1月5日
毎年、新年は気持ちも新たに昨年の反省と今年の抱負を厳かに考える。これが建前である。実際はプロフットボールの試合をTVで見ながら贔屓のチームを応援しているのである。反省である。
私は直ぐ反省するのだが何故か反省の前と後ではあまり変らないのである。困ったものである。反省しなくてはいけない。
グローバルウォーミング(地球温暖化)か、何か知らないが、
今年の夏の暑さは全くどうしようもない激しさであった。
もしかして秋が来ないのではと真剣に思った。
ホント! ・・・・地球滅亡か?
ところが、神様は我々人類を忘れずにいた。
6月23日24日、黒帯・指導員の合宿が三浦ふれあい村で行われた。
皆、頑張って宝くじを買いましょう
鈴木師範、後ろから直井先生が狙っています。アブナイ・・・・
オイ、谷口先生。小森の足が違っているぞー・・・
桜が満開である。
風に吹かれて花吹雪になる。薄ピンク色の柔らかい花びらが舞い散る風景は、なんとも言えない風流である。ここバーミンガハムは吉野桜が殆どだが、時々枝垂れ桜も見かける。
春の講習会を何とかこなし、時差ボケと戦っているところである。
久しぶりに、支部長、黒帯や他の門下生と汗を流して気持ちが良かった。
便所とキッチン、ガスの使い方等を教えてもらう、先生が
「マサ。腹は減ってないか?腹が減ったら、自分でサンドイッチでも作って食え。ミルク、オレンジジュース、ビールもあるよ。何でも好きな物を飲んでいいぞ。セルフサービスだ」
その後、工藤先輩が、リビングルームの壁の扉を開いて、本棚を教えてくれた。
本棚は5段になっていた。上から1段目には、「五輪の書」とか「史記」「忠臣蔵」「徳川家康」「関ヶ原」「峠」「国盗り物語」「街道をゆく」等の司馬遼太郎の本が多く並んでいた。
渡米の準備はすぐに終わった。
出発の日が決まってから2、3の友人に電話を入れた。同好会の後輩にも連絡した。きっと百合子にも、僕がアメリカに行く事は伝わっていると思った。
「もしかして、百合子から電話が入るかも・・」
家の電話の音に神経が自然に行ってしまった。僕のためには電話はリンとも鳴らなかった。
一ヶ月が過ぎた。桜の季節になっていた。不思議と時間が僕に落ち着きを戻してくれた。親父が久しぶりに早く帰ってきた。
「真太郎、ちょっと外で飯でも食べようか」
親父の車で池袋まで出た。親父の贔屓にしている焼肉屋であった。
「ビールにするか?酒にするか?」
「ビールでいいよ」
昔のように飲んでも美味いとは思わなかった。それでも親父に感謝しているので、勧められるままにグラスを空けた。
「食わないと元気が出ないぞ」
親父が自分の皿の上に焼けたロースの肉をのせてくる。腹は減っていなかったが親父の気持を汲んで、箸をつける。甘辛い味が口の中に広がる。少しだけ食事の味が出てきた。
僕は武道家になるとか、空手の先生になるとか、そんな事は夢にも思わなかった。昔からスポーツは好きだったが、武道や格闘技の世界には全く興味がなかった。
それが何故か朝から晩までカラテ、カラテの生活、内弟子になってしまった。それも日本ではなく、なんとアメリカに空手の修行に行く事になってしまった。1995年3月に大学を卒業して、4月の終わりには日本から出てアメリカの深南部アラバマに来てしまった。
「よし決勝だ」
主審の先生高橋が大きな声で僕とアントニオに向かって言いながら鋭い目線を向けてきた。先生高橋は僕たち二人を交互に睨み付けながら、
「正々堂々と戦え、いい試合を見せろ!」
と言った後、僕に熱い眼差を送ってきた。先生高橋の目の色が「マサ、負けるなよ」と言っていた。観衆の熱気が僕たちのマットに集まってきた。