今年の夏はことのほか激しい暑さが続いた。エンドレスサマーかと思った。
知らぬうちに季節が変わった。毎日歩く小道に枯れ葉が落ちている。
朝の散歩、ひんやりした冷気が身体を包む。自然と気が入る。ステラもハナも元気がいい。健康である事に感謝する。
そこで、久しぶりにワンダフル空手14話である。
春山がいなくなり、ムエンタの話も終わった。道場は静かになった。
べつに空手に対して悟ったとか、開眼したとかではないが、稽古に燃えるような気合いが無くなってしまった。
チャレンジする相手がいなくなり、大きな目標が消えてしまった。
自然と道場から足が遠のいた。
毎日カラテ、カラテと生活していたのに不思議とカラテの事を考えなくなった。
稽古をしなくなっても葛藤が無かった。
その頃の話を飛び飛びの思い出を頼りに何とか書いてみる。
丁度卒業する時期であった。
学生時代から時間があればいつもアルバイトはしていた。どんな仕事もこなした
何時も金欠病でピーピーしていたが食べるのには困らなかった。
卒業を控えて就職を考えた。
何とか卒業は出来そうだが、その後何をするか真剣に考えたことがなかった。
ただ、もっと勉強すべきであったと反省はした。しかしもう遅い訳である。
自分には果たして会社勤めが出来るかどうか、・・・非常に疑問に思った。
いろいろと想像した・・・紺かグレーの色、地味なカラーの背広を着てネクタイを締め、朝の満員電車に揺られて会社に出る。
デスクに座って何かの仕事をする。上司の顔色を伺いながら頑張る。
熱の入らない仕事、時々ミスをする。
係長か課長に、怒鳴られる。得意の回し蹴りでも入れてやろうかと血が騒ぐ。
それでも我慢して仕事する。
昼は近くのソバ屋か定食屋で安い定食を食べる。昼飯の後は眠くなる。
ウトウトすると上司に気合いを入れられる。何とか定時まで仕事をする。
時として「オイ、今日は、9時までこの仕事片付けろ、残業だ!・・・」
・・・・・想像が時々ドンドンあっちに行ったりこっちに行ったりした。
迷ったあげく、出た答えは自分にはサラリーマンは向いてない・・・であった。
卒業を前にして悩んだ。
私は明治大学の法学部法律科に在籍していた。
明治大学法学研究室
小学校から大学まで変わらず得意と言うか、自信のあった科目は体育であった。
しかし法律の勉強は不思議と苦にならなかった。
むしろ結構自ら進んで、興味を持って専門書を読んだ。
時々クラスで刑法や民法のゼミをやる。それなりに予習をするとこれが面白い。
法解釈はいろいろと学説が分かれる。
そこで議論になる。私も結構発言をする。もしかしたら俺は法律家になるのでは・・・と考えた事もあった。
丁度その頃、確かではないがNHKで「弁護士プレストン」と言うドラマを毎週土曜日に放映していたように思った。
弁護士ペリーメイスンと言う番組もあったがチョット話が派手過ぎた。
プレストンの方は日常の問題を視聴者も含めて考えさせられ、解決していく法律の話であった。担任の教授も進めていたように思う。
番組を見ながらなんとなく弁護士も悪くはないな、と思うようになってきた。
クラスの中に在学中に司法試験を合格した奴が2人もいた。
ずば抜けて頭がいい奴とは思えなかったが、遊ばずに、何時もコツコツ勉強をしていたようである。
印象に残っているのは、答案用紙やレポート等を見ると字が綺麗と言うか、丁寧に書いていた。
私の字はメチャクチャであった。
とにかく型にはまった生活、仕事、それに人に命令される、使われるのが苦手と言うより嫌だった。
サラリーマンになったらすぐクビになるのではないか、と心配であった。
いろいろと考えた。
自分の考えや解釈、判断で仕事が出来る法律家に魅力を感じた。
それと身近で、司法試験合格者を2人も眼の前で見たことが、よし俺も気合を入れて勉強すればいけるのではないか、単純にそう思ったのである。
今はどうか解らないが、その頃の明治大学には5つの法曹関係の研究室があった。
お茶の水にある明大の本館、四階にあった。
卒業と同時にその中の一つ、法学研究室入った。
忘れたが簡単な面接か試験があったと思った。自分のデスクがもらえた。
スポンサーなどいない、資金なんかある訳がない。そこでバイトをしながら勉強することにした。
前にも言ったように、バイトは何でもやった。
道路工事、割烹、レストラン、ナイトクラブでの皿洗い。
いろいろ有った。おぼろげながら思い出すと笑いが出ることが多かった。
時々、同じ研究室の先輩がアドバイスをしてくれた。
適当に会社を選んで就職をする。6ヶ月通勤する。6ヶ月経つと失業手当が付くのでそこで会社を辞める。
そして勉強に専念するというものだ。
ある時、新聞の求職覧を見て探した中堅の商社に就職した。
営業マンになった。就職して3~4ヶ月経った。
仕事にも会社の雰囲気にも慣れたある日、得意先の課長を接待することになった。
何故か私も上役と同席した。酒が入る、談笑する。
どんな話をしたか良く思い出せないのだが、突然お得意先の課長が「大山君、キミはサラリーマンの器ではないよ、こんな会社辞めた方がいいよ・・・」
「オッ!鋭い」ビックリしてしまったが、何故かその課長さんと二人で「ワハワハ・・・」と笑ってしまった。上役が渋い顔をしていたのが面白かった。
同じ研究室にMとOと言う後輩がいた。
MもOも明高から明大と進んできた人のいい奴であった。
Mは一見すると文学者のような顔をしていた。残念ながら頭が切れるようではなかった。
Oはというと、見た目は屋台のオジサンの様な顔していたが頭が鋭かった。
2人とも酒が好きで3人で良く飲んだ。
Mは自分の会社をもっていた。父親が亡くなってその会社を継いだようだ。
会社と言っても社長兼社員と言う個人企業の会社である。
彼のところに建設会社等が仕事をもってくる形だった。下請けをこなしていたようである。
Mのおかげでビルの工事仕事がドンドン来たので、仕事を見つける苦労がなかった。
不平も文句も言わず何でもやった。結構楽しかった。
卒業してから本格的に勉強を始めた。
働いてない時は、大体一日10時間以上勉強した。
研究室と図書館で一日中6法全書と睨めっこしていた。
図書館も何時も自分の席が決まっていて、知らない学生が座っていたりすると文句を言って変えさせたくらいだった。
昼飯の後はどうしても眠くなる。6法全書から子守唄が聞えてくる。
先輩に眠くなったら針で自分の腿を刺せ、と教わった。
針はなんとなく嫌だったので、顔や腕、脚をつねった。
自分ではつねったつもりなのだがマッサージのように気持ち良くなってしまい、よけい眠くなって困った。
仕方がないので先輩の言うように針で刺した。一発で効いた、目が覚めた。
でも1時間以内にまた眠くなった。そこでまた刺す。腿に穴がたくさん出来て、風呂に入る時に苦労した。
学問とはカラテの稽古より厳しいのではないか?一瞬思った。
研究室では月曜から土曜日まで決まった科目(民法、刑法等)を自分で勉強する。
土曜日の夕方は司法試験を合格した先輩や担当の教授の指導でゼミになる。
ゼミは口から泡を飛ばすような激しい意見の交換になる。実戦組手と同じである。
真剣に身体を張って意見を言い合う 。
日曜日の朝、その科目の筆記試験をする。一年中この繰り返しである。
ゼミの終わった後、土曜日の夜飲みたいときは昼飯を抜く。空きっ腹だとすぐに酔えるからだ。
お金がないので安く気持ち良くなれる方法を先輩から教わった。
研究室の連中は殆どピーピー言っていた。
夢中で勉強した。他の事は一切目に入らなかった。
ゼミで自分の意見を認めさせた時など、俺は学問も黒帯か?などと思った。ホントである。
こんなにも頭が良かったのかと自分で驚いていた。ホント乗っていたのである。
あの頃は春に短答式、夏に論文、秋に面接と言う順序で司法試験があった。
毎年短答式司法試験を受験する人は2~3万ぐらいであった。東大を含め、国立、都立、私立を含め全国の大学から現役、浪人が受けるのである。
短答式合格者の数は約2千人ぐらいであった。
何故か思い出せないが、一度郷田師範の車で法務省の裏の壁に発表を見にいったことがあった。
2人で番号を見付けた時はやれば出来ると思った。
残念ながら、その後の論文では落ちた。
毎年同じ研究室からは2~3人合格者を出していた。
合格者を見ると、時々予想外の奴が合格した。
ゼミや論文を見ると間違いが多いやつである。
ずば抜けて頭の鋭い人が落ちてバカみたいなやつが受かると司法試験が霞んで見えて来た。
合格した奴は決まって字が綺麗で上手かった。
約6年ちょっと勉強した。初めの2~3年は勉強にかなり乗っていた。
今振り返って見るとその後はだんだんと惰性になってしまったようだ。
このエッセイを書きながら断片的ではあるが、その頃の面白い話を少し思い出した。
西武新宿線の野方と言うところに下宿していた。
隣の部屋に同じ研究室の井上と言う奴がいた。同期であった。
朝から晩まで2人でよく勉強した。一緒居るときは殆ど法律の話だけであった。
彼は頭が良かった。何故受からないのか不思議なくらい法解釈が鋭かった。
結論は2人とも習字の勉強もしなければいけない、ということであった。
ある晩2人で銭湯に行った帰り、近くの焼鳥屋に寄った。
カウンターと小さいテーブルが3つ置いてある、老夫婦だけでこなしている店であった。
バイトの金が入った時に寄る馴染の店であった。
我々は出口の近くのカウンターに座りビールと焼き鳥をつまみながら憲法の話をしていた。
奥のテーブルに異様な学生服の大学生が1人で飲んでいた。
その学生さん、口髭とモミアゲを長くアレンジしていた。
確かではないが花の応援団と言う漫画があったような気がするのだが・・・。
そんな漫画から飛び出して来たような顔をしていた。
学生服は丈が長く、ハイカラーであった。調べてもらったら長ランと言うらしい。
カウンターに座る前から何故か我々を睨んでいた。嫌な予感がした。
彼の視線を無視し、私も井上も静かに憲法の議論をしていた。
突然その学生が立ちあがり我々のところに来て、「オイ、お前ら。何をゴチャゴチャ話をしているんだ!」
井上は静かな男だが正義感のある奴であった。
その学生に、「憲法の話です」と答えた。
「お前ら静かにしろ」とカウンターを手刀で叩きながら強面の学生が凄んだ。
我々は顔を見合わせて「ハイ」と答えた。
学生さんハイカラーの為首を突きだすようにして、強面をさらにくしゃくしゃにして睨んで自分の席に帰った。
我々はまた憲法の話に戻った。またその学生さんが立ちあがり近づいてきた。
カウンターの中の親父さんが「お客さんやめてくださいよ」と学生に注意した。
学生が「うるせー!」と親父さんに怒鳴った。
私はカチンときた。
学生が「お前ら偉そうになんか憲法の話をしているが、一つ教育をしてやる・・・」こんなようなことを言ってきた。
「私がどんな教育ですか?」と聞くと、
「ナヌ―この野郎表に出ろ」となった。「ハイ」と返事して立ちあがった。
井上が「オイ・・・大丈夫か?」心配顔で聞いてきた。
井上は、私が極真カラテの黒帯であることは知っていたが、どれほど腕がたつか知らなかった。
余談だが、あの時代銭湯に行く時は自分でセルロイドの桶に石鹸とタオル入れて持っていった。
シャンプーやコンディショナーなどなかった。
頭の上から足の下まで全部石鹸で擦った。
話に戻る。
私と井上は強面の学生についていった。
静かな夜に学生さんの靴の音が「カッカッ」と響いた。まさに劇画である。
我々は下駄である。(チョット今思ったのだが今は下駄をはいている人はいないのかな?)
井上がまた「オイ、大丈夫か?大山、俺は喧嘩したこと無いからな」
私が「ウーン、たぶん大丈夫と思うよ」
彼は「エッ!」と呟いて黙ってしまった。不安そうな顔色をしていた。
我々は裏道入りの店仕舞いした酒屋の前に立った。
そこに街灯があったからである。
学生さんがおもむろに長ランを脱いだ。なかはヨレヨレのシャツだった。
その違いがよけい面白かった。
私が井上に石鹸とタオルの入った桶を渡す。
学生さん「オレオレ」と言いながら腰を落とし両拳を水月のところに構えた。
一見伝統派のカラテの構えに見えた。
「サーコイ、オイヤー」恰好が良かった。決まっていた。絵になっていた。
私が「いいか?いくよ?」学生さん「オイヤー」気合を返してきた。
間合いが詰まった、前の左手で顔面を牽制して右の回し蹴りを出した。簡単に決まった。
蹴りが決まった瞬間、学生さんの身体が電子柱のように硬直してそのまま倒れた。
私は軽く蹴ったつもりだったが顎に決まってしまったようだ。
「ウーンウーン」唸っていた。私が「オイオイ」と顔を起こしてやると夢でも覚めたように髭面の顔を向け、よだれを垂らしていた。
井上が、唸ってる学生を見ながら「オー、オー、大山、お前強いなー、すげーなー・・・」と感心していた。
その後続けて「オイ、息しているのか?・・・」
私が「唸ってるから息してるんだよ・・・」
2人で落語のような会話になった。
学生の目線が戻って来たのでそこから走って下宿に戻った。
2人で「大丈夫かな?」と言っているときに、急に救急車の音が聞えて来た。
我々は顔を見合わせて「ヤバイ、傷害罪・・・。司法試験は受けられない・・・」困った。
どうしよう・・・と2人で顔色を変えて心配した。もう遅い。
どうしても眠れないので2人で深夜にまた焼鳥屋さんに行った。
当然店は閉まっていたが、外からシャッターをドンドン叩いて起こした。
親父さんが出て来て、あの後学生さんがフラフラしながら店に氷を貰いに来て「頭が痛い顎が開かない、とか何とか言いながら帰っていったよ・・・喧嘩は駄目だよ」
親父さんの話を聞いて、やっと安心して下宿に帰った。
この後この学生さんとなんと銭湯で再会した。縁がある様だ。
長ラン君は隣近所で下宿していたようだ。
銭湯で再会した時は下を向いたまますぐ出ていってしまった。
前にも言ったように同じ研究室から2~3人毎年合格していた。
なかには「ホントか?嘘だろう」と言う奴がいた。
法律の勉強がマンネリ化してきたある日、故大山総裁と偶然出くわした。
明大の裏、神保町の街に学生が利用する銭湯があった。
確か午後3時に開店していたと思う。一番湯が好きだった。
休憩がてら風呂に入ったその帰りだった。
いつものようにセルロイドの桶に石鹸とタオルを入れて、持って歩いていた。
総裁がニコニコ笑いながら「キミ何してるんだね?」私が「お風呂です」と答えると、
総裁がカッカッカッと笑った。
そこで総裁に「道場に戻れ」と口説かれた。
井上はその後数年して合格したと風の便りに聞いた。
今頃弁護士になって活躍しているのかもしれない。
青春の思い出はなんとなく甘酸っぱい味がする。オス
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昭和ノスタルジーの世界、つい引き込まれます。押忍
from 藤井 嘉文(2012/11/22)昔の極真の先輩達には、道場破り達との闘いや、町中でのケンカ等、武勇伝が、かず多くあると思います。それらの話しをいろいろ聞きたいです。極真ファンは、それが一番知りたい事なのです。 泰彦師範、お願いします。
from 佐藤勝弘(2015/06/14)私はこのエッセイの中に出てくる井上という者です。中野区野方の下宿時代の大山君との数年間は私にとって本当にかけがえのない思い出で、エッセイに出てくる飲み屋の一件は今でも脳裏にはっきりと残っています。本当に昭和は良い時代だったと思います。下宿を出てから大山君が再び空手の道に戻ったことはつゆ知らず、2~3年前大山君の消息を知るために、いないと分かっていながら野方の下宿を訪ねてみたこともありました。下宿も近くの銭湯もまだ残っていました。空手の道で大成したことを知っていれば、インターネットで検索すればすぐ分かったのにと後悔しています。現在はアメリカ在住だと思いますが、大山君の詳しい住所が分かりましたら教えていただければ幸いです。日本に帰った折一杯やりながら昔を大いに語り合いたいと思います。よろしくお願いします。
from 井上勝弘(2016/11/28)