ロシヤから帰ってくるとアラバマの春は終っていた。
夏を告げる様に5月の末から6月中頃まで泰山木{MAGNORIA マグノイヤ}の花が咲く。厚い大きな葉の中に白い大きな花が点在する。
静かに傍にたたずむと微かに甘い香りが身体を包む。悪くない。
ワンダフル空手14話、前回は神保町で銭湯の帰りに偶然故総裁に出会い道場に戻れと口説かれたとこまでであった。
貧乏学生時代であったが、沢山楽しい思い出はある。
そんな楽しい思い出の中に、いまも懐かしく甦るのが銭湯に行く事であった。
それも一番湯である。研究室の先輩に教わった。
「頭が痛くなったり、気持が落ちてきたら一番湯に行け」と言っていた。
「安上がりで、それでいてリッチな気分になれる。身体を洗い心も洗ってしまうんだ」勉学や法解釈においてはトロかったが、面白い先輩だった。
風呂屋は確か25円か35円だったと思う。
街の喫茶店でコーヒーを飲むより安かった。
銭湯の中は広く天井も高く、白いタイルが午後の陽射しを受けて輝いている。
子供用の湯船と大人用の広々とした湯船がある。
大人用の方は肌にピリピリとする熱さで、入る前に小さい気合いが必要だった。
湯船の中で手脚を大きく伸ばしてゆっくりと浸かる。
額に汗が浮いてくる。気分が休まる。
これほど贅沢な事はないような感じがした。値千金の思いである。
時々2~3人のお爺さん達と一緒になる。
お爺さんが頭に手ぬぐいをのせ、浪曲を唸る。最高である。
いつの間にか街のお風呂屋さんが消えてしまった。
時代が変わって人々の生活スタイルが違ってきた。
豊かになったのかそれとも貧しくなったのか分からない。
大きな湯船に身体を大きく伸ばし浸かったあの思い出は、いま想っても最高である。
風呂の話が長くなった。本題に戻す。
司法試験の情熱が薄れてきた時に偶然故総裁と出会った。
何か運命的である。故総裁は口説くのが上手かった。
総裁は何時も「君達、世界を見ないといけないよ」と言っていた。
世界を渡ってきただけに総裁の経験談は面白く、また魅力的だった。
高校生の時、何度か羽田空港{成田空港は未だ出来て無かった}に大きなジェット機を見にいった事がある。
発着するジェット機を見ながら海外の生活を想像した。
今は誰でも簡単に海外に出るが、あの頃昭和34~5年はジェット機に乗って海外に出る事は夢のまた夢のようであった。
まるで月にでも行くような感じである。
青空の彼方に、海の向こうにエキサイテングな世界がある様な気がした。
確りした形のある夢ではなく憧れの様な、そんな夢を持っていた。
故総裁の話は忘れていた夢を思い出させてくれた。
道場に戻ってみようか・・・と気が傾いた。
実は法学研究室にいた時2度ほど道場に顔を出した事がる。
なぜか無性に汗の匂いが恋しくなったのである。
こちらの気持が通じない六法全書をロッカーにぶち込んで外に出た。
足が自然に池袋の極真会館総本部に向かっていった。
何時だったか確かな事は思いだせないのだが、最初の時は藤平{大沢昇}がチーフインストラクターで指導していた時である。
その時の出来事を昔、ある雑誌に「OHOH!カラテ」と言う題で書いた事がある。
ちょっと、簡単に略して話す。
・・・歩いて行くうちに稽古の味が身体から湧いてくる。
稽古は勿論何のスポーツもしていなかったのに不思議と力が湧いてくる感じがした。
それも、ただの誤信にすぎない。人間とは全く勝手なものである。
「ヨシ!今日は久し振りに、後輩を揉んでやる」組手をやる前から既に後輩が右に左に飛び散る。
「マイリマシタ」の声まで聞こえて来る。呆れて仕舞う。
誤信が妄想に発展してしまった。
胸を張って会館に入る。
「オ~ス」迎えてくれた内弟子君が怪訝な顔つきで、「あの~」と来る。
「エッ君私を・・・」と思った時。
事務所の中からオバサンが「あら~お久し振りですね~、この方は館長{故総裁}が時々お話になる大先輩の大山泰彦先輩ですよ」このオバサンの説明。
あの時の声、忘れられない。「よかった~」ほっとした。
エッセイでは“もしこの事務員の人がもう少し美人で若かったら私はこの人と結婚していたかもしれない”と書いた。結構本音である。
内弟子君、ハッと目を輝かし「オス、オッス」気持のいい返事。
内弟子君からいくらか汚れた道着を借りて着替える。
帯は白帯である。しかし鏡に映る自分の姿、きまっている。
正拳を2~3発突く、道着の擦れる音が「バシ、バシ」と響く。
鏡を見てヘヤースタイル{あの頃は髪の毛も沢山あった、いまは無い}を直す。
「ウム」突きも蹴りもイイ線いっている。
自信が湧いてくる。全く自分勝手の誤信なのである。
現実を忘れてしまった。どうしようもない。
昔は髪の毛が沢山あった。
基本稽古が終わる頃を見はからって2階の道場に顔出す。
チーフインストラクターの藤平が「オゥース、先輩久しぶりですねー」と目を輝かしてあたたかく歓迎してくれた。よけい、のぼせて仕舞った。
道場いっぱいの生徒の目線を身体に受ける。なんか照れるような、くすぐったい様な、それでいて頭が益々でかくなるような感じである。
「ウーム」悪くない。
気取って「ちょっと稽古するよ」恰好を付ける。
{ここまで書いてきてなんとなく恥ずかしくなったが、本当の話なのでここのまま続ける}
移動稽古、型と進みいよいよ組手の稽古になる。
「ヨシ、揉んでやる」と気合いを入れる。
2~3人相手に何とかこなす。息が上がる。膝に力が無くなる。
それでも生徒の「マイリマシタ」の声が快く響く。ここで止めればよかった。ホント。
止せば良いのに「藤平に、オイちょっと軽く組手やってみようか」と言ってしまった。
チーフインストラクターの藤平、困った顔つきをした。
それでも「オ~ス」と返事をして構えた。
その構えを見ると、頭一つぐらい低かったこの後輩、なぜかドンドン大きくなってくる。
「アッこれはヤバイ」もう遅い。
ハッと相手が動く。ビシビシと拳、蹴りが身体をかすめる。
どっと冷や水が背中を流れる。
あの時藤平がコントロールしなかったら私は完全にノバされていた。
この相手は、昔私が揉んでやった後輩ではなく大きく成長したカラテ家になっていた。
「つよくなったなー」と私が感心して言うと。
「いやー、先輩そんな事ないすよ、やっぱり恐くて入りにくいです」
心憎いばかりの謙虚さを見せてくれた。ビックハートである。「マイッタ」
どんなに強かった人も、一度道場から遠ざかると、目が見えなくなる。カンが鈍る。
タイミング、拍子が取れなくなる。
ところが昔こなした経験が、勝手に誤信、過信をもたらす。そこで恥をかく。
一番強いのは現役でバリバリ稽古をしている連中なのである。マサだとか直井!?
ちなみに私の意見では、極真会の歴史で昔も今も、一番稽古したのは藤平である。
オンボロ道場時代夜中まで稽古していた事は今も語り続けられている。
勝負に対する気合い執念は獣のようであった。それでいて静かで優しかった。
殆どの生徒が藤平より身体も大きかった。しかしまったく寄せ付けなかった。
いい技が出ると褒めてやり、自分の力をコントールしていた。
組手に品格が合った。武道家である。
私はあの時、恥をかいたが、貴重でいい勉強をした。
あの経験、思い出は今も忘れずに大切にしてある。
もう一つの話、セカンドストーリーはチョット違う経験談である。
最初に道場に顔出した時から何年か経った。
或る日突然、無性に身体を動かしたくなった。また道場の汗の匂いを嗅ぎたくなった。
池袋の極真会館総本部には既に藤平はいなかった。事情は解らない。
変わりにHと言う若い奴がチーフインストラクターになっていた。
彼は一度極真会全日本チャンピオンになった。
道場に顔出すとHも私の事を知っていてすぐに挨拶をしてきた。
私は謙虚に「軽く稽古をさせてくれ」話す。
2度目の時は誤信もなく、ただ汗を流しに道場に顔を出した。他の生徒と一緒に「ワセワセ、オイショ、オイショ・・」と声を出してエンジョイしていた。
組手になった。最初は見ていた。後からHと一緒に並んで軽く2~3人こなした。
息が上がって「フーフー」いいだしたので止めた。
Hの組手を見た。若さが溢れている様な、パワーを前に出す強引な組手に見えた。
ガンガン当てていた。優しさが足りない様な気がした。
右の下段、左の上段回し蹴りが得意技に見えた。
Hが私に「組手をお願いします」と言ってきた。
「エッ、君ー」とHの顔を見る。自信、というかなんとなく傲慢な顔色が出ていた。
私が顔の前で軽く手を振りながらもう「息が上がってだめだ」と断る。
Hがニヤニヤしながら「チョットだけ」と押してきた。失礼な奴だと思った。
続けて「軽くやりましょう」と又押してきた。
道場の中が静かになったように感じた。みんなの視線が私に注がれている。
何所かで噂を聞いた。
Hが古い先輩面した奴が来ると「逆に絞めてやる」と言っていることを。
今度は私がひけなくなった。
しかたがないので「じゃーやるか」と道場の真ん中に立った。
Hの身体は道着の上からでも筋肉がパンパンに盛り上がっているのが解った。
生徒がサーと引いて壁際に立った。構え合った。不思議と落ち着いていた。
Hの身体は藤平の時の様にドンドン大きくならなかった。
Hの全体が見える。私の腰も落ち着いていた。「ヨシ来い」と気合が入った。
突きの連打から間合いを詰めて来た。右の下段が来る。
自信のある技、しかし簡単に読めた。
下段回し蹴りを確りと受けた。顔色が険しくなったように感じた。
Hとの組手の内容は正確には思い出せないが、ただ左の上段を出しながらも、右の下段を2発3発と繰り返し出してきた。焦っているのを感じた。
勝負で得意技を使うのは1度か多くても2度ぐらいである。
多用すると自分の焦りを読まれてしまう。
私は受ける組手をこなしていた。自分の突きも蹴りも鋭さが無くなっていたからである。
最後にHがまた下段を狙ってきた。左の膝で「ガシー」と力強く受けた。
相手の顔が歪んだ。「もういいですか?」と言ってきた。
「そうだね、もう良いだろう。お前、力があるね~、有難う」と答えた。
人それぞれである。
それから暫くたって、アメリカで活躍している茂兄と話をした。
司法試験の勉強が惰性になっていた。
ソロソロ自分の進路をもう一度考えようと思った。
冒険がしたくなった。
身体が動けるうちに海外、特にアメリカに行ってみようと思った。
暫くして3度目に道場に顔出した時、Hはいなかった。支部を出したと聞いた。
変わりに茶帯の指導員Sがチーフインストラクターになっていた。
Sは性格が温厚でそれなりに人望もある様に感じた。
しかし極真会館総本部の師範代が茶帯ではなんとなくパワーが足りないように感じる。
私が道場に戻ったら最初にやるべき事は指導員を充実させることだと思った。
古い黒帯連中はなぜか極真会館総本部から去っていた。
郷田兄も稽古はしていなかった。一緒にまた汗を流そうと話しあった。
いろいろな事情から出ていった古い黒帯を戻すことをまず考えた。
極真会総本部の指導体制を強固にすべきであると考えた。
そこで「極真黒帯裏の会」を作った。
なんとか古い連中に連絡を取った。
最初のミーティングを雑司が谷鬼子母神にある郷田兄の実家、2階の部屋でやった。
14~5人が集まった。皆の事情を聞いて私も熱くなって話をした。
続く
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