稽古が始まり、マス大山が真中に立ち両脇に黒帯の人達が並んでいます。
何故かどの黒帯もやけに鋭い目線を送ってきました。
大きな円陣になり、その円の中に初心者、白帯の人達が並びます。
私もその中の一人です。
後ろにも古い生徒が並んでいました。
君達は逃げられません。そんな並び方です。
私の眼の前には、頭に手拭を巻きつけたマス大山先生が厚い大きな胸を見せつけています。
その左隣に確か安田さんがいたように記憶しています。
背が高く、マス大山と比較するとスレンダーでしたが、無駄な贅肉は無く身体全体が鋼鉄のよう見え、練って鍛えた身体がムクムクしているようでした。
右隣に茂兄が立っていたように思います。
「茂オニイサン、僕忘れないでください・・」
そんな気持ちを入れて視線を送っているのですが、何故か全く無視です。
私(大山泰彦)と兄(大山茂)
簡単な準備体操が終わりいよいよ基本稽古に入りました。
ド肝を抜かれたのはマス大山の「アーイ、ウオーウ、・・キアイ イレテ・・・」という叫び声でした。
日本にもターザンの親類がいたのか、と思わず身震いがでました。
わたし達はターザンに従うゾウさん、ライオン、ゴリラ、其の他の動物になったようです。カウントもスタートは「イチ、ニイ、サン・・・」と出ましたが、そのうちに「アイヤ、エイヤ・・・オイヤー・・・」になり延々と続くのでした。門下生はその号令に合して「エイー、ヤァー、オイショウ」などそれぞれ気合を入れて従います。
数が延々と続くうちに気合も変わってきます。
スタートのうちは一本ずつの技にキアイが入っているようでしたが、エンドレスのカウントに気合が何か掛け声のようになっていきました。
マス大山のカウント「アイヤ、オイヤー、エイヤー・・・」に乗ってわれわれは、「オショ、ウショ、オイショウ・・」と続くのです。
何か空手の、“歌劇”オペラ 第九 汗の悲劇!マス大山作曲、指揮、極真合唱団、という感じです。
私は夢中でした。
体操の時間だけが正規な学問と思っていた私には基本技の一つ一つのポイントをつかみそれほど見劣りしないようにこなしました。
長男の博からある程度の技は既に教えてもらっていました。
博兄から教わったのは、回蹴りはこう蹴るの、・・そんな感じの程度なので息が切れるまで同じ技が繰り返させるのなど全く思いの外でした。
正拳中段突きからスタートしたようです。
受け技までは何とか号令に合わせ気合にも力が入っていたように思います。
蹴り技に入る頃から力がガクンガクンと落ちてきました。
道着が段々と重くなり、蹴り足にウエイトが付いているような感覚にとらわれました。
そんな私の変化を安田先輩や他の黒帯の人が睨みます。
「もう駄目、許して下さい、ゴメンナサイ、帰らして下さい、オカア サ—ン・・・」
そんな眼の色をしていたと思います。
私の哀願の視線は先輩たちの鋭い気合の目線にあっけなく飛び散ってしまったのでした。
必死になるとまた力が出てくるものです。
「シツレイシマシタ、頑張ります。私大山泰彦は一生懸命蹴ります・・・」そんな顔のアクションも入れて先輩たちに、ボクは真剣に稽古をしています、・・とアピールをしました。
「ワショイ」「オイショ」「エイショ」「アイショウ」基本稽古の最後は確か円形逆突きであったと思います。
ここで私の人生が終わってしまうのでは、と思うほどの長い、ナガーイ時間でした。
2時間チョットかけてやっと終わりました。
とにかく一つの技の数が半端ではありませんでした。
2〜3分のインターミッションがあり、トイレに行く人や水を呑みたい人は道場の外オバケ屋敷のような廊下に出ます。
私は喉がからからだったので、水を飲む人の後に続きました。
水道の蛇口が一つだけしかありません。待つ時間がもどかしく早くして下さいと哀願する思いです。
身体を屈めて蛇口に口を当てて飲みます。私の番になり口を屈めたとき後ろから「ガブガブ飲むなー」と声がかかりました。
それでも、うがいするスタイルでトボケテ飲みました。値千金の水でした。感謝です。
「早く並べ!」の声に私は一番端に並びました。
誰にも教えてもらわなくとも、私は自分の身を守るための動きを自然に知っていました。
移動稽古、合同稽古と続きましたが何故か特別に私だけに、マス大山や黒帯達の視線を強く感じました。
理由は全く分かりませんが、何となく身の危険を感じました。
腕立て伏せ、腹筋、柔軟も何とか付いていき、合同稽古が終わると、「ハーイ、座れ、座れ!」黒帯の誰かが命じました。
私はすぐに一番端の出口のところに座りました。
そこが私の安全地帯と思ったのです。本能的な行動です。
稽古の最後は組み手でした。この組み手のことは全く聞いていませんでした。
黒帯の人が2〜3人前に立ち、座っている門下生を指名していきます。
「ハイ、構えて、始め−」「オウー」と叫び声が出ました。
なんと突きも蹴りもガンガン当てるのです。
「エッー!ウソー、でしょ」
そんな残酷な・・・。私は座っていたのですが、腰が抜けてしまうようでした。
思わず身体中にビリビリとエレクトリックが走り、膝の震えを押えることが出来ませんでした。
黒帯の人が遠慮容赦なく、殴る、蹴る、投げ飛ばす、引きずり回す。
本当に、警察や病院にすぐに連絡しなくてはいけないのでは、と思いました。
「ホレホレ、もっと強く突いて・・」「オス、ヤァー」気合を入れるようですが腰が逃げているのが分かります。
掌底というかビンタというか平手で顔面を、「バシィ バシィ・・」と行きます。
自分の顔ではありませんが、思わず「イテー」と悲鳴が出てしまいそうです。
鉄の塊のような足、中足が背中まで蹴り抜けるのではと思いました。
蹴られた人は「ウゥーウゥー・・」とうなりながら床板をかきむしります。
苦悶に顔を歪めているその人の痛みが私にも伝わってきます。
知らない内に私も同じように顔を歪めてしまいました。
驚愕と恐怖が入り混じって私は震えていました。
私が喧嘩した内容と比べるとまさに天と地の差です。
そのとき私は茂兄の組み手を初めて見ました。
顔に似合わず、普段の兄貴は結構優しかったです。
それが道場では人が変わったようにガンガン叩いてバシバシ蹴っています。
ジキルとハイドを正に眼の前に見る思いです。
安田先輩、他の黒帯の先輩も強かったですが、ずば抜けて強い奴がいました。
稽古前、私を無遠慮にジロジロ見ながら鼻で笑っていた奴でした。
恵まれた大きな身体から素早いステップを使って大技から小技までこなしている、全く無駄がない組み手でした。
華麗で技が自然に流れるようでした。
「オリヤー・・」という気合と同時に出す技、正拳、回蹴り・・が見事に決まります。
「ドーン」「ズダーン」と鈍い音を立てて相手が倒れます。
今の人はきっと知らないと思いますが、昔“少年マガジン”という雑誌{今は、出版されてるか分りませんが講談社から出ていた}に連載されていた劇画「空手バカ一代」の中に出てくる有明省吾でした。
名前を春山一郎といいました。
驚くことに彼は茶帯を締めていました。
入門第一日目でしたし、私が組み手をするなどとは考えてもいませんでした。
しかし心の中に僅かですがタダでは済まされないのでは、という危惧はありました。
その心を見透かしたのか、安田先輩が「オイ」と私を指差しました。
「エッ・・」一瞬息が止まり、雷に撃たれたように、恐怖が身体中を走りまくりました。眼をパチクリ、パチクリしながら、純粋な穢れを知らない顔つきをします。
非行など全く縁のない、ましてやチンピラと喧嘩などするわけがないのです。
「ハイ、真面目です、本当デス」私はトボケテ座っていました。
どっと汗が吹き出ます。汗など全く気にしてられません。
しかし安田先輩、微笑しながら、「泰彦君」と今度は名指しです。
「ハイ」頭のテッペンから高音が出ます。
安田先輩、苦笑しながら、「立ちなさい」
「ハイ」また頭のテッペンからです。
足に力が入りません。
オドオドしながらも何とか前に出ました。
どこに目を向けていいのやら分かりません。
目の前に誰かが立ちました。
思わず見上げるとなんと一番荒い、激しい、組み手をする恐い怪物、春山です。
« 第4話 おんぼろ道場、入門 | 第6話 アリとゴジラの対決 »
すべての項目に入力してください。