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国際大山空手道連盟 WORLD OYAMA KARATE ORGANIZATION

6ヶ月前

 僕は武道家になるとか、空手の先生になるとか、そんな事は夢にも思わなかった。昔からスポーツは好きだったが、武道や格闘技の世界には全く興味がなかった。

 

 それが何故か朝から晩までカラテ、カラテの生活、内弟子になってしまった。それも日本ではなく、なんとアメリカに空手の修行に行く事になってしまった。1995年3月に大学を卒業して、4月の終わりには日本から出てアメリカの深南部アラバマに来てしまった。

 


 僕の名前は高橋真太郎。親父幸次郎、母親は久美、高校生の妹恵美の4人家族である。親父幸次郎は一代で社員2000人以上のハイテックの会社を築き上げた。昨年には中国にも新しい工場を出した。頑固だが、家ではそれほどうるさくもなかった。小さい頃から甘やかされて育ったとは思っていないが、厳しく躾けられた事もなかった。子供の頃から欲しいと思ったものは、両親が殆ど与えてくれた。

 

 僕はN大の付属高校からN大へ受験勉強に苦労する事も無く、入学した。専攻は、経済学部である。何故経済学部かというと、別に意味はなく、何となく難しくないのではと思ったからである。何処の大学でも同じと思うが、受験戦争を、{尤も僕は余り勉強しなかったが}終って晴れて入学した後は時間が余るものである。高校時代からの悪友増川と何かサークル、部活にでも入ろうか、と言うことになった。先輩後輩の規律や礼儀作法が煩わしい体育会系は何か青春が暗くなるようなので勿論アウト。余り頭を使わず、難しくなく、軽いアカデミックな会話で、それでいて可愛い子が沢山いる部がいいな・・・・。と言う事になり、ぶらぶらだらだらしながら、あちこちのサークルを冷かしていたとき突然百合子が現れた。

 

 後ろから肩をチョットたたかれて振り返ると、スレンダーな女の子が立っていた。ぴったりしたダークブルーのG−パンに真っ白なブラウス。細面の顔にサングラスかけ、ノートとペンを持って「ちょっと、君達こっちに来なさい」と、これが百合子の第一声であった。コノ野郎と思ったが何故か逆らえない雰囲気であった。

 

「君達何年生、何学部?これからの時代はパゼテブなイメージをいかに社会に与えていくか・・・・・国際社会に通じなければいけないと思わない?」
「・・・・・!?」

 

  サングラスをはずしながら百合子がガンガン喋っているのを、僕も増川も口をあけて呆気に囚われて聞いていた。僕も増川も百合子の美貌に圧倒されて話はぜんぜん解らなかった。

 

 ツンと澄ました顔の中に大きな黒い瞳がキラキラと光っている。自信満々の態度に僕も増川も何も言わずにクリエーテブ、アドバータイズメン部に入部した。入部した後、信じられないことに百合子の方から積極的に近づいてきたのだ。中崎百合子が彼女のフルネームである。何で僕なのか?全く解らなかったが、僕の毎日がバラ色になった。

 

 後で解った事なのだが、百合子も僕と同じ一年生であった。それでも教授を囲んでのデスカションでは百合子は居並ぶ先輩をものともせずに自分の意見をドンドン喋りまくっていた。TVのCMからラジオの宣伝、新聞の広告等ノートにとってあり、自分の意見も書き込んでいて感心するぐらいに良く勉強していた。何時もあのCMは駄目個々と個々が悪い、私ならこのポイントをこの様にアピールするとかプロ以上にリサーチや勉強をしているようだった。先輩連中も、教授も百合子が熱を持って話し始めると黙って聞いていた。

 

 増川が「オイ、アイツ化け物か、凄い女だな。だけど、何でお前にモーションかけてきたのか全然解らないナー、俺の方がイイ男なのに」・・・僕は増川を見て笑いながら、
「俺の方がお前より背も高いし腹も出ていないからかも知れないぞ!だいたいお前は飲み過ぎだよ」
 ・・・本当に僕にも何故なのか分からなかったが、もしかして僕は本当にいい男なのかも知れないと思ってしまった。

 

 僕達のデートは何時も百合子が決めていた。映画やレストランを選ぶとき、時々僕の意見を聞いてくれるが、それでも最後は、
「フーンそうか、それもいいがやっぱりこっちにしよう・・」
となり彼女が選ぶことになっていた。僕はそれでも全然かまわなかった。驚いたことに、彼女はビール日本酒焼酎ウィスキー何でも飲むし僕より強かった。酔うと将来自分のアドバータイズメントの会社を創るだぁ、と息巻いていた。

 

 僕達は知り合ってすぐ体の関係ができた。増川も他の連中も羨望の眼差しで僕を見ていた。僕は百合子に夢中だった。学期末試験も卒論も百合子がアドバイスしてくれたお陰ですんなり終った。百合子は頭が良く、成績は常に学部のトップクラスだった。4年の夏、百合子は大手広告代理店に就職をさっさと決めた。その頃から何となく僕達は逢う回数が減ってきた。チョット不安になったがあまり気にしないようにした。卒業、身の回りの整理、就職が決まった会社の研修、その他いろいろと忙しいからだと思っていた。

 

 僕は将来、親父の会社で働く事になるだろうと思っていた。ただ親父とお袋が一度は他人の飯を食べてきたほうが為になる・・と言うので人並みに就職試験を夏の終わり頃から、4社受けた。最初の会社からは電話と手紙で、「残念ですが・・・・・」と言う馬鹿丁寧な返事をもらった。ほかの会社は電話で断ってきた。僕もチャンスは余りないと思っていたので気にならなかった。両親は受けた会社から断りの返事が来ると、笑っていた。

 

 僕は卒業した後いずれは百合子と結婚すると思っていた。理由は分からなかったが百合子の方が僕にべた惚れだと自惚れていた。それが卒業を間近に控えた2月、久しぶりに百合子から珍しく電話があった。大事な話があるからすぐ会いたいと。僕達は何時もの待ち合わせ場所の、図書館の横の小さい公園で会った。久し振りに会ったので僕は興奮していた。

 

 彼女は前にもまして美しくセクシーで魅力に溢れていた。結構多くの人が行き来していたが僕は百合子を力いっぱい抱きしめたかった。ところが彼女は全然冷静であった。以前は逢ったとたん百合子が僕の体の中に溶け込んでくるようだったのだが、何故かよそよそしく冷たさが感じられた。ベンチに座らせられて、しばらく僕の顔を見つめ、それから視線を空に向けたり、自分の手に持っていったりしていた。それからゆっくりと僕の両手を握り、今まで見せたことのない真剣な表情で僕の目を覗き込むようにしてきた。僕は急に大きな不安に襲われ身体中の血が凍ってしまうような感じになった。普段はマサ君と言っているのに、マサ太郎君と言い出した。

 

「マサ太郎君、よく聞いて・・・・私4年間とっても愉しかったわ。素晴しい沢山の思い出が出来て感謝してるの、本当に4年間とっても楽しかった。でも卒業してこれから社会に出るでしょう。自分の才能をどんどん試してみたいの。挑戦してみたいの。将来は自分で独立したいの。 今、自分で試さなかったら、後悔すると思うの。わかってほしいの。4年間楽しかったけど、これからはただの友達でいたいの・・。仕事をしなければいけないし、勉強もしなければいけないし時間がないの、私のことを待っていって欲しくないの、・・・マサ太郎君はいい人だから、喧嘩別れはしたくないの。わかってほしいの、ねね・・・」

 

 もう、目の前が真っ暗になって、息が出来ないぐらいに苦しくなった。やっと、
「百合子、お前だれか好きな男ができたのか?」
と言うと
「違うの。好きな人とか、嫌いな人とか、そういう次元じゃないの。自分の才能の事、自由に行動したいの。もう決めた事だから、今日はその事を言いたかったの。わかってほしいの。私、これで帰るわ。いろいろと忙しいの。真太郎君、元気でね。さようなら」
「馬鹿野郎。何が才能だ。男ができたくせに」
 周りの世界が一瞬にして変わってしまった。どうやって家に帰ったか分からなかった。

 

 振られた日から一週間は荒れた。何を見ても何を聞いても総て百合子に結びついた。その思いの中の百合子は前にも増して美しく魅力に溢れ輝いている。神経ばかり張って眠りが来なかった。夜が恐かった。自分で自分をコントロールするのに自信がなかった。抑え切れない苦しみと痛みが胸のうちに深く入ってきた。百合子に電話しても自分が惨めになるだけだと分かっているのだが我慢できなかった。・・・・百合子の電話番号が変わっていた。完全に振られたんだ、と分かった。人が信じられなくなった。友達とも逢いたくなかった。友達は全部死んだと思った。身体中の力が抜けてしまった。卒業したが、何もする気にならなかった。毎日家でゴロゴロしていた。

 

 曜日を忘れてしまった。親父も母親もどうやって分かったか知らないが事情を呑み込んだよううだった。妹の恵美も、そっとしてくれた。心のどこかで家族に感謝している気持はあった。
 
 
この続きは、書籍「内弟子 in America」で!
 
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コメント (0) | 2007/04/09

内弟子 in America

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