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国際大山空手道連盟 WORLD OYAMA KARATE ORGANIZATION

第16話 OH WINTER CAMP 三峰神社

寒い朝はコーヒーがうまい。毎日の散歩は私の日課である。
約2マイル歩く、時間にして45分ぐらい。速く歩く時、ゆっくりの時もある。
調子がいいと軽いジョギングをする。私は裏腰に爆弾を抱えているので無理はできない。
調子に乗ってランニングすると次の日腰が悲鳴を上げる。腰が壊れたら大変である。
この歳になると毎日歩ける事に感謝である。

 

しかし外の気温がマイナスになると迷いが出る。今日はマイナスである。
一杯目のコーヒーを飲み終える。朝食はトーストと目玉焼き勿論自分で作る。
そいえば極真会館最高顧問の郷田師範も朝飯は彼が作ると言っていた。
何故だがカラテ家は料理がうまい。
サンフラシスコの斉藤先生も子供の弁当、朝食何でもこなすと言っていた。
たぶんうちの大幹部直井先生は新婚だからきっと奥さんに任せているかもしれない。
なんだか話が朝飯の話になって止まらなくなってしまった。また脱線である。戻す。

 

最初の極真黒帯裏の会を郷田師範の実家の2階で開いた。
席上私も戻って稽古をする。皆もまた稽古してくれと頼んだ。
会は暫く振りに古い連中が顔を見せ会ったので和気あいあいと進んだ。
ところがちょっと波乱が起きた。
一番末席に座らなくてはいけない後輩の金村君が、黙ってればいいものをしゃしゃり出て一言発言をした。
金村は性格温厚で、いいやつである。
私は金太郎ちゃんあだ名を付けた。
金太郎ちゃん悪気があって言ったのではなく、極真カラテの為に発言したと思う。
しかし集まった連中は金太郎ちゃんからすれば大先輩である。
普通なら沈黙して「オス、オス」だけ言ってれば良かったのである。
我慢できなくなって意見を出してしまったようだ。
なにを言ったのか思い出せないのだが多分「また皆一緒にやりましょう・・・」など言ったようだ。
並みいる大先輩を前にしてである。一瞬みんな顔色が変わったようだった。
「なんだ、お前、何様だと思っているんだ!」誰かが怒鳴りつけた。
危なかった。それでもなんとか後は旨くおさまった。

 

 

私が正式に極真会館総本部に戻ったのは28歳の秋であった。
会館の三階館長室で故総裁と話し合った。その時期の総裁のタイトルは館長である。
故総裁からチーフインストラクターに任され、2年後アメリカのどこかに派遣すると約束をもらった。
私からは、先ず総本部の指導体制を確立する。私より先に後輩を海外に派遣する。
この二つを大山館長に約束した。
私が戻る前は後輩の茶帯のSがチーフインストラクターであった。
Sはいいやつである。指導も丁寧で優しいが迫力、パワーが足らない。
どこか稽古にピーンとした気合が入らない。
稽古に何か活気と言うか覇気が足らない様な気がした。

 

余談だが、今でもカラテの道場は先生が情熱を持つ、汗をかく、口ではなく身体で指導する。
それが基本であり。一番大切な事であると信じる。
この事はカラテの道場だけなく全ての武道に言える事だと思う。
先生の気がなかったり、身体の動きが緩慢になると道場の雰囲気が落ちる。
先生が生徒よりも気合を入れることである。
先生がエキサイトすれば生徒もエキサイトする。
指導している先生の気合い気魄が道場の隅々まで漂っていなくてはいけない。

 

「オイ、ワールド大山空手! うちの支部長しっかり読めよ! 忘れるな!」
この事は、勿論私自信にも言いきかしていることである。
また脱線した。話を戻す。

 

 

約6年半のブランクの後黒帯を締めて稽古に指導に励んだ。
正直に言って慣れるまでが大変であった。
春山を追いかけていた時の勢は無くなっていた。
これはカラテだけでなく他の武道、スポーツに言える事である。
稽古に徹して燃えていると技と動きに鋭さ切れ、勢いが出て来る時がある。
見た目は同じ技を出している様にみえるが、技や動きに勢がある人とない人では迫力がまったく違ってくる。
自分の技や動きを練って追いかけているとその技や動きが身体に入ってくる。
その技を出す呼吸、タイミングが身体で解ってくる。勢いが出て来る訳である。
一度身についた技でも追いかけないと勢いが消えてしまう。
長い間のブランクの後に戻った私の技も動きも勢いが消えていた。
それでもなんとか昔の貯金を下ろすような感じで組手をこなし指導していた。
私が内弟子を指導する時に「女は追いかけなくても良い、女に追いかけさせろ。技や動きを追いかけろ。技や動きはガンガン追いかけないと惚れてくれない」と何時も言っている。

 

最初の黒帯裏の会のミーテングの後、極真本部にも昔の黒帯がポッン、ポッンと戻ってきた。
郷田師範も道着を着るようになった。
自然と一般部の稽古も燃えて、エキサイテングな汗を流せるようになった。
一般部の若い連中の気合は極真会館総本部の活気になった様に思う。
自然と壮年部も活発になってきた。
極真会館自体が燃えて来たように感じた。いい雰囲気になった。

 

 

丁度その頃、海外からもいろいろな連中が来るようになった。
多分その年の晩秋だと思う。
ウーエルズ(WALES)からハワード・コリンズが迷い込んできた。
確かではないが面接は私がしたようである。
初めて見た時の印象はホームレスの様な感じがした。
ヤバイと思ったが、話していると人柄が優しそうで真面目に見えた。
イギリスの支部から来た。4級のグリーンベルトを締めていた。
裏の若獅子寮に入れた。
チーフインストラクタ―は指導だけではなくいろいろと雑用が多かった。
とにかく無我夢中に指導また会館の雑用をこなした。

 

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その年が明けた。
オ~ウ!ウインター キャンプである。
冬の合宿はあの三峰神社である。
何台バスを借りたか思い出せないが結構多かった。
合宿最初の朝、起床は確か午前4時だと思った。真夜中である。
起きてすぐ蒲団をたたんで部屋の戸をあける。厳寒波襲来である。
「ハーイ気合入れて」と号令をかけるのが普通であるが。
朝の4時、外はお星様がキラキラしている。煌々と冴えわたっているのである。
寒いもんなんてじゃない。身体が一瞬にして凍ってしまう様である。
三戦立ちから「ワセ、ワセ、オイショ、オイショ・・・」と正拳突き、立ちを変えて前蹴り。
皆叫ぶような気合いを入れていた。
「助けて!タスケテ!・・・」必死である。必死に突かないと身体が凍ってしまう。
何本突いて蹴ったか忘れたが身体が熱くなったところで本殿に行く。
神主(神職)から祝詞を受けるのである。
この稿を書く前に石川先生にいろいろと祝詞の事を聞いた。
本殿の床は勿論板の間である。雨戸、窓は勿論全部開けてある。
祝詞は神に対してお願いすることである。神と人間の間を取り持つのが神主である。
館長の横に私が座る。正座である。勿論みんな正座。
身に付けているのは道着だけである。
「ヒーウー、ヒーウー」と凍てついた風が吹きさらす。拷問である。

 

神主さん厳かに祝詞を語り始める・・・「畏み畏み申す~」と始まるらしい。
時間にして2~3秒もかからなかったと思うが正座している脚が痺れ感覚がなくなる。
全員正座黙想で神主さんの祝詞を真摯に聞いているのである。
勿論それは表面上である。
不謹慎だが心身を清める気持よりも凍えないように身の安全を皆考えていたのではないかと想像してしまう。
みんなきっと私と同じように「お願いです早く終ってください、早く終われ・・」と願っていたかもしれない。
勿論これは私の勝手な想像であるである。みんなどんな顔をしているか見たかった。
隣が館長では目を開ける訳にはいかない。
我慢である。これが本当に「押忍、オス、オス・・・」の精神である。
私の(全員の)願いもむなしく、祝詞がとにかく長かった。
10分どころではない20分以上多分30分以上はかかったと思う。
神主さんの「・・・これを持ちまして合宿成功のご祭義、滞りなく申し上げます・・」で終わるらしい。
これも石川に聞いた話である。

 

私が覚えているのは隣の館長が動いた気配で、「アッ終ったんだ」だけである。
開眼して座礼をする。さっと、館長が立ち上がる。私が「起立」と号令をかける。
心中オイショーと気合を入れる。何とか立ち上がれた。
隣の方で「ドゥターン」大きな音がする。
コリンズが倒れて、身体を震わせながら脚を抱えている。
館長が「ウーン」と唸って渋い顔、その表情を見ながら私は立ちあがれて本当に良かったと思った。もし隊長の私がこけたら切腹ものである。
コリンズの倒れたその音が合図の様にアッチこっちで「ダーン」「ドーン」と倒れる音がしばらく続いた。
石川が「神主,神職の一歩は正座を一時間できることから・・」始ると言っていた。
納得である。
道場では何時も「もっと気合を入れて・・・」等と門下生に怒鳴っているのだが、山頂の稽古ではみんな必死である。
我々が「気合を入れて」と叫ばなくても自然と気合が入っていた。
みんな夢中で突いて蹴っていた。ところ変われば人が変るとはとは本当の事である。

 

 

冬の合宿は本部だけではなく近辺の支部の生徒も参加していた。
昔の事は、鮮明に思い出せる場合とおぼろげ的な場合がある。
細い糸をたぐりよせるように思いだそうとするのだが霞んでいる事がある。
この稿を書く前に昨年と今年、2度ほどシカゴの三浦師範に電話をした。
長電話になった。昔話に二人とも笑いこけた。

 

あの時の合宿に城西大学の空手部からも数名参加していた。
4年生で荒木という男がいた。確かではないが何度か荒木とは合宿前にも会っていた。
技も切れ態度も良い奴であった。精悍な感じがした。
卒業したら本部の指導員なれと口説いた。
残念ながらいろいろな事情で実現しなかった。
その荒木が合宿場で、次期キャプテンに指名した3年生の三浦を紹介してくれた。
荒木も男気がある奴であったが、三浦も同じように感じた。
40何年前である。三浦が電話の向こうで「自分が19歳でした」と言っていた。
極真会館に戻ってからは腕の立つ若い空手家を何時も物色していた。
私の眼に三浦は輝いて見えた。・・・また話がそれた。話を戻す。

 

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素足で頑張りました。

 

 

祝詞が終わり外での稽古が始める。
私は素足で稽古したのではないかと思ったのだが、違ったようだ。
殆ど皆運動靴、テニスシューズをはいていたらしい。
ところがである。この事は正直に書きたくないのだが、何と私は長靴をはいて稽古をしていたらしい。

 

懐かしい長靴

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話がちょっとそれるが私の子供の頃は表の大通りはアスファルトであったが、細い横道や裏通りは土であった。
雨が降ると道がぬかった。
みんな長靴を履いて学校に通ったものである。
今はきっと子供達は長靴を履かないのではなかいか?
長靴の事を電話で三浦に言われて私は沈黙してしまった。
彼は爆笑していた。
「師範凄かったですよ、長靴はいてまわし蹴りを蹴っていたんですから、マイリマシタ」

 

私が長靴を履いたのを覚えているのはあの有名な合宿のマラソンである。
私は長靴を履いて走った。正確には長靴を履いてチョット走って後は歩いたのである。
あのマラソン本当にマイッタ。
途中で引き返し近道をしようと誰かと話し合い直線に山を登った事は覚えている。
誰だったか思い出せないが結構4~5人ついてきた。
ところが途中腹が減って腹が減って力が出ない。
もしかして登りきれないのではと焦った。
しかたがなく周りの新雪を固めて食べた。
雪では腹の足しにはならなかった。全然力が出なかった。赤面の至りである。
面白いものでその事は昨日のように思いだせる。
ともかく何とか冬の合宿を無事終わらした。

 

本当に懐かしい昔の話である。
書きながら自然と笑みが出て来た。
正月に郷田兄と話をした。今年の冬の合宿が話題になった。
「厳寒の為、山も道も凍りついて仕舞い危険なため滝を浴びなかった」と言っていた。
40何年間で初めて滝を浴びなかったと残念がっていた。

 

極真会館最高顧問 郷田師範

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2012年の時は滝を浴びた。元気が一番の財産である。

 

 

「お互いに古希をとっくに過ぎている身体、無理しないで」と私が慰めた。
さて話がそれたので今回のワンダフル空手16話ソロソロ終わりにしよう。
次の話は夏の合宿一宮を考えている。
2月の中旬に書きあげる予定である。

 

これから朝の散歩である。今朝の寒さは半端じゃない。何とマイナス5度である。
散歩に出るにも気合いが居る。
私はあんまり帽子が被らない。なんとなく鬱陶しい。
外に出ると頭にピーピーと寒波が襲う。
残り少ない大事な髪の毛が剥ぎ取られる。
「アブナイ、あぶない」家に入りスキー場で使う帽子をかぶる。
歩きながら、ふっと考えた。

 

この寒さ、大幹部の直井だったらどうするか?
「オイ、直井ちょっとステラとハナ散歩に連れて行ってくれ」
「はぁー」と悲鳴が聞こえる。
一度迷子になっている直井。ステラとハナも逃げるかもしれない。

 

練馬のマサならどうするか?「オイ、マサ犬の散歩」
「オース、ウーン、行ってきます」だろうな。
想像がどんどんエスカレートしてしまった。

 

郷田軍団の東十条の河辺だったらどうするか?
「エッ、犬の散歩ですか?最高師範、冗談でしょう、いい歳なんだからサァサァ炬燵に入って
一緒に熱燗でも飲みましょう、正月なんだから・・・」と言ってくるかも。
・・・余り寒いので変な想像をしてしまった。

 

何時ものトレイル(小路)散歩の人やジョギング、いろいろな人と擦れ違うのだが今日は誰もいなかった。
なんとなく俺はまだ若いと自惚れた。
ステラとハナは気合いが入っている。元気にドンドン私を引っ張って行く。
水溜まりやクリーク(小川)が凍っている。
私の顔も凍ってしまった。
触るとしわがポキッと折れて仕舞いそうである。
なんとなくまた昔の冬の合宿、長靴を思い出し笑いが浮かぶ。

 

健康第一頑張れみんな!

コメント (6) | 2014/02/05

ワンダフル空手

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“第16話 OH WINTER CAMP 三峰神社”へのコメント (6)

  1. 炬燵で一杯最高ですよ。早く来てください。

    from 東の忠(2014/02/05)
  2. いつも、ありがとうございます。
    ご指摘のとおり、カラテの道場は先生が情熱を持つ、汗をかく、口ではなく身体で指導すること。
    それが基本であり。一番大切な事であること。
    この事はカラテの道場だけなく全ての武道に言えること。
    先生の気がなかったり、身体の動きが緩慢になると道場の雰囲気が落ちること。
    先生が生徒よりも気合を入れること。
    先生がエキサイトすれば生徒もエキサイトすること。
    指導している先生の気合い気魄が道場の隅々まで漂っていなくてはいけないこと。
    まだまだ、動きも気合いも若い生徒に負けられません。
    押忍

    from Sensei F(2014/02/06)
  3. 東の忠さん

    最高師範より

    来月会いましょう。オス

    from shihanT(2014/02/07)
  4. Sensei F

    指導者は稽古中は浮いてしまっている位でちょうどよいと思います。
    頑張りましょう。

    from shihanT(2014/02/07)
  5. 三浦師範とも電話でやり取りされている由、
    外野ながら「いいな」と思いました。

    >「お互いに古希をとっくに過ぎている身体、無理しないで」と私が慰めた。

    えっ!?と驚きました。『空手バカ一代』世代の私にはせいぜいビデオ『ザ・パンチ』の頃で時が止まっている気がしてなりません。

    from サザン松濤館館長(2014/08/22)
  6. サザン松濤館館長さん
    自分も最後の(?)空手バカ一代世代ですが、まだ継続中です。

    from Shihan T(2014/10/11)

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