僕の名前は第一話チャレンジカップで話した小島康隆である。
入門2ヶ月半であの大会に出場して、相手と構え合った瞬間に上段回し蹴りをくらって、倒れた子だぁ。
あの後、しばらく耳鳴りがし頭痛も続いた。
「ジーイン・・」となにかが耳の中や頭の中に響き出す度に「この野郎」と思った。
心の中に何か押さえきれない怒りのような塊が出来たようだった。
怒りの塊は、僕を蹴った相手ではなくよく解らないが自分に向けられている様に感じた。
なんか、自分が意気地がない様な気になって、そのことがなんとなく自分に納得がいかなかった。
そんな気が、かたまってしまったようだった。
鏡でそんな自分を見るのが嫌だった。
大会の後、道場に行くとみんなに笑われるのではないかと気が重かった。
だから、いろいろ理屈を付けて稽古から遠ざかった。
何故かお母さんも道場に行けとは、あれから言わなくなった。
お母さんがなにも言わなくなったので、僕の方で変な気分になった。
みんなが気を使っている様な気がしたからである。
そんなある日テル先生からメールをもらった。
「ヤスタカ、今日道場にこい話がある」
お母さんにメールを見せたら、急にお母さんの顔付が明るくなって一緒に行ってあげると言いだした。道場に行くとテル先生が「オイ、頭はどうだぁ?」
「オス、大丈夫です」と無理に恰好を付けて答える。
「ヨシ、ヤスタカ悔しいだろうあっ」なんか急に言い出したので、まごまごして返事が出来なかった。
ピーナツみたいな顔でテル先生が「分かる、俺にはよ~く、解るんだぁ・・うん」
僕は黙って口の中でオスと返事をしたが、頭の中では「先生は僕じゃないのに本当に分かるんですか?」と疑問が出た。
「いいかよく聞け、俺みたいにカラテのマスターになると負けた事が無いみたいに見えるらしいが・・・」
「エッ・・・・」
「ヤスタカ俺の負けたところを想像できるか?・・出来ないだろうな、~うん分かるよ」
僕はテル先生の負けた場面は簡単に想像できるような気がした。
先生は背が低い方だったし、身体も筋肉マンのようには見えないので、・・・でも黙っていた。
「オイところがだぁ、驚くなかれ、この俺が負けた事が何回もあるんだ・・・」
「あら~、本当ですか?」なんか急にお母さんが驚いた顔付を見せた。
なんとなく僕にはお母さんの、その仕草がわざとらしく見えたが、僕も頑張って驚いた顔を見せた。
テル先生は、僕たちの驚いた顔を見て、「うーん」とうなずいていた。
僕は吹きだしそうになったが我慢した。
お母さんを見ると僕と同じように笑うのを我慢していた。
テル先生は全く別世界に生きている人間見えた。
テル先生は視線を天井に向けて眼をつぶり、なんか思い出すような格好をしてから目を開けて「ヤスタカ、人間はときに負けて強くなるんだ、この俺を見ろ、負けた経験が今日の負け知らずの俺をつくり上げたんだ、分かるかな?」
「先生分かります、本当ですねまったく、失敗は成功のもと、ですね・・ハイ」なんかお母さんが感激して返事をした。
「ヤスタカ、今日はいい話を聞いたね」と言った時。
テル先生が「お母さんまだ肝心の話は終っていませんよ、これから大切な話に入ります」
「スミマセン、どうぞ続けてください」なんかお母さんとテル先生で漫才をやっているようでおかしかった。
でも、なんとなくテル先生の話が僕の心の中に沁み込んでる感じがした。
「お前なー、スマ―トホーンとか携帯、アレ同じか? ゲームなんかやっていて、喜んだり悔しがったりすることがあるだろ・・・あん」
「お~す」
「いいか、よく聞け普段の生活で失敗や成功したことはすぐ時間か経つと消えてしまう場合が多いんだ・・・心に残らないんだ、浅いんだよ」
「はあ~」とお母さんが間の抜けた返事をした。僕もなにをテル先生が言いたいのか分からなかった。
「チャレンジカップに出場して相手と向かい合った、残念ながら綺麗に一発で倒されてしまったが、その体験は素晴らしいんだ」
「先生、ヤスタカが倒されたことが素晴らしいですか?」
お母さんがなんかちょっと憤慨したように言った。
僕も、倒されて頭痛しているのがなんで素晴らしいのか、冗談じゃないという気持ちが出てきた。
「いや、その~お母さん、あのですね~倒されたことは素晴らしくないんですが、自分に打ち勝って出場したことが、その体験、経験が素晴らしいという事です」
「はぁ~」と、お母さんが気のぬけ返事をした。
「大人も子供も自分と向かい合う、真剣な体験をしないですよ、テクノロジーが発達し過ぎてしまって、・・・みんな何か理由を付けて自分自身を覗きこもうとしないです・・・ちょっと話が難しいかな?」
「・・・・・」
「今度の体験は、ヤスタカにとって消えないと言うより、暫らくは忘れられない経験になったと思います。きっとヤスタカだけではなくお母さんにもです~」
「そうですね~、暫らく忘れませんね・・・はい」
「大会に出場すると言う事は、大会の一週間前、いや一ヶ月その以前から自分との戦いが始まっているんです。相手と向かい合って何もしないうちにノバされる。しかし自分との戦いでは、一歩前に出たんです。勝ったんですよ・・いいですか」
「・・・・・」
「大会に出た、その体験は心の奥深くに自分を磨く種を植え付けたんです。いいですか、自分を大きくする、強くする、種をしっかりと植え付けたんです」
「はぁ~、先生分かります」お母さんが今度は感激して返事をした。
僕も解ったような、解らない様うな気がしたが、なにか貴重な事の様に感じた。
「試合に負けても、自分との戦いには勝ったんです。心の中に植え付けた種をこれからしっかりと前を向いて汗を流し練って、鍛えるんです。だから素晴らしいんです」
「テル先生、有難うございます」お母さんが思わずテル先生の右手を両手で握りしまた。
僕の事を話しているのに、なんかお母さんが大会に出場したのではないかと、錯覚しそうになった。でも先生の言っていることが僕にも分かった。
大会に出て、貴重な体験をしたんだと思った。
「いつも大会で師範が言っているだろう、“大会は大きな目的であると同時に、新たな出発点である”・・あの言葉の意味をよく考えろ。・・ヤスタカ今お前の心の奥にあるその種をおおきく育てるんだ、お前は出来る」
テル先生の顔が輝いて見えた。
なんか不思議と頭痛も消えた。
あの日から結構マジに稽古した。
続く
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