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国際大山空手道連盟 WORLD OYAMA KARATE ORGANIZATION

第20話 極真総本部指導員裏話その二

九月になった。いつもの散歩道こころなしか枯れ葉が多くなってきた。
虫の音も、小鳥の囀りも季節が変わろうとしていると、鳴いているようだ。
雑木林に入ると蝉しぐれが身体を覆う。
鳴き声に去りゆく夏を惜しんでいる響きがある。
それでも残暑はまだまだ続く。
青空の色が濃く、深くなってきても、暑さは執拗に10月の初旬まで残る。
気は抜けない。

 

そこで前回に続いて極真総本部指導員裏話その二である。
東谷が内弟子になった頃、海外からも内弟子希望者がポツポツ現れた。
同じように日本の国内からも内弟子希望者が出てきた。
私も面接を何人か担当した。
殆ど父親同伴であったが、時として本人が一人で面接に来たこともある。
館長{故総裁}が面接する場にも何回か呼ばれたことがある。
殆どの内弟子希望者が、姿勢を正して座り眼を爛々と輝かし、はきはきとこちらの簡単な質問に答えていた。
2~3記憶に残っている彼等の言葉がある。
なぜ思いだしたかと言うと彼等の台詞がとても印象に残った・・・というより格好良過ぎたからであるかも知れない。

「どうして極真カラテの内弟子になりたいんですか?」
「自分は極真カラテが日本に残された最後の武道だと思います。極真カラテのため命を投げ出し、精進する覚悟です・・」
「ウ~ン、君は素晴らしい」これは故総裁の言葉である。
「オイ、オイ、ちょっと格好良すぎませんか?」これは私の胸の中です。
だいたいこんな感じであったが、中には「日本チャンピオン、世界チャンピオンになりたい」と言う人もいた。
また「修行を積んでいつの日か、海外に出て極真カラテの発展に努めたい・・」ウ~ン、なかせる台詞を言う奴もいた。
とにかくみんな恰好がよすぎた。
もちろん私は覚めた目で彼等を見ていた。
・・・・そうですか、最後の武道、う~ん。命をかける、君ホントですか?
「あの~ですね、現実はなかなか厳しいですよ」こんな感じで見ていた。

 

いよいよ内弟子生活が始まる。朝の朝礼、故総裁の訓示。
シャワー室、ロッカールーム、ロビー、階段などの掃除。
朝の掃除が終わる。ロビーの番をする。・・・ナガ~イ一日が始まる。
コヒ―でも飲みたいとかTVでも見たいとか・・・新聞雑誌、漫画でも読みたいとか・・・色々と胸の内にはあったと思う。
しかしそんな外の世界の生活スタイルは内弟子には許されない。
命をかけて極真カラテを修行する。強くなる、チャンピオンになる。
溢れるような情熱があった筈である。
頭の中では全て内弟子の生活を理解していた訳だったのだが、身体の方がアレ、チョット待てよ、・・と囁いてくる。
映画やTV、漫画で見た劇的な内弟子の生活であった筈なのに、まったく違って現実は地味な毎日のくりかえしであった。
頭の中では既に正拳も蹴り技もブンブン音が出るぐらいこなせていたのに、ちょっとも上達が見えない。昨日やった腕立て伏せ、きつかった。
まだ両腕と薄い胸板が痛い。
基本稽古が長すぎる。身体がもたない。突きも蹴りもなんだが難しい、こんな筈ではなかったのに、・・・なんと言っても自由がない。
葛藤が始まる。

 

それに飯がまずい。毎日同じような野菜炒め。チョット違うのは豚肉になったり鶏肉、牛肉の差だけである。
目の前に大きく盛り上がった野菜炒めを見ながら思わず「豚肉は嫌い、玉ねぎは苦手です・・・」と言ってしまったら。
先輩達がニコニコしながら、内弟子は好き嫌いを言ってはいけないの。
何でも食卓に乗った物を感謝して食べる。それも残さないで、ぜんぶ綺麗に食べるのです。
ぜんぜん食欲がない。たぶん緊張しているのか、それともあまりエキサイトし過ぎるのかもしれない。

 

彼等がどんな格好いい台詞を言ってきても、そんな台詞を三浦も岸も、私もまったく信じていなかった。
内弟子の生活には陰険なイジメとか体罰などは全くなく,むしろ我々はお客さんみたいに扱った。
それでも私の記憶では10人内弟子が入ると10人とも一週間しないうちにどこかに消えた。今思い出したのだが一人だけ一週間以上頑張った奴がいた。
名前を確かではないが「シンイチ」とか言った。
三浦も岸も可愛がった。
高校を卒業して内弟子になったと思った。背が高かったが身体は細かった。
童顔で素直で、いつも微笑を消さなかった。
もしかしてこの子は続くかもと思った。
だがある日、昼食に行く時岸に「先輩昼飯に行ってきます一分で帰ってきます・・・オス」。
岸が笑い出して「シンイチが一分で昼飯を食べる様です」と私と三浦に話したように記憶している。
ところが一分が過ぎ一時間も過ぎた。一日経っても、とうとうシンイチは昼飯に行ったきり帰ってこなかった。
シンイチの「一分」の台詞は暫らく我々の話題になった。
どの内弟子君も最初の日、朝は太陽のように目は輝いていたのだが、午後からさらに夜になると嘘のようにその輝きが消えていった。
その大きな落差を内弟子君達は隠さず見せていた。正直であった。
ホントあきれた。

 

 

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{写真:あの頃極真本部では月刊誌、現代カラテマガジンを発行していた。月刊誌であったが、いつもネタがなく編集長は困って私に泣きついて来た。ときどき別名で記事を書いてやった。海外からの内弟子を囲んで座談会を開いてそれを載せることにした。ところが質問するとトンチンカンな答えしか返ってこず、しかたなく、私が彼らの身代わりになって記事を作った。これは、そのときの写真である。私の左側にコリンズ、ジャック、その隣がカリフォルニアから来た真面目なおじさん名前を忘れてしまった。右側はインドネシアから来た奴その隣はヨーロッパから、名前が思い出せない。}

 

 

ところが海外{アメリカ、フランス、イギリス、インドネシア・・その他}から来た内弟子希望者はチョット違っていた。
海を渡ってくるだけあってもっと真摯な覚悟を持っていたように感じた。
殆どの内弟子希望者は来日する前に連絡して来ている。
条件とか自分の希望とかそれなりにしっかりと予定を立てていたように思う。ところが一人、予告なしに突然現れた内弟子がいた。
丁度寮のベッドが一つ空いていて、ラッキーにも内弟子の許可が出た。

 

前置きが長くいなったが極真総本部指導員裏話その二は彼にまつわる話である。
タイトルは「ウ~ン・・・雨もりか?」である。
最初に断っておく、この事件が起こった時その場に私がいたのではなく、次の日に皆から聞いた話である。
皆の話をもとに私の勝手な想像を入れてはなす。

 

その内弟子が極真会館の前に現れたのは、たぶん春先であったと思う。
春の温かさに誘われて迷い込んで来たのか分からないが、オーストラリアの船乗が内弟子を希望して入門してきた。
一見すると、若いのか中年なのか良く解らない奴だった。
名前はジョンと言った。
カラテの経験は全くなかったように見えた。
なんで極真カラテの内弟子になりたかったのか分からなかった。
ちょっと変わった奴であったが良い奴であった。
すぐ皆とうち溶けた。

 

 

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{写真:古い写真を調べていたら、サマーキャンプの中にジョンがいた。前列に鈴木浩平、金村、西田。後列に東谷、岸がいる。問題のジョンは私の左側後列4番目にいた。サマーキャンプでは、おとなしくしていたので思い出せなかった。}

 

 

前回にも書いたが稽古の後は良く飲んだ。
もちろん海外から来た内弟子も一緒に飲んだ。
コリンズは余り飲まなかったが、フランスから来たジャック、それにジョンは飲むのが稽古より大好きのようであった。二人とも正直である。
コリンズは極真カラテに生きる姿勢が見えたがジャックとジョンはなんか「日本の文化にチョット触れてみたい、その程度でいいんです」
そんな感じであった。
稽古が終わる。食事が終わる。
その後二人ともモジモジして我々の顔を見る。みんなお金が無かった。
ところがときどき金が無くとも飲めることがあった。
道場生の中にスナック、レストラン、バーなど飲食店のオーナーが結構多くいた。稽古前や終ったあと、時として彼らと歓談することがある。
自然と彼等が誘ってくる。
「・・・時間があったら、是非うちの店に飲みにきて下さい・・」などと言ってくるのである。
そのことを指導員も内弟子も知っているので私の顔色を見るのである。
いつ頃だったか忘れたが、その晩は結構飲んだ。
寮の二階には二段ベッドが置いてあり。
上にジョン、下にコリンズ、隣の二段ベッドにジャク、あとは誰だったか思い出せない。一階の壁際にも二段ベッドがあったようだ。
みんな無事に寮に帰ったようだ、私はその日外泊した。
ここからはみんなの話をまとめ、それに私の勝手な想像をいれて進める。
生憎その日は大先輩のKが一階のベッドに寝ていた。
Kは三浦や岸の先輩であった。
Kは、すでにその時期NYブルックリンある極真カラテの道場に指導員として、中村忠氏の後任として就任が決まっていたように思う。

 

一緒に飲むときKはビールをコップ一杯ぐらいで、我々のようにあまり飲まなかった。
その晩Kは一緒に飲みにいかなかった。
大先輩のKが寝ている。みんな静かに忍び足で寮に帰り階段をあがる。
すぐベッドにもぐりこむ。鼾の合唱が始まる。

 

ところが事件が真夜中に起きた。
船乗りのジョンが小便のため起き上ったのである。
ジョンが上のベッドから、もぞもぞと降りてくる動きで下に寝ていたコリンズも起きた。
その日はジョンが酔っていたのでコリンズが面倒見ていたのである。
ジョンがおもむろに便所にいかず床に立ったままパンツを下げた。
船乗りは普通カンバンで小便を平気ですると聞いた事がる。
本当かどうか知らない。でもその日の夜中ジョンはそれを実行したのである。コリンズがあわててそばのバケツを取ったが既にジョンの身体の一箇所から「ジャージャージャー」と派手な音を立て小便が出て仕舞ったのである。
思うにきっとジョンは気持がよかったと思う。
飲んだあと夜中に寝ぼけマナコで我慢していた小便をすると、「あ~」となにかほっとするのである。経験した人は多いと思う。
ジョンはきっと太平洋かインド洋か分からないが、どこかの大海の中で波に揺られていたのかもしれない。
無限に広がる星空を夢みながら気持よく「ジャ~ジャ~、ジャ~」とだしてしまったのである。
「ジャ~、ジャ~ジャ~」は、よく飲んだから勢いがあったようだ。

 

この事件はここで終わらないのである。さらに事件は発展していく。
これは事件と言うより悲劇と言ってもいいかもしれない。
ジョンの小便が床板から壁に伝わって一階にポタポタと漏れ初めてしまったのである。ジョンの小便は豪快であったようである。
一階のベットには安らかな寝息を立てながら大先輩のKが寝ていたのである。
そのK先輩はもしかして甘い夢を見ていたのかもしれない、しかしどんな夢か残念ながらまったく分からない。夢は関係ないのである。
ジョンの小便が、ス~と壁を伝わって音もなく流れ落ちた。
なんと下で寝ている大先輩のKの顔にポタ~ポタ~と落ちてしまったのである。
勝手な想像である。
「オッ、ウ~ン、雨かな~、寮もボロボロだからかなぁ~」とKが思ったかどうか確かではない。
しかしKは真相を分からずのまま寝た様である。

 

 

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{写真:金村のNY出発に羽田まで見送りに行く。前列に大石、磯部いる。後列右側から金村の父上、故総裁、金村、私、その隣がジョンである。ジョンはなぜかいつも金村から離れていつも私の横に立つ。端がコリンズ。ジョンは大先輩の金村を複雑な心境で見送っていた。}

 

 

次の朝事件の真相を知ったKは朝礼が終わった後すぐにジョンを2階の道場に呼び出す。実戦組手の特訓である。
今風に言う体罰である。
ところがジョンも根性の男、頑張った。両腕で脇を閉め顔面をカバーして凌いだのである。必死だったと思う。Kは結局下段ばかり蹴った様である。
ジョンは下段の受けは出来なかったがそれでも倒れずに頑張った。
人がいないところでは蹴られた脚をカバって歩いていたが、人がいると普通に歩いて見せた。根性があった。
カラテは余りたいした事がないが、船乗りとしては一人前の様である。
裏話まだあるがこの辺で止める。
オス

コメント (6) | 2014/09/17

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“第20話 極真総本部指導員裏話その二”へのコメント (6)

  1. 毎回、楽しみにしています。押忍

    from Sensei F(2014/09/18)
  2. 面接での動機を聞かれる場面、読んでいるだけで緊張して何を言ったらいいか思い浮かびません。押忍

    from フクニシ(2014/09/23)
  3. フクニシ先生
    自分が最高師範の面接(?)を受けたのは極真の全日本大会の会場でした。
    最高師範の最初のお言葉は「なぜ内弟子になろうと思ったのか?」ではなく
    「お前、最初の6か月はデート無しだからな」という女人禁止令でした(笑)

    from shihan T(2014/10/11)
  4. このような裏話は、すごく楽しいです。自分も第1回世界大会の頃、極真総本部に通っていました。他の裏話も、お願いします。

    from 佐藤勝弘(2015/04/04)
  5. 初めまして。私は芦原道場にいました。全日本10回大会のとき他の道場生共々観戦にいきましたが、大会終了後に泰彦師範が中山猛夫先輩に話しかけられゲキを飛ばされるのを間近で見て、なんだか凄いものを見たなと友人共々喜んで帰った記憶があります。

    from やいや(2015/07/03)
  6. 偶然ここを見かけました。楽しいお話ですね。

    from ASPHALT DANCER(2015/10/24)

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