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国際大山空手道連盟 WORLD OYAMA KARATE ORGANIZATION

コスモポリタン

 一ヶ月が過ぎた。桜の季節になっていた。不思議と時間が僕に落ち着きを戻してくれた。親父が久しぶりに早く帰ってきた。
「真太郎、ちょっと外で飯でも食べようか」
 親父の車で池袋まで出た。親父の贔屓にしている焼肉屋であった。

 

「ビールにするか?酒にするか?」
「ビールでいいよ」
 昔のように飲んでも美味いとは思わなかった。それでも親父に感謝しているので、勧められるままにグラスを空けた。
「食わないと元気が出ないぞ」
 親父が自分の皿の上に焼けたロースの肉をのせてくる。腹は減っていなかったが親父の気持を汲んで、箸をつける。甘辛い味が口の中に広がる。少しだけ食事の味が出てきた。

 


 この1ヶ月で体重が結構落ちた。親父はよく飲んで、パクパクと食べている。何か話があると思っていた。何となくお説教でもされるのかと覚悟していると、暫くして親父が箸を置き真剣な表情で、僕の顔を正面から見つめながら、
「真太郎、ちょっとアメリカに行ってみないか?」
と、言ってきた。
 突然の話であった。何か遠い所から聞こえてくるような響きだった。

 

「お前はサラリーマンになるのはちょっと無理のようだ・・・・」
 一体何を言っているのかわからなかった。
「オイ、一度日本を出てみろ。アメリカで色々と勉強して来いよ」
 遠くの方から聞こえてきた声が段々と近づいてきた。
 アメリカ・・・、勉強・・・、何一体・・・?日本から出る?別の世界がある。・・・・・就職の心配も無い。友達とも会わない。それと百合子と別の世界に行く・・・。そうか、アメリカがあったんだ。

 

 親父やおふくろにも毎日顔を合わせなくて済む。新しいフレッシュな世界が目の前に現れた様に感じる。腹の底からいくらか力が湧いてくる気がした。今まで霞んでいた世の中がはっきり見えるようになってきた。

 

 そうだ。別の世界があったんだ。百合子の馬鹿野郎。必ず見返してやる。
 アメリカ・・・。ブロンドの髪。青い目のグラマスな女性が僕を待っている。
コンバーティブルの車に乗って、ハイウェイを飛ばす。洒落たホテル。窓を開けるとコバルトブルーの海。
 僕は、昔何かの映画で観たシーンを思い出してしまった。

 

 急にビールの味がしてきて、食欲も出てきた。
「よしっ、こんな日本・・・。そうだ、アメリカだ。アメリカに行ってやり直そう。・・・でも、一体何をやるのか。英語なんてまるっきし駄目だし」
 親父の顔を覗くと、こっちの胸の内を見透かして
「俺の先輩が空手の道場を開いているんだ」

 

 親父はずっとフルコンタクト系のK空手を稽古し、役員の肩書きを今も持っている。
 僕も高校生の時に、親父の言いつけで2年ほどK空手の総本部、池袋の道場に通わされた。学科の中で一番好きなのは体育とアート、美術の時間だったので、基本の技や動きは直ぐ馴染んだが、実際に突きや蹴りをコンタクトする組手(ファイト)の時間になると、できるだけ指導員と目を合わせないようにいつも下を向いていた。時々目の前でハイキックやパンチを貰ってノバサレル人を見ると、何か自分がノバサレタ様に感じてしまい、痛かったし怖かった。

 

 高校を卒業しN大へ進んだ後は授業があるとか、ゼミとかサッカーの同好会の練習があるとか、いろいろ理由をつけ空手の稽古をサボった。正直に言って空手には余り興味が無かったので自然に道場から足が遠のいた。

 

 親父が「アメリカに行って、その道場の内弟子になれ」
 エー!
 パッと明るく輝いていたアメリカが、急に遠くへ行ってしまうように思えた。

 

「えっ、内弟子?内弟子って、昔の内弟子?」
「そうだ、内弟子だ。毎日稽古して、英語も身につけて、楽しく鍛えてこいよ」
 親父は僕の心の動きを知ったのか、大きな笑顔を作り
「面白いぞ、アメリカは。俺も若かったら行ってみたいよ。旅行で行くんじゃ勉強にならないし、つまらない。やっぱり、そこで生活しなくちゃ。そこで生活して、初めていろいろ勉強になるんだ」

 

 内弟子という言葉は知っていたが、本当の意味はよくわかっていなかった。ただ、内弟子というと何か厳しい生活、修行があるように思えた。
 ただ「アメリカの内弟子」という言葉の響きが、何か厳しさを取り除くようであった。
 親父がもし「北海道の網走の道場に内弟子にいけ」と言って来たら、刑務所に行かされるように思うだろうが、アメリカの内弟子というと、厳しさより楽しさが目の前に浮かんできてしまった。

 

「真太郎、お前は机に座って書類に目を通したり、整理したり、客と話したり、そんな仕事には合っていない。アメリカに行って、いろいろな人と交わって稽古をし、勉強して来い。これからは国際人コスモポリタンにならなくては・・・」
 国際人コスモポリタン・・・。この言葉の響きも心地よく伝わってきた。僅かではあるが不安があったが、映画やテレビの影響か、何となくアメリカが輝いているように見えた。

 

 親父はそんな僕の胸の内を読んだのか、笑顔を作りながら
「明日、その先輩とゴルフをする事になっているんだ。お前もちょっと挨拶に来たらいい。急な話だけど、その先輩も忙しくて、明日しか時間が無いんだ」
 久しぶりに焼肉の味も、ビールの味もした。

 

 

 親父の先輩という人は郷山といった。よく空手の雑誌等で大会の批評をしたり、技術を説明したりしている人だった。空手界では名前の通っている人だった。
 親父と同じK空手組織にいたのだが、有名なレスラーで一度は政治家になったIとの異種格闘技戦で破門になった人だった。
 雲の上の人である。

 

 次の日は朝から緊張していた。久しぶりに背広を着て家を出た。
 Kカントリークラブに着いたのが午後3時だった。親父から3時半頃までにクラブに来いと言われていた。
 2階のレストランに入って外を見ると、ちょうど親父のグループがホールアウトするところだった。

 

 談笑しながら握手をしていた。
郷山師範はすぐにわかった。親父と他の2人はよく顔を合わせている馴染みの人だった。
胸が高鳴って汗をかいてしまった。就職試験で4度面接をしたが、それよりも数段緊張してしまった。親父は挨拶だけと言っていたが、もし「これはダメだ」と言われたらどうしよう・・。そんな不安がでた。

 

 隅のテーブルに座ってヤキモキしているところに、親父達が笑いながらレストランに入ってきた。親父が手招きして、郷山師範に
「ウチのバカ息子の真太郎です」
と、紹介してくれた。微笑みながら郷山師範が
「お、そうか」
と言いながら、自分の目の奥を見透かすように一瞥した。
ドキッとした。

 

「結構身体も大きいんだね」
師範はそう言いながら、上から下まで自分の身体を探るように見た。
「性格は良さそうだな。この顔つきは親父に甘えて育った顔だ。
 内弟子は厳しいぞ。でも頑張れば、結果は全て自分に返って来るからな・・・。うん。いいでしょう。預かりますよ」
師範の話が重くのしかかるように聞こえた。
「真太郎、ほれ、頭を下げてお願いしろ」
親父の言葉に焦って
「お願いします」
と言った。間が空いた。

 

「真太郎。もう、いいよ。帰れ」
という親父の言葉に助けられて、頭を下げながらレストランを出た。汗が出ていた。外の空気は、まだ冷たさがあったが、風がさぁっと顔を洗ってくれるようで気持良かった。陽の光の中に春の暖かさが感じられた。周りの世界が僕を応援してくれるようだった。
 
 
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コメント (0) | 2007/04/09

内弟子 in America

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