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国際大山空手道連盟 WORLD OYAMA KARATE ORGANIZATION

8マイル

 便所とキッチン、ガスの使い方等を教えてもらう、先生が
「マサ。腹は減ってないか?腹が減ったら、自分でサンドイッチでも作って食え。ミルク、オレンジジュース、ビールもあるよ。何でも好きな物を飲んでいいぞ。セルフサービスだ」

 

 その後、工藤先輩が、リビングルームの壁の扉を開いて、本棚を教えてくれた。
本棚は5段になっていた。上から1段目には、「五輪の書」とか「史記」「忠臣蔵」「徳川家康」「関ヶ原」「峠」「国盗り物語」「街道をゆく」等の司馬遼太郎の本が多く並んでいた。

 


2段目には英会話とか、料理の本とか、漫画の本が多くあった。
3段目にはビデオが並んでいた。
4段目には雑誌が多く、半分は日本の週刊誌や若い女の裸の写真が殆どの雑誌だった。

 

 その隣を工藤先輩が指を差し「こっちは教科書だ」と、ビッシリ詰っている所から一冊抜き出して僕に見せた。
 教科書と言われたので、空手の本かと思ったら、「ペントハウス」というアメリカの雑誌であった。先輩が僕の顔を覗き込むようにページをめくる。ドキッとするような美人が素っ裸で写っていた。
 ペラペラとページをめくりながら、先輩は「ウーム、食べてみたいな・・」とつぶやいて僕の顔を見た。悪戯を楽しむような笑顔だった。
 思わず僕も生唾を飲み込んでしまった。

 

「時差があって寝られなかったら、ここから教科書を4,5冊出して見たら、きっと楽になるよ」
 何か暗示をかけるような話し方であった。先輩は「この雑誌、精神安定剤なんだ。皆2,3冊自分のベッドの下に置いてあるよ」
 僕の心の動きを見透かすような視線で、また悪戯っぽく笑った。

 

 

 僕の部屋は入り口の隣だった。予想していたのとは違い、綺麗な部屋だった。
荷物を解いてベッドに横になる。皆部屋に入った。
家を出てから24時間以上も経っている。

 

 明日は日曜日か。
日曜日は道場は休日と聞いていた。ゆっくり出来るかもしれない。

 

細長い窓から星が見える。静かだ。
こんな静かな所とは思っても見なかった。

 

 

ベッドの脇のスタンドを消すと、静けさが余計耳に障るようになった。日本が思い出された。最初に頭に浮かんだのは、百合子だった。同好会の連中、両親、妹。日本にいた時は、思い出しもしなかった昔の友人の顔も浮かんで来た。
寝よう、寝ようと思ったが、眼が段々と覚めてきてしまった。緊張の連続だったからだろうか。それとも時差なのかな?

 

 秀先輩が「寝られなかったら教科書を見るといい。トイレットペーパーは、みんなの部屋に置いてあるよ。鼻をかんだりするだろう?」
 ベッドの脇のテーブルを見ると、白い丸い塊が置いてあった。トイレットペーパーだった。スタンドのスイッチを点ける。時計は1時近くになっていた。廊下に出ると、豪快な鼾がドアを通して聞こえてきた。

 

 そっと歩いて本棚から教科書を3冊抜いてくる。冷蔵庫から缶ビールを一本出し、そっと部屋に戻り、ドアを閉める。ベッドカバーの中に缶ビールを突っ込み、音が出ないように開ける。ベッドにあぐらをかいて座る。よく冷えたビールが喉を通り過ぎる。

 

 表紙のブロンドの女が挑みかかるように僕を見つめている。恐る恐るページをめくると、迫力充分のスタイルで迫ってくる。ポーズが大胆である。何でこんな美人が裸になるのか・・。体中の血が走り始めた。股を広げているモデルが話しかけてくるような錯覚になってしまう。

 

 先輩が「鼻をかんだら気が楽になる」と言った謎が何となくわかった。3冊の教科書を読み終わった。正確には読み終わったんじゃなくて、写真を見終わった。1度鼻をかんでしまった。
 肩の張りがすうと抜けるように楽になった。時計は2時をとっくに過ぎていた。
 静かだ。耳を澄ますと先輩達の鼾が閉めたドアを通してかすかに聞こえてくる。なんとなく眠たくなってきた。アメリカも悪くないかもしれない、と思った。明日は日曜日だ・・、とかすかに頭の中で思った。

 

 

「オーイ、オーイ、起きろ!」
 遠くの方から声が聞こえてきた。身体がだるく、まだ真夜中のような気がした。もう少し寝る・・もう少し寝かして・・・、起きたくない。
 しかし、遠くの声が一段と近づいてきた。近づいてきただけでなく、怒声の響きが出ていた。
何か夢を見ていた。上体を激しく揺らされた。おっとと思って目を覚ます。迫力のある五角形の顔が上から睨んでいた。

 

「オイ、遊びに来たんじゃないんだよ。先輩が起きる前に起きなきゃ」
 と言って、秀先輩が毛布をガバーッと剥ぎ取った。
「ガハハ」と突然笑い出し、
「お前、目がしょぼくれている割に、小さい息子は頑張っているじゃないか。ガハハ・・・」
 内弟子第1日目で失敗をしてしまった。前の庭から先輩達の笑い声が聞こえてきた。
 外から森先生が、
「マサ、ランニングだ。短パンとTシャツ。早く来い」
「オス」
急いで外に出る。

 

 

薄い緑の芝生に朝露が朝陽を受けてキラキラと輝いていた。
寮の入り口のところには榎木が、隣にはマグノイアがあった。
白い大きな花が、暗い緑色の大きな葉に囲まれて咲いている。

 

前の道にかかるようにドッグウッドの木があり、柔らかい若葉が揺れている。
周りの家にも同じような木立が多く、どの家の庭も芝がきちんと言い含められているように刈られていた。静かで平和な住宅街である。どの家も皆レンガ造りであった。
 ここが空手の内弟子の寮とはきっと日本だったら、誰も信じないだろうと思った。

 

周りの風景に見とれていると、輝先輩が
「マサ、お前、サッカー部だったんだってなぁ」
と、聞いてきた。
「オス」と答えると
「それじゃ、ランニングは自信あるだろう」
森先生も、他の二人の先輩も面白そうに僕の顔を見ていた。

 

サッカー同好会にいたのである程度走るのには自信があった。
「自分、短距離は結構好きですが、長距離はあまり得意じゃないです」
と正直に答える。先生が
「秀、迷子になると困るから、地図をわたしてやれ」
「オス。マサ」
と言って、ノートの紙切れに書いた地図を見せてくれた。

 

「この坂を降りる。レイクシォードライブだ。左に曲がる。まっすぐ行って、3つ目の信号を左に曲がる。後はまっすぐ。しばらく行くと、道が突き当たる。T の字になっているんだ。そこを左に曲がる。そこから、ドンドン行くな。大きな道になる。グリーンスプリングス・ハイウェイだ。そこで左に曲がる。マクドナルドがある。そこを通り過ぎて、2つ目の信号を左に曲がる。そこがレイクシォードライブだ。サンフォード大学を通り過ぎる。終わりだ」
 なんだか、分ったようで分らなかった。

 

「遅れないで走ればいいんだよ・・アッ」
 とニヤッと笑った。
「オシッ、行くぞ」
 森先生が声をかけて走り出す。沢柳先輩が「オイシャー」と力強い気合を入れて続く。
「オレ、オレ」と声を出し、二人の先輩が続く。もちろん僕も一緒である。僕は秀先輩の横になって走った。

 

 

寮を出発して、表通りのレイクシォードライブに出た時、この街は本当に緑が多いと思った。
 初夏の風が気持よく、日曜日の為か、行き交う車もランニングをしている人に気を使っているのか、スピードを落としている。
走っているのは自分達くらいと思っていたが、意外と沢山の人が走っていた。
それも若い人だけでなく、中年のオバちゃんや、老人も走っていた。
擦れ違う時に、手を挙げてニッコリと笑う。

 

最初はその仕草に戸惑ったが、先輩達が「ハーイ」と笑顔を返しているのを見て、僕も真似をした。
「どのくらい走るんですか?」と、つい訊いてしまった。
「8マイルだ」
  先輩の「8マイル」の言葉が「800メートル」というように聞こえた。
坂を降りて、すぐ左に曲がった。既に森先生と沢柳先輩は7、8メートル先を行っていた。
秀先輩の「8マイル」を「800メートル」と勘違いして、僕は「近いんですね」と口からついつい出てしまった。
 秀先輩は驚いたように僕を睨みつけ、頭を上下に躍らせながら「近い・・。そうか、13キロが近いか」と呟いた。
「エッ?13キロ・・。13キロ・・。13、000メートル。エッ?」

 

 秀先輩は、ぐっとスピードを上げた。
 森先生と沢柳先輩は段々小さくなっていた。秀、輝先輩には何とかついて行ったが、7−800メートルも行くうちに、先輩達にはついていけないと思った。

 

 泣きたくなった。先輩達の背中を見ながら、必死に見失はないように走った。1キロくらい過ぎたと思ったとき、息が上って上がって、苦しくて、苦しくて胸が張り裂けそうになった。脇腹が痛くなる。
 スピードが音を立てるように落ちてくる。気持だけが焦った。
先輩達の姿は点のようになっていた。あまり苦しいので止まってしまった。

 

体中に汗が噴出した。汗が額から落ちて眼に入る。擦れ違う人に笑顔など向けていられない。
息を整えて又走り出した。
まだ苦しくてしかたがなかったが、ただ迷子になったらどうしよう置いていかれてしまう。なんとか見失うまいと、口から泡を飛ばしながら走った。

 

 柔らかい緑の木立がジャングルのような不気味な世界に変ってしまった。2つ目の信号を過ぎた時には、先輩の姿は完全に消えていた。

 

「もしかして・・。早まったか?」
急に日本が無常に恋しくなった。

 

こんなにも自分が弱い人間だとは、思ってもみなかった。ここで止まったら、歩いたら、人さらいか、警察に浮浪者と思われて連れて行かれるのではないか。

 

とにかく走らなくてはいけない。
汗と涙が入り混じって、目が痛かった。
先輩が書いてくれた地図があるから大丈夫だ、と自分に言いきかす。

 

3つ目の信号が見えてきた。曲がった後、道が突き当たる。T字に出る。そこを左に曲がる。
なかなか道が突き当たらない。
どこまで走れば突き当たるんだ。

 

相変わらず擦れ違う人が笑顔を向けてくれる。
「おばさん、僕は日本に帰りたいんです。助けてください」
泣きっ面で走っていた。
「こんなはずじゃなかったのに。何で俺はいつも判断を間違えるのだろう。水が飲みたい。座りたい。歩きたい。叫びたい。何でこんなに坂が多いんだ、この街は」

 

 自分では走っているつもりだったが、きっと先輩たちから見れば、歩いているようだったかもしれない。
やっとT字路に出る。
 ここを左に曲がる。ここからグリーンスプリング・ハイウェイに出る。細い道から急に広い道になるといっていた。
走っている自分には道が細いのか、広いのか全く気がつかない。
注意しなくてはいけない。

 

 もう何時間走ったのか、いやどの位歩いたのか分らなかった。
一体、いつになったら広い道に出るんだ。
不安で、不安で仕方なかった。
もしかして、道に迷ったんじゃないか?
人に道を聞きたいけど、英語が喋れない。

 

もう走れない、と思った時、広い6斜線の道に出た。
道路のサインに“GREEN SPRINGS“とあった。このくらいの英語はわかる。

 

 マクドナルドを通り過ぎて、2つ目の信号・・。腹が減った。
 喉がカラカラである。汗は止まらずに吹き出ている。
身体の水分が全部でしまうのではないか?
マクドナルドに行って、何か食べたい。金が無い。それに、言葉が通じない。

 

 気が付くと知らぬ間に歩いていた。歩いちゃ駄目だ。走らないと今日中に寮に着けない。
僕は自分を奮い立たせるという気持ちよりも、不安だから走らなくては、というのが正直な気持であった。自然に自分の口の中で「オイショ、オイショ」と声を出していた。

 

 

 突然、後ろから車のクラクションが鳴った。

 

「あっ」と思って後ろを振り返ると、森先生が笑いながら
「何ブツブツ言ってるんだ。あの信号を曲がれば、もうすぐだ。気合入れろ!」
 先生は既にシャワーを済ませ、着替えをし、清々しい顔で運転をしていた。
先生の「頑張れ、マサ」という声を聞いたら不思議と力が出た。

 

「見捨てられていなかった」
 何かほっとした、元気が出て来た。
先生は僕の先になったり、後になったりしながら寮まで付いて来てくれた。

 

 

 寮の裏庭には広いデッキがあり、3人の先輩が既に着替えを済ませ、短パンやTシャツを洗っていた。僕の顔を見ると
「オイシャー」「オシャー」
 と笑いながら声をかけてくれた。
その声が、走っている間の、泣き言を消し飛ばしてくれた。
 13キロは生まれて初めて走った距離である。
信じられなかった。どれだけ歩いたかわからないが、なんとか完走したんだ、と心の中に刻み込んだ。
朝の陽を受けて、芝の緑が鮮やかに見えた。

 

「毎週、日曜日は朝8マイル走る。遅い朝食は外で食べる。その後は昼寝だ。昼寝の後は寮の掃除だ。嬉しいだろう?」
 と、秀先輩が言ってきた。毎週と聞いて唖然とした。
 
 
この続きは、書籍「内弟子 in America」で!
 
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コメント (0) | 2007/04/09

内弟子 in America

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