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国際大山空手道連盟 WORLD OYAMA KARATE ORGANIZATION

渡米

 渡米の準備はすぐに終わった。

 

 出発の日が決まってから2、3の友人に電話を入れた。同好会の後輩にも連絡した。きっと百合子にも、僕がアメリカに行く事は伝わっていると思った。
「もしかして、百合子から電話が入るかも・・」
家の電話の音に神経が自然に行ってしまった。僕のためには電話はリンとも鳴らなかった。

 


 出発前夜、親父が
「郷山師範の道場はアラバマ州のバーミングハムという所だ。成田からジョージア州のアトランタ空港まで約13時間30分位かかるらしい。そこから乗り換えてバーミングハムに行く。
アトランタからバーミングハムまでは30分位だそうだ。何でもアメリカの良さは、ニューヨークやロスだけでなく、深南部(ディープサウス)だと師範が言っていた。人間が暖かいだと」

 

 親父の話を聞きながら、なんだかアメリカのイメージが変わってくるようであった。
期待が「8」で不安が「2」だったのが、期待が「5」不安が「5」になってしまった。
出発前夜色々な事が浮かんでは消え又浮かんできた。
寝つきが悪かったが、出発である。

 

 

 期待と不安の入り混じった複雑な気持で両親と家を出た。
何時もながら成田エアポートはいろいろな人種で混雑していた。僕のフライトはデルタ航空で夜の7時出発である。チケットカウンターでボーディングカードを貰う。

 

 僕よりも両親の方が落ち着きなく、心配の色が顔に出ていた。何となく鬱陶しいので二人に「ラッシュになるから帰っていいよ」と言う。
母親が「パスポート、保険書をもう一度確認しなさい」と言うので僕は仕方がなく上着のポケットを探ると見つからなかった。
 僕の荷物はスーツケースとバックパックだけである。
人々が行き交うロビーの真中で荷物を開けるのは躊躇ったが焦って探った。幸いバックパックの横の小さいポケットにあった。親父が呆れた顔をする。

 

「オイオイ、だいじょうぶか?大事な物は決まった所に仕舞わなければいけないよ」
と、まるで小学生に注意するような態度で話しかけてきた。
母親は「まだ時間が有るから何か食べる?」 

 

 煩くまとわりつく二人を何とか言い含めて帰し、僕はゲートに向かった。別れ際に涙を見せた母親の顔がしばらく心に残る。独りになると開放された気持と同時に淋しさと不安が襲ってきた。

 

 

 

 C97番が僕のゲートだった。これからアメリカまでカラテの修行に行く自分が信じられなかった。何か幻の世界に迷い込んでしまったように感じる。
まだ時間が有るので売店をのぞく。軽い柔かい雑誌を買う。腹はそれほど減っていなかったが、日本食はしばらく食べられないと思ったので蕎麦を食べた。ベンチに座り雑誌を開き、蕎麦を食べながらビールを飲んだのが効いたのか身体がだるい。

 

 日本を出る前にもう疲れてしまった。 機内に入る前にバックパックを忘れそうになり老婆に注意されてしまった。親父の渋い顔が浮かぶ。

 

 

 女学生的な雰囲気の女の子が5〜6人で搭乗案内を得意そうな顔付きで始める。何時もそうだが待つ時間が僕は苦手だ。

 

 人に揉まれながら機内に入る。
48Bが僕の席だった。3席並んだ真ん中だった。
窓側には既にビジネスマンのような人が座っていた。枕を窓につけて頭を傾けて寝ているように見えた。
静かに座る。通路側の空いている席が気になった。

 

 乗客がどんどん流れてくる。
白人黒人、南米の人のように顔はアジア人のようなだがよく日に焼けているような人達。
僕は隣の席が気になった。
綺麗な人が入ってくると自然に視線を合わせるが、得体の知れない様な人が入ってきた時は目線を外す。

 

 周りの席が殆ど埋まりかけてきた時、2人白人と1人黒人の可愛い学生風の女性が入ってきた。
急に辺りが明るくなったよう感じた。
僕の隣の席と通路の向こうに席が丁度3席空いていたので思わず期待をしてしまった。
彼女達はなにが面白いのか、僕には彼女達が喋っている英語は皆目分からなかった。
そしてスイートな香りを残して通り過ぎてしまった。

 

 

 結局隣の席には僕の予想を遥かに裏切ったお相撲さんのような身体をした黒人のオバチャンが座った。オバチャンの左の肩と腕が僕の方まではみ出して来る。
僕は文句を言えず我慢する。

 

 

 

 アメリカのイメージが段々悪い方に向かって行く。
僕はオバチャンに話かけられるのが嫌と言うか何となく恐く感じたので眼をつむり寝たふりをした。
オバチャン紙袋からポテトチップ取り出し「バシ、ガシ」とダイナミックに食べ始めた。
思わず眼を閉じた僕の顔が痙攣してしまったようだ。
オバチャンが左の肘で僕の脇腹を突いて、「寝てないのは解っているの。旅は長いのよ。仲良くしましょうよ。ポテトチップ食べない?」
・・・・・こんな感じのことを話しかけてきたように思った。僕は汗が出てきてしまった。

 

 このオバチャン誰に対してもよく喋った。話し方や表情に優しさと言うか温かさが感じられた。話をしていない時は豪快に口をあけて寝ていた。
僕も知らないうちに一度僕の頭がオバチャンの肩にもたれかかり、オバチャンの顔が僕の頭に寄りかかって暫く寝てしまった。

 

 

 長い旅である。
機内の不味い食事をした後又眠くなった。
百合子の夢を見た。
よりを戻して二人で抱き合っている所でオバチャンに起された。飲み物のサービスタイムであった。
ビールの注文でスチュワーデスに聞き返されたが何とか通じた。飲み物の後は又食事である。
腹が減っているのかいないのか分からないが無理して食べる。
週刊誌を開いてみたが、何故か緊張しているのか、写真だけ見ただけで活字が追えなかった。

 

 

 起きている時は自然にアラバマの方に思いが行ってしまう。
どういう所なのか?

 

 他の内弟子の人が4人くらいいると言っていたが、どういう人たちなのだろうか・・。
空港に寮長の森先生と言う人が来る事になっていた。
まさか、師範が来るわけ無いな。

 

 余り考えない様にしているが、不安と期待がグルグル回って頭の中を走る。実際に今自分がアメリカに向かっていることが嘘の様に思われた。

 

 

 親父やおふくろにはすまないが、正直に言うと、一番考えるというか思っていたことは、やはり百合子のことだった。
アメリカから手紙を書こうと思った。
まだ着いていないのに、手紙の文面を考えたりしてしまった。

 

 

 

 長い旅であった。
大きな揺れもなく無事にアトランタ国際空航に着いた。人の流れに従って出る。
オバチャンが何処に行くのか?と訊いて来たので、アラバマに行くと答えると、眼を大きく見ひらいて驚いていた。
オバチャンはこの旅の間何時も分厚いバイブルを膝の上においていた。
僕のために祈ってあげると言ってくれた。 

 

 

 イミグレーションはさすがアメリカいろいろな人種でゴッタ返していた。
長い列に並んで順番を待つ。心なしかどの人も何か心配な様子に見えた。
別にやましい事は何も無いのだが何か裁判官の前に立たされるような複雑な気持にさせられる。

 

 何となく胸がドキドキする。
やっと自分の番が来た。係官は黒人の女性で、でっぷりと肉のついた貫禄のある人だった。どこかオバチャンに似ているようだったので気分がいくらか楽になった。
予め用意した師範からの手紙、住所、その他の書類をパスポートと一緒に見せる。大きな身体と愛嬌のある眼をしていた。
「ハーイ、ハワユー?」
ここは解った。続けて
「独りで旅をしているのか?」「何処から旅立ったのか?」
と質問してきた。
ちょっとまごついたが解った。
僕のジャパニーズイングリッシュに彼女が首を傾げたが通じたようだ。
ところが次の質問の意味が解らず思わず汗が出た。
「ア・・ウ・・」
とか唸りながらまごついてしまった。
愛嬌のある眼をしていながら表情を殺して僕の返事を待っている。「なんだよ!このデブ」と思ったが、焦って考えた。

 

 仕方ないので郷山師範の手紙を見せて、ミスター郷山は父の友達で僕はそこに行くのだと何とか説明した。
「ヒイズ、マイ、ファーザーフレンド」・・「アイ、ステイ、ヒズハウスOK!」
・・・これを繰り返し、繰り返し、何か解らない質問をして来る度にこの係官に訴えた。
この係官が、どの位其処に居るのか?と質問してきた。
その質問は解ったが、慌てていたので答えが出てこなかった。
だから又「アイ、ステイ、ヒズハウスOK!」最後に係官が、「OK、OK、ユウファザーフレンド」間違いなく其処に居なさい・・・・とか何とか言って笑いながら僕のパスポートにスタンプを押してくれた。
ほっとした。僕の勝ちに終わった。

 

 

 税関を出てバーミングハム行きのゲートを捜す。
デルタ航空の係員がBゲート30番、とバーミングハム行きを教えてくれた。
予定通りである。アトランタからバーミングハムまでは順調であった。
いよいよバーミングハムである。

 

 飛行機がバーミングハムの空港に着陸する時から急に、胸が高鳴りだした。ドキン、ドキンと隣の人に聞こえるのではないかと思うくらいの音である。いよいよ内弟子になるんだと思うと、何か信じられないような気持になった。

 

 

 ここまで来たからには、もう帰れない。
自分にそう言い聞かせた。

 

 

 日本を出発したのが4月29日、土曜の夜7時であった。
バーミングハムに着いたのが、同じ日の4月29日、土曜の夜9時である。
バーミングハムの空港はアトランタと違い、断然小さかった。
迷わずにロビーに出た。

 

 寮長の森先生が待っていた。
「高橋真太郎」と漢字で書いた小さなポスターを持っていた。
森先生は僕よりいくらか背が低かったが、肩や胸、腕の筋肉がTシャツを押し上げているようだった。
短パンからむき出た腿の肉が盛り上がり、膝から下のスネの骨がむき出ているように見える。
スネの骨が所々瘤のように盛り上がっていた。脚の毛がそこだけ剃刀でそったようになっていた。

 

 激しい稽古の跡が見える。
チラッと見ただけだが、ギクッと緊張感が体を走り、ヤバイと一瞬思ってしまった。

 

 先生は四角い顔をしていた。
「おー、よく来たな」
と言いながら僕のスーツケースを持とうとした。
あわてて「大丈夫です」と持ち返した。
身体は筋肉の固まりのような人だが、何となく優しい人柄に見えた森先生の笑顔が、いくらか自分の気持を柔らげてくれた。

 

 

 車は赤い小さな古いトラックであった。
「オイ、車の免許持っているのか?」
何年も前からの後輩のような感じで話しかけてくれた。
「ハイ。持っています」
「国際免許証に替えてきたんだろ?」
「ハイ」僕が返事をした後、キーを回しながら温かい笑顔を向けて
「オイ、返事はハイじゃないよ。押忍だ。俺たちは空手の世界にいるんだからな」
「ハイ・・。オス」
「オス、の意味解っているんだろう?」
「エ、ハイ」・・僕はオスの意味を何となく解る様な気がしたが、正確には解っていなかった。
「ハイ、じゃないよ、バカタレ、オスだ、オスだよ」
と言って森先生は軽く僕の頭を張った。何か兄貴が出来たような感じがした。

 

 何となく、この人となら一緒に生活できると思った。
安堵の気持が湧いてきて僕の緊張感が、森先生の笑顔や言葉で溶けてゆくような心地良い感じがした。
来て良かった、と一瞬思った。

 

 

 空港から15分近くで内弟子の寮に着いた。
寮は住宅街にあった。静かだった。静か過ぎるくらいであった。
東京とは全く違う様相である。
街灯も無く、大きな黒い木立の中にポツポツと灯りが見える。

 

 3人の先輩が寮にいた。3人とも笑顔で迎えてくれた。何故かニコニコしていた。
工藤秀、沢柳鉄、戸山輝と森先生から紹介された。
「高橋真太郎です。宜しくお願いします」
と言うと、先生が3人に向かって
「オイ真太郎と呼ぶか?・・・ちょっと長いからマサかタロウのどっちかにしたほうがいいなぁ?」
戸山先輩が「タロウちゃんはどうですか?」と言うと4人がどっと笑い出した。
「オイ、ずっこける事言うなよ、バカヤロー。タロウチャンだと、ハナコチャンが出てこなくちゃいけないじゃないか」
「・・・・・・・?」
「マサがいい・・・」
「・・・・・・!」

 

先生がなんだか意味がわからない事を言ったが、他の3人の先輩にはその意味が通じたのか、又、笑い出した。
結局「マサ」に落ち着いた。
 
 
この続きは、書籍「内弟子 in America」で!
 
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コメント (0) | 2007/04/09

内弟子 in America

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