2月の始め寒波がここ深南部にも到来した。
身を斬るような寒さだった。
それがこの2−3日春を思わせるような陽気になった。
庭の端を見るとボケの花が咲き、水仙の芽が伸びている。
枯れた芝にも所々に緑色が見え始める。
春は其処まで来ているのだろうか。
きっと日本では梅の花が咲き始めたのではないかと思う。
サテ、組手の話である。
前回いよいよ組手の話である・・・などともったいぶったことを言ったので、きっと読んでくれる人は面白いエキサイテングな話を期待したと思うが、残念ながら審査のときの組手は血の雨も降らなかった。
ただ、余裕を持って4〜5人こなしただけである。
審査の終った後、私はもう黒帯のような顔をしていたようだ。
誰が見てもきっと、私が一番動きも技も鋭かったと自惚れていた。
他の黒帯の人も、終った後
「良かった、凄く良かったよ・・・」
等と話してくれた。
私は既に雲の上を歩いている顔をしていた。
「ドウダ・・オレの技を華麗な動きを君達はきっと忘れないだろう・・・ガッハハハ・・・
黒帯の審査なんて私にしてみればチョロイものだ・・・ガハハ・・」
である。
兄と私は
「大分自信があるようだな?」
「俺が落ちたらお日様が西から上がる」
そんな尊大な会話を交わしたようだ。
毎日発表を期待して道場に行った。
「どうしたの先生、審査結果早く出してくださいよ!・・ じらさないで・・・」
確かなことは思い出せないが、4〜5日か1週間位して審査結果が出た。
その日、総裁は居なかった。
私が道場に入ると、何となく皆私の顔を見ようとしない。
兄貴も何となく視線を合わせなかった。
鏡の隣にある審査結果を見ると、なんと私の名前がないではないか。
「エッ!そんな馬鹿な・・フザケナイデ下さいよ!悪い冗談いけません・・」
みんなが私の顔を見ない様にしている理由が判った。
雲の上から一挙に千尋の谷底に落ちてしまった。
落ちたのはもう一人いたようだが。
どうしたらいいか分からなかったが、ジワジワと怒りがこみ上げて来た。
私を乗り越えて黒帯になった人を、私は睨みつけていたようだ。
爛々と私の目線には殺気が溢れていた。
自分の気持ちをコントロールできなかった。
兄を捕まえて、
「どうして?・・もしかして先生が忘れてしまったのかも知れないネ・・」
兄は笑いながら・・・
「いや先生は忘れてはいません。兎に角オメデトウ、良く落ちました」
一瞬殺気が爆発しそうになった。
あまり良く覚えていないのだが、その日の稽古で私は大分荒れたようだ。
稽古が終わる近くに総裁が道場に帰ってきた。
何とか目線を合わせようとしたが全く無視された。
稽古が終わった後、勇気を出して総裁の顔を正面から力強く見つめながら、
「先生自分の名前がないのですが?」
総裁が表情を変えずに淡々と
「ウン・・頑張りなさい」
・・・私は、何処が悪かったのですか?と聞こうとしてモジモジしていた。
総裁が
「まだまだ駄目、稽古稽古だよ!」
それで会話は終わった。
兄貴が何故か嬉しそうに笑っていた。
落胆や失望よりも、怒りの気持ちを抑えることが出来なかった。
こんなことがあって良いのか、誰よりも基本も型も組手もこなしたのに。
先輩も後輩もそして肝心の先生もその事は一番良く知っているくせに。
何故昇段、帯をくれないのですか!
ヨーシ、先生がそういう仕打ちをするならば道場に血の雨を毎日降らしてやる・・・
確かこんな気持ちになり、その後道場で暴れたようだ。
特に総裁がいるときはよけい激しい組手を見せたようだ。
しかし荒んだ気持ちも、時間が過ぎると落ち着いてきた。
2回目の審査は半年ぐらいしてからあった。
結果はまた落とされた。
黒帯は諦めた方がいいと考え始めた。
そんな時、ある先輩が
「一番道場で強いのは黒帯じゃないよ、茶帯だよ・・・分かるか?」
最初は私を慰めてくれているのかと考えたが、その先輩が
「一番稽古するのが茶帯なんだよ」と言い
「黒帯になると貫禄は出るが稽古の質や量が自然と落ちるんだ」
こんなことを私に話してくれた。同じような事を兄貴も言っていた。
私の後輩だった人が先に黒帯になる。それでも私より実力があるならばまだ自分に言い聞かせるが、すべて私より劣るのである。若い私には全然理解できなかった。
私を乗り越えて黒帯になった人達も、私と目線を合わせると何となく申し訳ないような複雑な表情をしていた。
そんな雰囲気が続く道場で、いつも私は無茶苦茶な荒い組手を見せていた。
時々先輩に「もう少しコントロールをしろよ」
と注意を受けたが、右から左に流していた。
ある日いつものように激しい稽古の後、兄が
「帯(黒帯)は強さだけじゃなれないよ、もう一つ何か必要なんだ。
俺も偉そうなことは言えないが、何か自分にチャレンジするものを見せるというか。
証明することが必要かもしれないよ・・・」
こんな様なことを話し始めた。
これは私の想像だが、きっとその時私はこんな感じで反発したと思う。
「なに言ってるんだよ。先生はいつも『キミー、一発で相手を倒してしまうんだよ・・空手はダンスじゃないんだよ』って言っているじゃないか。」
しかし兄のその言葉がある程度ヒントになった。
実際空手を本格的に初めてからは普段の行動もいくらか大人しくなってきていた。
相変わらず激しい組手をこなしていたが、何となく相手の実力や歳、体質などを考えるようになっていた。
高校3年の終わりに、3回目の黒帯審査でやっと黒帯になれた。
今思い返してみると、あまり感激はなかったようだ。
自分より後輩の人達が先に黒帯を締めているのに慣れてしまって、黒帯とはこういうものか、
と言った気持ちが心の底にあったからと思う。
それでも黒帯の輝きと重さは充分に感じた。
兄は審査結果が出た後、
「先生が『オマエは粗暴の振る舞いが多すぎる。黒帯にしたらもっと高慢になり手がつけられなくなるのではないか、心構えが全く出来ていない。落として考えさせる・・・』ということを言っていた」
と話してくれた。
極真会館の道場訓に、
一、 吾々は礼節を重んじ長上を敬し常に粗暴の振る舞い慎むこと
とある。
私が審査を受けたときはまだ道場訓はなかったが、総裁の心の中にはあったようだ。
その項目に抵触していたように思う。
兎に角、3回目で黒帯になれた。
ついでに話を続ける。
思うに、帯の審査は他人との競争ではなく自分との戦いである。
その人がどこまで自分を練磨し研鑽したか、その成果を証明する。
その人個人の可能性を見極めチャレンジする。
審査をする側から見ると、
「この人ならここまで出来る、・・なのに鋭さが無い。あの人はあそこまでが限界だ・・しかしよく技をこなした・・努力している・・・」
私は最初に基本を見る。
大体そこで私は受ける人の稽古量が読める。
新鮮か、技に気合が入っているか、惰性になっているか、体質、癖、審査の前にどれだけ稽古を積んだか・・。
一つの技を三戦立ちから前屈立ち、さらに組手の立ちと変えながら見る。
全部の技を見るのは時間的に言って無理である。
直線の技、曲線の技をそのレベルの帯に従って選ぶ。
相手を置いて基本の技、技と技のつながり、一つ一つの技の特徴を理解しているのか、型の意味が分っているのか、イメージしているのかただ動いているのか・・。
型や組手になるともっとその人の長所短所が出てくる。
実際、講習会で指導するより、審査の方が疲れる。
よく、
「黒帯は本当に空手の世界に入る出発点に立つ」
「黒帯になって初めて武道の世界に入る」
「一段とは言わず初段という」
等、いろいろと昔からよく言われてる。
どういう事かと言うと、黒帯を許される段階になると、その流派の基本的(基本の技だけでなくトータルな意味)な技、動き、知識理念などを一応身に付けたということである。
自分の長所短所、これから何を練っていくか、自分の課題が分るレベルに足したと言う事だ
と私は考えている。
本当に帯(黒帯)を取って、初めて稽古が始まる。
稽古の意味が深く、且つ味が出てくる。
生涯稽古が続くことである。
話が審査のことになってしまった様だがこのまま続ける。
審査をしていると、師範、先生、指導員の癖が門下生の技や動き、気合に出てくる場合がある。
私は門下生を審査しながら、彼等の師範や先生も審査の対象にしている。
だから、審査をしながら黒帯にも質問する。
直井先生に
「君はこの人の型、組手を見て、どんなアドバイスをしますか?」
「オス、見てませんでした。」
「何処を見ていたんですか?」私が攻める。
「オス、エート、エート、・・・何々子ちゃんを見ていました。」
私がさらに
「何々子ちゃんは可愛くて、この人はオジサンだからですか?」
先生は汗をかきながら
「オス、イエ、・・・オス・・・」となる。
そこで私が
「何々子ちゃんにはどんなアドバイスをしますか?」
「エー、エー、・・・もうちょっと、気合を入れるのと立ち方を力強く・・・」
「キミ、政治家じゃないんだから、そんな抽象的に言わないでくださいよ。
もっと具体的に・・・もしかして、先生は審査の後に冷たいビールと焼き鳥を食べようだとか考えていたんではないですか?」
直井先生、汗をかきながら、あの優しい眼をパチクリ、パチクリさせながら
「イエ、見守っていました、・・・頑張ります・・・ウス、ウス、オス」
断ってくが、これは私の勝手な想像である。
ただ時々こんな風景が審査会にはある。
私の審査会は先輩、先生、師範も全部気合を入れさせるようにしている。
最後に嘘みたいな本当の話を一つ。
マス大山総裁が昔、“THIS IS KARATE“の本の写真を撮っていました。
場所は成増というところです。黒崎先生の道場でした。
私もモデルになって活躍しましたが、何故か私は黒い道着を着せられメーキャップまでして、
基本技の間違いのモデルになりました。
暫くして試し割りの撮影になりました。
石割になったのですが、一つの石にみんなてこずりました。
総裁が、「キミ、泰彦その石を割ったら2段上げるよ」
みんな「オーウ」と歓声を挙げました。
私も「エッ、2段、オス」と気合が入りました。
一瞬「ホントかなぁ・・」と疑惑が出ましたが、石の前に立ちました。
精神を統一して石を見ました。
いけると気が身体全体に広がりました。
カメラマンの人も私の気合を読んで親指を挙げました。
「ヨーシ、ウーン」と呼吸を整え、オリャーと気合を入れ右の手刀を打ち下ろしました。
石は見事に割れました。
皆、拍手してくれました。カメラマンの人も立ち上がり
「二段、ニダン、ニダン」と歓声を挙げました。
ところがマス大山だけは・・苦虫を噛み潰した様な顔で
「ウーン、その石はみんなが叩き過ぎたから、ヤッパリ二段は駄目」
私「エッ・・先生またですかー、それは無いんじゃないですか!・・」
と出かかりました。
THIS IS KARATE(第三版、1966年)の本ページ247にある写真がソウです。
本当に良く落とされました。
PS、3月の春季講習会、審査会気合を入れております。
空手教典全4巻、パーフェクト空手の本をよく読んで汗を流して下さい。
稽古の後は、「内弟子INアメリカ」を読むように。審査ではそこからも質問が出るかもしれません。
ホント!
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osu
大山泰彦最高師範
はじめてコメントを記させて頂きます
自分は新潟県でカラテを続けているものです。
今年で38才になります。
18才の時、新潟本部道場に入門させて頂いた後、個人的な事情で20から35
才まで実に丸15年間カラテから遠ざかっておりました。
その後、縁あって稽古を再開するようになったのですが、復帰した後に起業独立したこと、その他様々なハードルにより以前のように稽古に打ち込む事が困難な状態ではありますが、カラテを辞める気はなく、続けられる限り続けていくつもりです。
自己の紹介が長くなってしまいましたが
この度、最高師範の修行時代の貴重なエピソードをweb上にUPして頂き本当にありがとうございます。
今まで読んだどの空手エッセイよりもユーモア、愛情を感じました。
こんなに「面白い」という表現は違うかもしれないのですが
内容の豊かなエッセイは読んだ事がありませんでした。
失礼ですが
from 五十嵐(2015/05/26)最高師範のようなお方でもこのような時代が確かにあったのだと大変勇気付けられもしました。
今後も愛読させて頂きます。
osu
五十嵐さん
空手修行頑張って下さい。
お互い精進しましょう。
最高師範
from Shihan T(2015/06/23)