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国際大山空手道連盟 WORLD OYAMA KARATE ORGANIZATION

第21話  エッ、全日本選手権ですか?

日本での春の講習会が終わりアラバマに帰ってくると一面に新緑が覆っている。
むせるような緑の力である。今はアゼリヤが色とりどりの花を咲かせている。
アゼリヤは甘い蜜があるのかミツバチがブンブンと飛んでいる。
春の朝はことのほか野鳥の囀りが煩く聞こえる。
さてワンダフル空手、だいぶ御無沙汰してしまった。
日本での春の講習会も終わり、こちらでのアメリカンズ・カップも無事終わったのでワンダフルカラテ第21話に気を向ける。
気を向けたまでは良いのだが、なかなか集中できない。
理由は何かと考えた。なんと驚くなかれ、溢れるほどに、どんどん出てきた。
一つ一つを書くとワンダフル空手にならない。
稽古をサボル生徒の顔が浮かぶ。
メールを送っても返信がナカナカこない直井の顔も思い出した。
エクスキューズはいくらでも考えられる。
それが平凡な人間なのかも知れない。何とか気合を入れる。
前回のワンダフル空手は極真黒帯裏話その二であった。

 

間が空き過ぎたので、話を昔に戻す。
総本部に戻り、まず私がやらなければいけなかった事は指導員の確立であった。
あの頃は、極真総本部にしっかりした指導員体勢が出来ていなかった。

 

 

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大山館長と私、二人ともまだ若かった様に見える。

 

 


館長の本や武勇伝がドンドン先走りして、極真カラテのイメージ、虚像がとてつもなく大きくなり過ぎたようである。
そんな館長を夢みて、海外から素晴らしい最強の極真カラテを学びに来る連中多くいた。
しかし館長は極真カラテを大きく発展させるために飛び歩いていた様である。
毎日の稽古を見る、指導する時間がなかったように見えた。
残念ながら、総本部の指導員は館長の本、イメージから大きくかけ離れていた。
当然彼等は落胆する現状であった。真摯にカラテの修業をしようと思って日本の総本部にきたのだが、現実を見て考えが変わってようである。
要領よく道場に顔を出し、帯{昇段}をもらい国に帰って支部長として権限を発揮する様な考えになっていた。こんな連中が結構多くいた。
ある沖縄から来たカラテ家は館長の本を読んで感激して僅かな期間内弟子になったのだが、私のアメリカ行きの話が出た時内弟子を止めた。

 

私は館長が溢れるように生み出す、武勇伝やいろいろな書籍、そこから自然に生まれてきてしまう虚像と、現実の道場での指導の世界、そのギャップがあまりにも大き過ぎた様に感じた。その大きな隔たりをいかにして埋めるか頭を悩ました。
だから何とか強固な指導体制を確立してそれから海外に出る事を考えた。
それが極真カラテに対する私の責務と考えた。
だから就任するとすぐに、そのころ稽古から遠ざかっていた郷田師範を口説いて戻し、極真黒帯裏の会を立ち上げた。
なぜ裏の会なのかと言うと、離れていった黒帯連中と館長の間に色々と葛藤があって、簡単には昔の黒帯が戻ってこないからである。
昔の黒帯一人一人を古い、いざこざは忘れて、また新しく一緒に稽古しようと口説いた。

 

時間がかかったが何とか、昔の黒帯を総本部に戻し名前だけの総本部ではなく内容も充実した極真本部することができたと思った。
時はまさに、丁度極真カラテが大きく発展する兆候を見せていた時である。
私の熱意は少しずつあったが実っていったように思った。
チーフインストラクターに就任して一年が過ぎるころ、指導体制や帯研の充実した本部になっていったと思う。
もう一つ自分に誓ったのは、私が海外に出る前に、先に後輩に海外に出るチャンスを与えなければいけないと考えた。
私以前はトップのインストラクターがまず先に海外に出ていって、後には経験のない指導員が残ると言う様を呈していた。
トップのインストラクターが出ても揺ぎ無い指導体制が出来ていなければ総本部の意味がないように思ったからである。
金村をNYブルックリンの中村氏の後任に。岸を台湾に、派遣することが出来た。
もちろん私が決めた事ではない、館長が決めたことである。
しかし極真総本部に、実力のある黒帯を海外に派遣できる、地盤、体制が整っていたから実現したことであると自負している。
私が海外に出るには後を任す若くて実力のある指導員を残しておかないといけないと思った。前にも話したが三浦と吉岡が私の目に止まった。
何度か口説いた。吉岡には断られたが三浦は承諾してくれた。
それに岸も東谷、野沢等若い優秀な連中が本部に詰めた。
指導体制も、帯研{黒帯研究会}も充実していた。
しかしあの頃私の身体は調子が良くなく、腰が悪化して私の蹴りが相手の帯のたかさ位しかあがらなかった。焦りが出てきた。
幸いにもタクシーの事故で治療費が出て、私は週に2回、多い時は3~4回、腰の治療に通っていた。
毎晩のように三浦と岸に腰を揉んでもらっていた。
自分の歳を考えたり身体を考えると、ソロソロ時間が無くなってきたように感じた。
今を逃したら永久に海外に出られないのではないかと、焦りの様な気持ちになった。
前にも言った様に本部に戻ってからの私の役目もいちようを終わった様に思えた。

 

今度は私の出番であると考え、ある日、館長室に顔を出した。
館長はニコニコしながら私の話を聞いてくれた。
「ふーん、そうだねー、キミー、腰はどうだね?」
「オス、何とか誤魔化して動いております。オ~ス」
「キミー、腰と膝は切ってはいけないよ{手術の事である}」
「は~、なんですか冗談でしょ、館長、会館からの安給料では病院にも行けないし、手術など出来る訳がないじゃないですか・・・」と思った。
内心の思いは秘めて「オ~ス」気の抜けた返事をする。
なにを思っているのか館長の口から、いつ行くとかどこの支部に行くと出てこない。
ただ「う~ん、う~ん」と唸って何か考えごとをしている様子。
私は館長が私の為を思って色々と心配をしてくれているのだろうと思った。
私も館長にならって「オ~ス、う~ん」と想像をしている様な素振りを見せる。
しかし何となく館長の反応が、賛成はしてくれている様なのだが、明確な返事がないのである。ちょっと、不安な感じが湧いてきた。
その不安な感じがすぐに館長の次の言葉で現実になった。
「う~ん、海外に出る、いいんじゃないか~、しかしキミーねー、その前にやる事があるんじゃないか?」
「ハァ~」コレは私の返事である思わず漏れてしまったのである。
海外に出る前にやる事、失礼ですが全部終わりました。
心の中ではこんな感じであった。
そんな私の心の内を館長は全く関係ない顔付きでおもむろに「キミー、全日本に出てチャンピオンになりなさい」
「ハァ~」また漏れてしまった。
「館長、毎日私治療を受けている身で御座います。ご存知と思いましたのですが!」
「どんな治療をしているんだね?」
「はぁ~、おもに指圧と、針、お灸です」
「ふ~ん、それは良い、すぐよくなるよ、・・・うん」
「はぁ~、全日本ですか?私がですが・・」もしかして話す相手を間違えてるのでは。
ドキマギしている私の顔を、館長は微笑を浮かべながら更におもむろに「それと100人組手をやっていきなさい」
「はぁ~、100人組手ですか・・・、ちょっと館長、冗談は良くありません。
100人相手にこの私が組手をこなせると思いですか」コレは私の心の内である。
返事は「オ~ス、ウ~ン、・・・オ~ス、金村も磯部も若いし、力はありますが?」となんとなくではあるがヒントを出したのである。
ヒントの内容は、私の変わりに彼等に100人組手を、・・と思ったのだが。
館長聞く耳を持たず、私の困惑した表情など全く意にかえさないで微笑を湛えていた。
この館長室でのやり取りは正確ではないが結構こんな雰囲気であったように思う。

 

結局全日本選手権出場、100人組手挑戦が決まってしまった。
まさにお先真っ暗になった。果たして渡米出来るのか本当に心配した。
何とか館長に「全日本はトップ10位内に入れば勘弁してくれますか?」
「ウ~ン、良いんじゃないの」館長、他人事のように返事をする。
この場面はしっかり覚えている。
全日本選手権出場が決まったのは良いのだが、毎朝朝礼が終わると、私はプログラムの広告を取りに出かけた。
あの頃は極真カラテと言っても喜んで広告出す企業や人はそんなに多くはなかった。
たしか私は4~5件の会社から広告をもらった。
東京体育館での会場設営は正確ではないが“清水スポーツ“と言う会社ではなかったと思う。
その交渉も私が担当である。来賓の名簿、招待状も任されたように記憶している。入場券販売もかかわった。何でもやらされた。
1971年10月24日第3回全日本選手権に出場。大会は3ブロック分かれていた。何とかブロック決勝戦まで勝ち上がっていった。
もうボロボロの状態であったが負けても全日本6位にはなれるので、安心した。
決勝の相手は、私の後任{総本部指導員}に、やっと口説いた三浦であった。
確か試合前三浦の席に行って、遠慮せずガンガンこいと言った様に思う。

 

 

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三浦との激戦、足がモタツイテしまった。

 

 

本戦、延長、延長と続き12分間の試合になった。天井がグルグル回っていた。
判定になった。副審が私に2本、三浦に2本挙げて、後は主審の判定になった。
主審の右手が私の方に挙がった。
私の判定勝ちになったが、私が主審なら三浦に挙げていた。
試合の後に三浦に「お前の勝ちだよ」と言った様に記憶している。
私にはファンと言うか色々な関係者が応援してくれていた。
とく壮年部や大会関係者の人が、みんな私に声援を送ってくれていたように思う。
普段から私が会館の為に働いていることを理解してくれていたからだと思った。

 

 

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皆に応援されて準優勝、右が優勝の佐藤勝昭、左が3位の大石代悟

 

 

ちょっと話が脱線するが、極真会館には総本部委員会があった。
私が戻る前までは名前だけであったが、私が働きだした頃はそれなりに委員が決まり定期的に委員会が開かれた。
勿論、最終決定は館長がすることで委員会は、館長の話相手になると言う感じであった。
ところが館長が出ないときが結構多かった。
しかたがないので皆でお茶を飲んで会を終わりにし、後は飲みに行ったりした。
委員長は福田さんと言う壮年部の人であったように思う。

 

 

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委員長の福田さん、サングラスの館長

 

 

現在の西池袋の丸井デパートの前のビル、名前は忘れたが、その6階だと思ったが、ハイレディと言うクラブがあった。
福田さんは、そのクラブのオーナーか支配人だったようである。
館長も良く遊びに行った。ときどき私も同席をした。
館長は飲まなかったが私はバンバン飲んだ。
クラブのトップの女の子が我々の席に何時も着いた。
もちろん私にではなく館長に、である。
福田さんは私に、館長抜きで何時でも遊びに来て下さいと言ってくれた。
ある晩、稽古が終わった後大石代吾と飲みに出た。
最後にハイレディに行き、看板まで飲んで気持よく帰りのエレベーターに乗った。
エレベーターに人相の良くない男達と一緒になった。
パリッとした背広を着ていた。私と大石はヨレヨレのシャツにズボンである。
なんとなく雰囲気が良くなかったが出来るだけ静かにしていた。
狭いエレベーターの中自然に目線が合ってしまう。
私の側にいた男が「お前らー,セイガクか?」と私に聞いてきた。
私が横の大石に「セイガクって、なんだ?」聞く。ホントに分からなかったのである。
大石が「学生の事です」と教えてくれた。
私が「はぁ~」と頷いていると、男が「ボケ、いい気になるなー」と言ってきた。
私はまた「はぁ~」と答えてしまった。大石の目が険しく、つり上がる。
あの頃黒帯の中でも大石や須藤は口より手が早かった、時には蹴りが速かった。
目が合って、火花が散る。次の瞬間、相手は倒れていると・・・こんな感じである。
大石は私の顔色を見ながら、我慢していたように見えた。まさに劇画である。
6階から1階まで時間にして何分か、であったが結構長く感じた。
それでも無事1階に着いた。
解放してくれるかと思ったが、ビルの前で因縁を付けてきた男に、私はむなぐらを掴かまれた。
大石が私を見守りながら、もう一人の男と言い争っていた。
男が私を引き付けるとき、自然に頭突きが出てしまった。
飛び跳ねるように男が後ろに倒れる。その時大石の回し蹴りが唸りをあげていた。
ところが蹴り足が速くて大石の靴が向こう側に、飛んでいった。
男が、殺されると思って、脱兎のごとく逃げ出した。
大石がそれを追いかけようとしているのを、私は急いで止めて、靴を探した。
金欠病の我々にとって、靴は貴重である。一生県命さがして見付けた。
まさにコメデー、漫画である。
丁度その時、クラブのウエイターさんたちがゴミ箱をかたずけに降りてきた。
倒れて唸っている男を、クラブの人に後で良く見てやってくれと頼んで寮に戻る。
後日福田さんが私に「あの連中、地回りで困っていたんです、痛めつけてくれて、良かったです、有難う御座います」とお礼をもらった。
なんか話しが長くなって仕舞ったが、言いたいのは私が壮年部の人に人気があった事例を挙げたのである。

 

ただそんな訳で壮年部の人に私は普段から人気があった。
だから大会では皆、私に応援をしていたように思う。
実力ではなく、皆の影の応援で結局大会は準優勝になってしまった。
大会も無事成功の内に終わりほっとした。ただ猛烈に疲れた。
しかし100人組手が待っている。大変である。オス

コメント (2) | 2015/05/15

ワンダフル空手

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“第21話  エッ、全日本選手権ですか?”へのコメント (2)

  1. 第三回大会の泰彦師範と佐藤勝昭師範の決勝戦は昭和46年の少年マガジン連載の空手バカ一代に掲載されました。高校一年の私はワクワクしながら読んだのを覚えています。その決勝戦の内容もはっきり覚えています。

    from ミット鈴木(2015/06/14)
  2. あの伝説の教材、マス大山空手スクールのことを思い出して書いてくれませんか?

    from 通教生(2015/07/04)

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