りを蹴ったり受けたりしてウォーミングアップしていた。
健気である。
思わず、オジサン頑張って、やればできる心配するな!・・と声が出かかる、甘やかしてはいけないグッとこらえる。
宗高の最初の相手はアトランタ道場の茶帯ステーブ・ギャングである。
名前がギャング、でも人柄は優しい男である。
今年の春に黒帯の審査を受けて見事落ちた、そのうっ憤を晴らすつもりかいやに気合が入っている。
ウエイトが、宗高63キロ48歳、ステーブ95キロ45歳、身長も頭一つぐらい違う。
二人が並ぶと宗高はステーブの身体半部ぐらいである。
試合が始まる。
宗高いろいろ動きながら突きと蹴りを出すがなんとなく鋭さがない。
身体で押されてしまう。
直井の話ではないが二人とも蹴りが腰から上にあがった技を出さない。
出せるのだけれども出さない・・・か、どうかは分からない。
残念ながら宗高判定負け。
藤井、50歳身長174センチ70キロ、相手は私のところの初段ジェリー53歳身長186センチ95キロ初出場、である。
ジェリーは身体が硬い心も硬い、動きもロボットが動いているような感じである。
藤井頑張っていろいろ動く。
時々回転する、後ろ蹴りを出そうとしているのかな、と見ていたが蹴りが出てこないスタイルはなんとなく格好いい。
しかし技が残念ながら出てこない。
それでも努力している様に見えないでもなかった。
判定負けであった。
石川41歳75キロ、相手はポール49歳85キロ初段毎年上位入る。
眼鏡を外した石川なかなかハンサムである。
ポールに押されたが、適当に突きを出し下段を蹴って、ケガのないように試合をこなす。
判定負け。
この3人頑張ったが、自分の力強い得意技が見えなかった。
これは何時も黒帯の審査、講習会で言うのだが、何か自分を何時も支える力強い得意技を2~3身につけなくてはいけない。
そしてその技の組手の型を練って身に付ける。
4人とも気合は良かった。が自分の持ち味を組手に見せてもらいたかった。
直井の最初の相手はアルバート58歳75キロ170センチ。直井42歳176センチのほうが身長も体重も上だった。
試合が始まる。
このアルバート3級で一番年齢も上だが、力強い右の逆突きを持っている。
さらにその技の使い道も分かっている。
相手の下段回し蹴りや、突き技に合わせて出す。
自分の組手の型をもっている訳である。
直井は表情には出さなかったが最初の技を出し合った時、きっと内心は「オッ」気合が思わず入ったことだろう。
しかしそこは全日本3連覇の直井、相手の突きや蹴りに対してコツコツと受け返す得意の試合運び、延長になるも、試合終了間際、ラッシュして判定勝ち。
直井は試合の運びがうまいが、相変わらず身体を開いて構えていた。
構えが開くと、技のタメが消える。
受けて返すが鋭さがない。
構え、体勢を開いて相手の技を誘い相手の技に合わせてタメを作る動きがまだ見えなかった。
直井はまだ楽に相手の上段を蹴れる。
別に上段を蹴れるから良いと言うのではない。
それだけ若さと言うかバネ、力が残っていることである。
だからもう少し鋭い組手を身に付けてもいいのではないかと思うのである。
しかし4人とも見ていて気持ちがよかった。
いつも言うのだが、大会に出ることは勇気のいることである。
負けても勝ってもその事実を直視すると明日の課題が秘められている訳である。
これは自信を持って言えることである。
ジクジク考えてないで1歩前に出る。
ここが我々の精神である。
頑張れワールド大山空手中年部、壮年部!
全日本も近い、みんな一歩踏み出せ。
そこに本当の自分を見つける何かがある。
誰でもできる。
一歩出るか出ないかの差だけである。
汗を流せばきっと勇気が出る。
そして明日も輝くかも・・・。ともあれ健康第一である。
オス
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青葉区の奈良の丘小学校で、大山空手を習い始めて3か月になります。母と弟と3人で石川先生に指導を受けています。石川先生は礼儀作法にとても厳しいけど、なるほどな、と思ったことばかりです。今日ホームページを見て、僕の習っている石川先生が大きな写真で出ていました。石川先生って有名人だなって思いました。
from 東(2010/08/29)石川先生、大会でメダルを取ってきてください。
今年4月、藤井さんが転勤してきた。名刺の裏にワールド大山空手の文字があり、まわりの人は驚いたような不思議な顔をして見ていた。
from くまちゃん(2010/11/07)なれない環境で、遅くまで仕事をしていたが、5月の連休にはアメリカで空手の武者修行をしてくると出発した。
怪我だけはせずに無事に帰ってくることを願っていた。
なんとか怪我もなく無事に帰ってきたが、調整不足もあったのか、試合は判定負けしたとのことだった。
その後、職場で武道同好会を立ち上げ、今では課長も昼休みにヌンチャクを振っている。