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国際大山空手道連盟 WORLD OYAMA KARATE ORGANIZATION

第18話 サマーキャンプ 夏の合宿

日本から帰ってくるとアラバマは夏になっていた。
今回の支部長合宿みんな頑張った。でも初日の稽古、凄かった。
ここはサウナかと思ってしまった。
我慢の男、野武士の鈴木師範がとうとう、
「オイ、直井。換気扇回っているのか?エアコン入れたら良いんじゃないか?」
ホントあの言葉で救われたようだ。「直井先生ちょっと渋過ぎないか?」

 

 

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何時も言っているが時差をとるには汗をかくことである。
朝の散歩をスタートして2~3分で汗が出る。
夏の花、百日紅の花が咲いている。
白、赤、ピンク、ときどきパープルの色も見える。
深南部はアラバマだけでなくこの百日紅の花をよく見かける。
細い枝先に小さく群れをなして咲いている。
激しい夏の陽の中で、けなげに咲いている。
いいものである。何か元気をくれる様である。

 

そこでワンダフル空手18話である。
極真会館総本部の指導体制が充実してきた頃のことである。

 

毎回の稽古も気合が入り、会館に一歩踏み入れるとピリとした気合を感じた。
帯研も現在カラテ界、武道会で活躍している連中がごろごろ顔を見せていた。
郷田兄、添野、山崎、西田、佐藤勝昭、鈴木コウヘイ、金村、磯部、大石それに三浦、岸、須藤、コリンズ、海外から来た黒帯、まだまだいたが名前を思い出せない。

 

帯研は、前回書いたがとにかく5本蹴り、回れ、まわれの型、それでも時々棒の稽古もしていた。確か「チオン」という型だったと思う。
毎回ではないが最後に組手もやった。
組手も立教大学裏の道場時代とは違って顔面への突きや金蹴り、目つき等禁じ手になっていた。
それでも結構激しく突いて蹴っていた。
或る日その組手で腰と背中{脊髄}を痛めてしまった。
あの頃私の体重が、60キロあるかないかであった。
相手は80キロはある奴だった。突いて蹴っているうちに相手ともつれた。
無理な態勢から相手を掴んで投げに出た。立ち方が悪く相手を担いだのだがそのまま腰から崩れてしまった。「ギッグ」と背中に衝撃を受けた。
次の日から腰が伸ばせなく、真っすぐに立てなくなった。
それから、左足が痺れてときどき感覚がなくなった。
夜寝る前に、三浦と岸によく揉んでももらった。
二人とも始めのうちは、親指や掌低で揉んでくれていた。
そのうち指が疲れてくるのか小手から肘になる。
二人とも結構長く揉んでくれていた。
しばらくして、「ありがとう」と言って寝るのだが、時々揉んでもらっているうちに寝てしまった。
眼が覚めると頭や腹の上に二人のぶっとい足が乗っていた。
二人とも指や手が疲れて、足で揉んでくれていたのである。

 

故総裁は背中と膝は切らない{手術}方が良いと言っていた。
だからハリやお灸、マッサージ、指圧がいいと。
しかしどちらにしろ治療を受けたかったが、お金がなかった。
極真会館から出る指導員の給料は僅かであった。
確かではないが三浦と岸が1万5千円だと思った。
私が2万円であったように思う。
給料をもらっても1週間もしないうちに無くなった。
良く私が友人の荒井力男や関根に米やみそ、肉を運ばせた。

 

話が脱線した。戻す。
何とか身体を誤魔化して会館の仕事をこなしていたが、時々動けなくなる事があった。医者に行きたかったが、先立つものがない。
ところが救ってくれる、神様がいたのである。
嘘みたいな話であるがホントウである。

 

或る日、なにかの用で千葉県の市川というところに郷田兄と一緒に出かけた。
国鉄に乗って市川まで出た。そのころはJRなどとは言わなかった。
駅からタクシーを使い、何の用事か思い出せないのだが帰りもタクシーを拾った。拾ったタクシーが来る時に乗った会社のタクシーと同じであった。
乗った時は同じタクシー会社とは分からなかった。
分かったのは我々が乗ったタクシーと同じ会社のタクシーが正面衝突をしたのである。表通リではなく裏通りだったようである。
車の横が接触したとか、擦ったとかでなく、正面衝突したのである。
凄い運転手である。
「カシャー」と大きな音をたてて正面からぶつかってくれたのである。
40年以上も前の話である。シートベルトなど関係なかった。
後ろの席から運転席まで身体が飛んだようだった。
両手で顔面をカバーしたことは覚えている。郷田兄も無事だった。
郷田兄が思わず「オッ、腰の治療代」と呟いた様に思う。
両方の運転手さんも無事だったようだ。
神様はやはりいたのである。

 

誰かの紹介か忘れたが、池袋から近い、東中野にハリとお灸、指圧、カイロプラクテックと言う小柳医院があった。
そこに郷田兄の車で{その車が凄い車で、一応4人乗りなのであるが助手席に乗ると顔がウインドーから飛び出すような車である}治療に通った。
小柳先生は温厚な優しい人だった。親身になって治療してくれた。
その治療の中で一番効果があったのがお灸であった。
指圧、ハリ、お灸のおかげでなんとか指導や稽古をこなしたが身体が疲れてきたりするとすぐに裏腰に痛みがきた。
40年以上も前の話であるが今も裏腰に爆弾を抱えている。
アメリカに来てからも何回か動けなくなった事がある。
有名な医者に診てもらったが、手術した方がいいとアドバイスをもらった。
昔と違って医学も大いに発達をしていることは解っているが、何とか身体と対話して稽古に指導を続けている。
この歳になると身体のどこかがオカシクなるのは当たり前の様な気がする。
後は自分の身体と親身になって話し合いながらこのまま頑張ろうと思っている。
話が沈んで来た。もとに戻す。

 

季節は春から夏に入った。
帯研が終わると裏の寮でよく飲んだ。
ばっちり汗を流した後、喉の渇きを我慢しながらビールを飲む。
あの頃サッポロジャイアンツと言う銘柄があった様に思う。
「ウグン、ウグン、」と喉の音をたてて一気に飲む。値千金である。
稽古の後の最初の一杯はもうどう表現していいかわからいほど美味いのである。
余りに美味いで泣けてくる。
「生きていてよかった~」と思う。
しかし「このまま死んでもいい~」とは思わないのである。
もっと、もっとこの美味しいビールを飲みたいと思う。
欲張りである。平凡な人間は煩悩の中で、もがき生きているのである。
なんかビールの話が哲学的なって来たので、このへんで止めよう。
でももう一言いいたい。
ビールの話は有り余るほどある。だから付き合ってもらう。
深南部アラバマの夏の暑さは半端でない。
ここで最初の夏をむかえた時、指導している途中で生徒の顔がビール瓶に見えて来た事が何回もあった。
それも凍って霜がついているビール瓶である。
サッポロ、アサヒ、キリン、どれか思い出せないが日本のビールであった。
思わず、気合いの代わりに唾を飲み込んでしまう。
ここまで書いてきて、何故か急に喉が渇いてきたので一先ず休憩。
「エッ、どんな休憩をしたか?・・・」読者、門下生の想像に任せる。
ヒントは、とても冷えていて旨かった。
思わず「ウ~ン、オイショー・・・」と言う呟きが出た。

 

話がまた脱線した。続ける。
帯研が終わる、シャワーもそこそこに急いで寮に駆け付ける。
狭い部屋、大きな男が肩を寄せ合いながらテ―ブルを囲む。
テーブルの上には既にサッポロジャイアンツの大瓶が4~5本置いてある。
もどかしくコップに「コクコク、ドクドク」とビールを注ぐ。
血走った目線、喉がゴロゴロと鳴る。
「オーイショ」の気合いで私が音頭を掛ける。
みんな待ちきれない顔、そこで私がわざっと、焦らす。
おもむろにコップをテーブルの上に戻す。
一番上の私が口を付けないとみんな飲めないのである。
わざと、「チョット待て、明日の・・・」まったく関係ない話しを始める。
最初は、みんな我慢して私の話に耳を傾けたが、私が焦らしているのだと気がつくと、三浦と岸が「失礼します」と言って、二人で私の腕を持ち無理やりコップを口に付けさせるのである。
・・・・童心にかえってふざけ合った。楽しかった。
稽古の緊張感がビールを飲むたびにこころよい快感に変わっていた。

 

もう一つ、現職の極真会館最高顧問の郷田師範は有名な酒豪である。
ところがあの頃、郷田師範は下戸だったのである。
ビールではなくオレンジジュースであった。
「嫌だ、いやだ・・・」と言ってたのだが、それを私たちが無理にコップ半分は飲ましたのである。
コップ半分のビールで顔を赤くしてボーッとしていた。
やさしく可愛かったのである。嘘みたいな話だが本当の話である。
ビールの話ばかりしていたら、また休憩したくなってしまった。
ホント、夏はビールが美味い。最高である。

 

 

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危ないので話を続ける。極真総本部に気合いが入る。特に帯研に活気があった。黒帯連中がまとまって稽古に指導にと、うまくこなしていた。
そこでサマーキャンプ、夏の合宿である。場所は有名な一宮海岸であった。
確かではないが総勢200人以上は集まったと思った。
早朝マラソン、ビーチの掃除、基本、移動稽古と続く、各班ごとに分かれて型や約束組手、相撲、バクテン、木登り、いろいろあった。

 

 

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故総裁はいつも冬の合宿、夏の合宿でも何故か写真の撮影をする。
それも故総裁がいろいろとアイデアを出すのである。
故総裁は想像力が豊かであった。
弟子の我々にとっては時として困りものであった。
夜ビーチに連れていかれ焚火をおこし、何所から持ってきたか分からなかったが大きな輪に火を付けて、その輪の中を飛び蹴りで通る。
みんな顔を見合わせた。
「お前いけ、いや先輩、バカ、・・・」こんな会話が囁かれた。
それでも中からバネのある奴を見付けてなんとか撮った。
面白かったのは松の木に登らされて飛び蹴りの撮影をした。
木の下に厚いクッションをひいといて、気合いを入れて跳ぶのだが残念ながらあまり絵にならなかった。
腰が悪かったのだが、私も登らされた。
その時の写真があるがここに載せない。 絶対に載せない。
気合いを入れろと言われたが、みんな悲鳴のような気合いだった。
もう一つ思い出した。朝焼けを背景に故総裁を囲んでビーチを走るのだが、何故か誰か!?が寝坊してしまい、明るくなり過ぎてしまった。
それでも写真を撮った。故総裁は膝が悪く走らないのだが、何とか走った。
これがその時の貴重な写真である。
故総裁が楽しそうに走ったので我々も喜んで後に続いた。

 

 

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サマーキャンプ、夏の合宿最後のイベント行事は騎馬戦であった。
最高審判長は故総裁である。レフリーは西田であった。

 

 

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(左)大山泰彦最高師範 (中央)レフリー西田氏 (右)敵の大将金村氏

 

紅白か東西か忘れたが二組に分かれた。
天下分かれ目の決戦、関ヶ原である。
私の陣営は主だった黒帯はいなかったように思う。
敵の大将は金村だった。
金村の周りには三浦、岸、佐藤勝昭、大石、など一騎当千の黒帯が並んだ。
圧巻であり、圧倒された。

 

 

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みんな若かった、一番輝いていた時かもしれない・・・

 

勝負は戦う前にすでについていた感じである。
あのころ、三浦や岸、大石が「オリャー」と気合を入れただけで一般の門下生は「マイリマシタ、マイリマシタ・・」と言ってしまうのが、現実であった。
しかし一軍の将を預かる身、みすみす戦う前に白旗を振る訳にはいかない。
玉砕するまでである。

 

ルールは敵の大将を倒した{首級を挙げる}時点で闘いは終わりという事であった。正面からぶつかれば万に一つも勝ち目はない。
決戦前に作戦を練った。
とにかく正面から声を出してぶつかれ!俺が先に金太郎ちゃんを落とす。
「いいか!・・・声は勢、勢は力、力は勝利!・・・」
あの時閃いた、私の造語、コピーである。今も時々使っている。
三浦や岸、勝昭、大石などの大先輩の顔が恐かったら目をつぶって、突進しろ。
俺も怖い、だから気合いを入れる。気合いを入れれば恐くない。
いいか館長{故総裁}もいつも言ってるだろう。
「キミ!・・お化けじゃないんだよ、同じ人間だぁ、手が二本、ちょっと太めだが脚も二本だぁ」
先輩達の顔、眼を見るな。胸を見て叫ぶんだ。
私が気勢を上げる。「エイエイオー、エイエイヤー」それに合して私の陣営も気合いがはいった。

 

金太郎チャンの陣営は泰然としていた。
私の馬は頭がコリンズであった両脚は誰だったか思い出せない。
思い出せないのは黒帯ではなかったからだと思う。
私は騎乗し立ちあがり、金太郎チャンの陣営を睨みつけた。
西田が「始め!」の合図をする。
私は伸びあがって「いけー、進めー、突進だぁー、・・・」声を限りに吠えた。
私の騎馬は陣営の真ん中に位置していた。
私の声に合して、「ウオー、オイヤー・・・」気合が入った。絵になっていた。
両方の騎馬が「ドウドウドウ~、ダァダァ~ダァ~」と波を蹴って進む。
私は少しずつ馬の頭に隠れるように身をかくし、後ろにさがった。
わが軍の騎馬軍団は思った以上に健闘して、両軍混戦になった。
私は迂回して外から金太郎チャンの後ろに回った。
誰も気が付かない。
大将の金太郎チャン動かないで、騎乗から時々「ソレーイケーぶっつぶせー」
とか何とか威勢よく叫んでいる。
私が後ろから金太郎チャンの肩を、「オイ、金村~、大将~」と声をかける。
金太郎チャン「ナヌ~」と言う顔でふりむいた。
私が左手で、その金太郎チャンの頭を掴み、右手で顎を押し込み後ろに引くと、そのままあっ気なく「バシャ」と音をたてて落ちたのである。
「アァ~、オゥ~」大将は房総の海のも屑になってしまったのである。
見事に奇襲は成就し、高らかに凱旋を宣したのである。
まさに「ワハハ、ワハハ、ワハハ~」である。

 

歴史は繰り返されたのである。
遠く・・・源平合戦、一ノ谷の戦い。源義経の、逆落とし。
さらに、織田信長が今川義元を打ち破った、桶狭間の戦い。
そして昭和の時代、場所は一宮海岸サマーキャンプ。最後のビッグイベント騎馬戦。
ものの見事に奇襲は成功したのである。
あまりにも、あっけなく金村大将は散ってしまったのである。
故総裁が腹をかかえて笑っていた。涙を流していたように思う。
奮戦はしたが、結局は三浦や岸、大石達の大先輩にコテンパンにやられていた私の陣営は、私の勝利の合図に狂喜した。
三浦や岸、大石の顔が、ポカーンとしていた。

 

だが彼等は執拗に食い下がって来た。
どうしても、も一度やりたいです。「お願いします」と言ってきた。
勿論、私は断った。真剣勝負一度だけ。
しかし彼等は断固として、もう一度、もう一度と言ってきた。
このまま終わったんでは人生が終わってしまうような顔つきであった。
これはちょっとオーバーな表現であるが、ホントこんな感じであった。
故総裁ももう一度という事になった。奇襲は一度だけである。二回目は岸も三浦も大石もみんな私だけを狙ってきた。
私の陣営は蹴散らされ、一騎当千の黒帯連中がもの凄い形相で、前から横から後ろから私に殺到してきた。私はメタメタにされて、叩き落された。

 

 

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一騎当千の黒帯が容赦なく襲ってきた

 

それでも最初の勝利の余韻が身体中にイキイキと感じられた。
わが軍の勝利は変わりません。二度目の決戦は、おまけです。
サマーキャンプ、楽しかった。
ホント、こうして思い出しながら書いていても自然に笑みが出てくる。
ワッハハ、ワッハハ、ワッハハ・・・である。
“声は勢、勢は力、力は勝利”・・・である。

 

オス

コメント (4) | 2014/07/30

ワンダフル空手

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“第18話 サマーキャンプ 夏の合宿”へのコメント (4)

  1. 夏、合宿、一の宮学園、強者どもが夢の跡。

    from 西の行(2014/08/09)
  2. 夏の元気!ワッハハ、ワッハハ、ワッハハ・・・、“声は勢、勢は力、力は勝利”・・・ビールがうまい!いつもありがとうございます。

    from Sensei F(2014/08/11)
  3. 西の行さん

    まさに夢の跡です。
    オス。

    by 最高師範

    from Shihan T(2014/08/17)
  4. Sensei F

    ビールがうまいのは夏だからではなく稽古の後だからです。

    by 最高師範

    from Shihan T(2014/08/17)

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