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国際大山空手道連盟 WORLD OYAMA KARATE ORGANIZATION

日本の旅

6月24日
朝5時起床、カールに空港まで送ってもらう。万歳するな、と念をおす。「オス」と返事をするも不可解な笑みを浮かべる。時間が迫っているので、それ以上念を押さないで機上の人となる。

 

アトランタで約2時間待つ、成田行きは何時もながら満杯である。映画を3本、なかにインドの映画を見る。なかなか面白い。ウーン、世界は確実に変わっている。丁度日本行きの数日前にやっとシナリオ、“TAKE CHANCE”が完成した。この後、ラインプロデュサー(LINE PRODUCER)が具体的な費用の計算をする。約2週間かかるようだ、日本から帰ってくる時期にまたミーティングを約束する。もしかして、もしかするかもしれない。夢は見るものだ。

 

 

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長い空の旅だがそれほど悪くはなかった。予定より20分遅れた到着で日付も6月25日である。迎えに来ている郷田兄と直井先生の喜びに溢れた笑顔を想像しながら、スキップをするように歩く。税関も二言三言でパス、期待に胸を弾ませながらロビーに出る。
ドアがさっと開く。直井先生の「オス、最高師範お疲れ様です。」と駆け寄って来る。そう思っていたのだが、何と誰も寄って来こない。声もかかってこない。時間間違えたのかな?
ロビーを見渡す。アチコチで迎えの人と抱き合っていたり、手を握り合っていたり人の情の美しさを見せていた。
トボトボと歩きながら二人の姿を探す。エスカレータのところ、どこかで見た様な色の黒いオジサンと長方形の四角顔、眼鏡の中の目がショボショボと忙しく動くチョット太り気味の中年男、直井先生であった。
5~6メタ―離れた所から目線に気合を入れてにらむ。二人とも出口から出て来る乗客を見ているようだが楽しそうに談笑している。無視された。そっと近づく。
「そうなんです、美人だったんです・・ハッハッ・・」直井が言う。
「誰が美人?」私が顔を二人の間に突っ込む。
「アッ、早かったね!」郷田兄。
直井が、私が何にも言わないのに。「オス、頑張ります!」何時もの台詞でごまかす。
「君―、頑張ってないじゃないか、エッ、無視してるんじゃないの、早かったんじゃないよ、20分遅れたのよ!」 先が思いやられる。到着日。

 

 

6月26日
直井先生の道場で、講習会“型とその応用”を稽古する。チョット息が上がってくると、腰が浮いてしまう。何でも立ち、姿勢が大切である。気が逃げると腰が浮いてくる。技を追いかけるのも大切だが、技の前の姿勢、態勢を常に正しく保つ。そこに稽古の味がある。自分の立ち方や姿勢は一夜付けでは身に着かない。コツコツと毎日の地味な稽古をしなくてはいけない。そこにカラテ道の意味がある。技の前、動きの前の自分の気合、姿勢、姿を決める。

 

審査、皆頑張ったが、印象に残ったのは10歳から13歳ぐらいの子供、グリーンベルトの組手の時だった。お互いに励まし合って、審査を受ける光景は良く見るが、技や動きの適切なアドバイスをするのはあまり見られない。
ところが今回の審査で、「回って、動いて、ハイハイ止まらない・・」「気合、振って{技を}、動いて、回って・・」思わずその子を見た。なんか嬉しくなった私の空手が子供に伝わっている。そう感じた。技は足の運びと結びついて初めて完成される。足の運びは、自分の気合、読み、拍子{テンポ、リズム}等トータルな問題である。実力の有る無は、技をかける瞬間の呼吸に出る。自分の気を力強く、硬くならず、弱すぎない。稽古に徹している人は、息が上がっても技が乱れない。それは技を出す前の足の運び、態勢、姿勢、構えがナチュラルに出来ているからである。
審査でグリーンベルトの子供がそこまで分かってアドバイスしていたとは思わないが、自然に足の動きが大切なことだと普段の稽古の中で先生に何度も注意され、それを守って稽古している様子が見えた。それでいいのである。寺尾先生と高久師範再審査、両方とも頑張った。

 

 

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審査受験者と集合写真

 

 

審査の後、浅草に出る。日本に来ると必ず寄る焼き肉屋。石川、マサ先生呆れるほど食べる。ホテルで二人にマサージをさせる。焼き肉を食べてる時は見るからに幸福そのものであった、がマサージの時は何故か殺気を感じた。10分過ぎるころから、何と爪を立ててひねくり返してきた。
アブナイ!もう帰れ!二人ともニコニコしながら「オス、ス」
「返事は一度でいいんだ」
「オス」

 

 

6月27日
朝5時鈴木師範、時間ピッタリ部屋をノックする。時差で眠りが足らない。身体のアチコチに爪のあとが残っている。石川とマサ先生の顔が浮かぶ。姫路での講習会、審査である。東京と同じ内容の型から入り、その応用をこなす。やはり息が上がってくると腰が浮いてくる。立ち方が弱くなり、技の切れが消える。それと気合が小さかったり、無かった。困ります、山本師範。
稽古は自分を練る、鍛える、チャレンジする。指導している者が少しでも隙を与えると、生徒はすぐに甘える。子供は何時も何かエキュスキューズを狙っている。自己練磨した後は大いに褒めてやる。立ち方、構え方、足の運びを見ると、なんとなく普段の稽古姿が見える。東京と同じように活を入れる。島本師範、藤井先生、宗高先生、檜原先生、それと輝先生御苦労さまでした。山本師範、コヒ―にサンドウイチとても美味しかったです。

 

 

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審査受験者と集合写真

 

 

6月28日
直井道場で特別指導、大人のクラス。すべて技の前の自分の態勢を自然に決める。力まず、硬くならず如何に自分の姿勢、態勢を保つか、このポイントを指導する。地味な稽古だが、大切な稽古で、コツコツと続けなければいけない。カラテ道は、稽古の成果がなかなか見えないし、感じない。だから「押忍」である。またそこが武道の素晴らしさでもある。

 

 

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深川支部特別クラスの集合写真

 

 

稽古の後食事会、焼き鳥、煮込み、モツ焼き、なんだか知らない焼きモノ、ビール、みんな美味しかった。食事会の時、生徒から大会出場について質問を受ける。思うに大会に出場する時、殆どの生徒が、先ず稽古量が足らない、自信が無い、いろいろと囁きが出る。しかし心の底では出てみたい、自分の力量を試してみたい。いろいろな葛藤がある。これは至極自然な流れである。 
私のアドバイスは、とにかく出場することである。先ず出ることが新しい世界を見せてくれる。これは間違いない。勿論それぞれ人によって世界が違ってくる。普段の稽古でコツコツと自分を練ることが、大切なことが身体で分かると思う。後は自分との戦いである。まさに人生そのものである。

 

 

6月29日
郷田兄、河辺、金子らと、久しぶりのゴルフ。心配していた雨も降らず楽しかった。相変わらず我が刎頚の友、郷田兄ゴルフボール打っては走り走ってはまた打っていた。ゴルフ場を、もしかしてランニングコースと間違えているのではと思ってしまった。

 

 

6月30日
昼飯を小さな巨人がやっている、大沢食堂{藤平}で食べることになった。前回のエッセで書いた日本にキックボクシングを広めた功労者、チャンピオンである。来日の折、時間が有れば寄る様にしている。
ホテルで待っていると、何時もはベンツなのだが、何と今日は、ホンダの何とかという100CCのバイクである。
ドッキして「エッ!あんた、嘘でしょう、まさか我々オジイサンがこんな小さいバイクに乗るなんて、みんなに笑われますよ」
「なーに、早いのよ、バイクだとさっと行ってさっとかえってこられるの、ハイハイ乗って」
「勇ーちゃん、俺まだやること残っているんだけど・・・」
「いいんだから早く、乗って、乗って」
そう言いながら自分はなんかブツケテも、大丈夫なようなヘルメットをかぶる。色も黒、力強い。私にはどこかの工事現場のゴミ集めしている、おじいさんがかぶる、申し訳なさそうなヘルメット、色は白、なんとなく貧弱である。
とうとう後ろに乗る。
「ネ―、どこ掴むの」
「腰よ、コシ!ハイハイ、でっぱつー」
思わず頭のてっぺんから「オウ―、ヤァー」と気合か悲鳴が出る。

 

日曜日の池袋流石に混雑している。タクシーもトラックもSUVもみんな怪物に見える。それでもスレスレに上手く通りぬける。ところがカーブの時にバイクが傾く「アッ」また悲鳴か気合か漏れてしまった。
「ンータック!大丈夫!死ぬ時は一緒」
「エッ、まさか!冗談でしょう」

 

途中、何度か信号で止まる。一度となりに若いお兄チャンのバイクが並んだ。我々のバイクよりデッカイやつを乗っていた。思わず、目線が合った。「ブルルーン、ブルルーン」と威嚇するような音、こちらは「ブル、ブル」である。
「フーン、おじいさん達、危ないよ、自転車にしなさい、いい年こいて・・・」信号が変わる。
「ダダウ―」と排気ガスを残してアッと言う間に走っていった。
我々もその後、「ブルブル」と音を立て二人合わせて140歳のおじいさん達は出発しました。
今こうして思い出しながら書いているのだが、冷や汗がまた出て来た。

 

コメント (0) | 2011/08/09

エッセイ

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