春の講習会、関東は東京で、関西は姫路で指導しました。皆の真摯な姿に接すると私も気合が入りました。気持ちよく汗を流しよかったです。
今回の指導のポイントは、「足の運び」と基本の技の関係でした。何時も話してるように、技に頼りすぎると自分の空手が狭くなる。師範や先生にも伝えましたが技や足の運びは常に追いかけて練らなくてはいけません。頑張って下さい。 サテ今月の私の話は道場入門です。
春季最高師範講習会 東日本地区 東京
春季最高師範講習会 西日本地区 姫路
私が入門したのは、母親の相談を受けた兄達の脅迫的な強い要求でした。
中学生のときから私は問題児で、何時も母親を泣かしていました。
理由はいろいろありました。
両親が離婚して私は母親だけに育てられました。
母は仕事を2つも3つも掛け持ちで私のために働いていました。
母の監視が無いのをいいように使って私は好きなように勉強もせずに遊んでいました。
時々学校や街で問題を起こしました。
問題は殆どが喧嘩でした。
先生から母親に呼び出しが来たり、先生が住んでいる平井の狭いアパートの部屋に家庭訪問して来たり。そんな時、私はいつも頭を下げて神妙にしています。
学校での問題は先生も母親も何とか誤魔化していました。
しかし街でチンピラと喧嘩してしまい、私の住んでいた地域の管轄である小松川警察署から呼び出しが来てしまいました。
街で喧嘩してもいつもは警察沙汰にならないのですが、その喧嘩は何故か警察沙汰になってしまいました。
最初は葉書か手紙で呼び出しがありました。
ビックリして呼び出しを破いて棄ててしまいました。15歳の少年の頭はではそれで解決したと思ったのです。
それでも執念深く忘れずに、確かではありませんが2〜3回呼び出しの手紙が来ました。
母親に分からない様に捨てました。
そのうち忘れてくれる、と単純に思っていたのです。
ところがある晩、母親とソロソロ寝ようかという時、誰かがドアをノックしました。
母親が開けるとそこにナント私服の刑事さんが立っていました。
刑事さんが優しく「何度も呼び出しの手紙を出したのだが全く返事が無いので確かめに来た」と言いました。
母は真っ青でした。
母が「一体何のことでしょうか?」とかすれる様なか細い声で聞きました。
刑事さん「おたくの息子さんが喧嘩をして傷を負わせたようです」
母親がそこで座り込んでしまいました。
刑事さんがそんな母親を慰めるように、
「喧嘩ですから息子さんだけが悪いわけではないようですよ、でも一様事情を聞かなくてはいけないので明日もし都合がよければ息子さんと一緒に署まで出頭して下さい。」
だいたいこんな感じの会話だったと思います。
刑事さんが帰った後、母親に尋問を受けましたがその喧嘩は私には身に覚えがない話のようでいくら考えても思い出せなかったのです。
しかし母親は私を信じてくれませんでした。
そして泣き続けました。参りました。
次の日小松川警察署に行きました。
刑事さんに写真を見せられてやっと思い出しました。
その喧嘩は4〜5ヶ月前の出来事でした。
いつもたむろするパチンコ屋の前で見知らぬチンピラ二人連れに私が脅かされた時の話でした。
いつもは友達や顔見知りの地回りの人やチンピラがいるのにその時は私一人でした。
有無を言わせずに二人は私をパチンコ屋の裏にあるパーキング場(自転車の)に連れて行きました。
歳も私より4〜5歳上でした。
「このガキは鼻垂れ小僧のクセに、なにガンとばしたいるんだぁ・・」
こんな感じの台詞を吐いて、私の腕を掴み両脇を押しながら連れて行かれました。
一人が通りを見張り、もう一人が私を自転車が置いてある隅に押し込みました。
やられると思いました。
押し込んだ奴が手を離したとたん私の右のストレートが相手の左目の上に炸裂しました。一発で倒れました。
顔面がみるみるうちに血で染まりました。
通りを見張ってる奴が眼をまん丸にして驚いて私を見ました。
あんまり見事にきまったので私も驚きました。
次の瞬間そいつが跳んできました。
私も構え、掴みに来たところを右の金蹴りを出し、まともに決まり相手はもんどりうって倒れました。
私は倒れてる相手を置いて走りました。たしか先輩のところへ行ったと思います。
その後、先輩や友達とパチンコ屋の前に行くと二人とも消えていました。
右のパンチの感触が強烈に残りました。
何か言いようもないエキサイトした気持ちでした。
自分で自分のパンチに驚いていました。
それから毎日気合を入れて何時か仕返しに来るのでは無いかと友達や、顔見知りのチンピラと待っていました。
でも1週間、2週間たっても来ませんでした。
そのうち忘れてしまいました。
ところがです、思いがけない方面からこの二人のチンピラにかかわり合いが出来てしまったのです。
それも警察からです。
マイリマシタ、本当に。
刑事さんの話によると、この二人組みは泥棒に入り捕まってしまったのです。
まったくドジで馬鹿な奴です。
取り調べ中に刑事さんが、私が殴った奴の顔を見ながら、
「その眼の上の傷はどうしたんだ?」と聞いたようです。
私の想像だと、泥棒に入って捕まったくせに、きっと悪い奴に殴られましたとか何とか話したと思います。
全くふざけた話です。
これは私の勝手な想像ですが、刑事さんも私を突き止めて驚いたことと思います。
まだあどけなさが残る紅顔の少年だったからです。(笑わないで読み続けること)
これはあくまでも勝手な想像です。
話を戻します。
結局刑事さんがもう喧嘩はしてはイケマセン、と言う事だけでした。
母親と二人で、油を絞られたわけです。
私が15歳で、相手は22〜24歳の大人です。
それも相手が泥棒で捕まって、暇な刑事さんが聞かなくてもいいことから始まった事件です。
私に言わせたら、
「ちょっと真面目にやって下さいよ!冗談じゃないですヨ、落語のネタにもなりませんよ!僕は泥棒じゃありませんよ・・・・」
それでもこの事件がきっかけでマス大山総裁の道場に正式に入門することになりました。
話が前後しますが、博兄から
「オマエは時間が有りすぎるから問題を起こすんだァ、茂と一緒に道場に行け・・」
こんな話です。そんなこと言われてすぐ「ハイ分りました」と言う素直さは私には有りませんでした。
ところが茂兄はちょっと違うアプローチをしてきました。
「オイ泰彦、凄いなー。右の正拳、ストレート一発。ウーン、やっぱりお前は才能があるよ・・・」
こんな感じで近づいてきました。
正確には思い出せませんが結構当たっていると思います。
「・・・ちょっと稽古したら、すぐ黒帯だよ。ウーン間違いないな、記録もんだと思うな・・・」
今気がついたのですが、ホントいい加減です、マッタク!
前のエッセイで書いたのですが黒帯の審査何回も落されたのに・・
話が脱線しそうなので戻します。
茂兄は勝手な話で私の自尊心をくすぐる様に上げてきました。
「もう、サンチン立ちや正拳もこなせるし、それにお前の回し蹴りは最高・・・」
兄貴の話に乗って私もドンドンのぼせてしまいました。
それでも空手の道場に通うのにいささかの抵抗がありました。
そんな私の心の動きを読んだのか茂兄は、最後にとどめの台詞、
「稽古に行くんなら小遣いをやるよ、・・ホレ・・」
と、言って30円か50円の十円銅貨を私の手のひらに乗せたのです。
「オッ!掛け蕎麦が二杯も食べられる。コッペパンにニセのジャムだけじゃなく、揚げたてのコロッケ、いやメンチカツをはさんで食える」
・・それで決まりです。
貧しかった私の家では30円、50円のコズカイはミリオンダラーぐらいの響きをしてました。
そして、運命の日が来ました。
兄貴に連れられて池袋のマス大山総裁の道場に向かったのです。
いよいよ入門です。思うにワールド大山空手もそこからスタートしたようです。
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